ひとこと 松岡直太郎 美濃市の伝説「お姫の井戸」には「雨乞い」と「お膳と碗」の話がある。この二つの物語は・内容も性格も違い結びつけて語られたことはない。 ところが今回・美濃市文化会館からの要請は「雨乞い」を縦糸にして「お膳と碗」を横糸に織り交ぜ・音楽劇にしたいとのことであった。 観客は小学生から大人まで・親子が楽しく鑑賞できるように構成すること・舞台には児童合唱団から大人の市民合唱団まで参加させたいとの条件がついた。 昨年の十二月三十日だった。地元の人がお姫井戸にしめ縄を張っているから来るようにと連絡を受けた。 その日は途中から烈しい雪になって・お姫井戸の祈祷に間に合わなかったが・岩に張られたしめ縄を見ながら・今もなお顕彰する人たちがいると思うと胸が熱くなった。 ともかくいそいで書くようにと催促されて・分厚い資料等を渡され・年末年始を返上して書きあげたのが別添の台本である。 故市原三三氏には「紙すきの唄」の取材で教えを受けたときこの「雨乞い」の話しを聞いた。和紙と洋紙を張り付けたような・無理やり重ねたこの台本に苦笑されていることだろう。 もともと作家ではない私にくる話しは「紙すきの唄」の時も岐阜市の民話「尾なし龍」も・サラマンカ・ホールのオペラ「ギリシャ悲劇・メディア」でさえも・短い時間で・厳しい制約と条件がつく・芸術とはほど遠い仕事ばかりである。 しかしオペラは音楽の魔法の世界。この未熟な台本を・なんとか作曲で助けていただきたいと思う。 余談だが・私の実家は上牧小倉で・むかし・紙を漉いていた。思いがけなく・岐阜・美濃・高山と公演して数千人の観客に見ていただくことができた「紙すきの唄」に続き・この作品を書くことになった巡り合わせに・盆・暮れの墓参りも行かない不肖の孫が・少しはふるさとに貢献していると・地下に眠る祖父母は・許してくれるだろうか。 ふるさとの昔話にふれると・切なく感傷的になってくる。 |
昔っから長良川のこのへんを「大巻」といってなも、上流の黒瀬っていう激流がこの大岩にぶつかって、いくつかの大渦巻をつくる淵になっておったんやなも。淵の底には龍神さまが住んでござったんやと。ほんで大岩の真ん中くらいにあるくぼみにはいっつもきれいな水がたまっちょって、そこは龍神さまのお姫様がおんさる「お姫の井戸」てって、井戸を汚すと龍神さまが怒らっせると言われておったんやなも。 三百年くれぇ前、美濃国あたりがどえれぇひでりになった年があったんや。この近所も百日の余も雨が降らなんで、田畑の作物が枯れてまったもんで村の人んたぁが難儀して、ひたすら雨を願ったんたと。 その時の村庄屋やった五兵衛さまは村の人んたぁの先頭に立ってお祈りの雨乞い祭りを何べんもくり返したんやけど、ちょっとも雨が降らへんもんで、こうなったら最後の手段やてって心に決めんさったそうやなも。 その日の夜うさ、お姫の井戸の底でなんやらめらめらと青い火が燃えておって、そのくろにうずくまって祈ってござる黒い人影があったげな。それが五兵衛さまやったんやなも。不浄場の板とごみを持ってきて燃やしてござったんや。 次の朝に「雨や!」と叫ぶ誰やらの声で五兵衛さまが外に飛び出してみると、西の空に広がっちょる黒雲からばらばらと大粒の雨が降ってきたんやなも。やっとかめの雨で、村の人んたぁはずぶぬれになって両手をふって狂ってまったと思うくらい喜んじょった。 ほんやけど大雨は三日三晩降ってもまんだ止まへん。長良川は大洪水になってまってあちこちで堤防が切れて家や田畑が水びたしになったり流れたりしてまった。きっと龍神さまが怒らしたんやなも。ひたすら龍神さまに謝らっせる五兵衛さまは、いっくらなだめても川のくろから動きんさらへなんだ。 やっとこさ雨は止んだけど、そのあと五兵衛さまが帰っておんさらへん。あのどしゃ降りの中、ふらふらと濁流に近寄ってかっせる五兵衛さまを見たと言う仁もおったげな。 それからというもの、村の人んたぁでお姫の井戸にしめなわをはって、毎年八月一日には龍神さまと五兵衛さまをまつる川祭りを盛大にやるようになったんやなも。 現在、川の流れもかわって、瀬も渦もない静かな流れとなり、舟もなくなったので川祭りは花火大会となりましたが、長良の清い流れはかわらず、お姫の井戸の姿もそのままです。 |
小倉山のふもとに、吾助という若者が寝たきりのばあさまと二人で住んでおった。ある日「なあ、吾助。おらの葬式のときにはお姫の井戸でお膳とお椀を借りるじゃろうが、返すときにゃよう洗って一つも無くさんように返すんじゃぞ。」と言い残してばあさまは死んでしまった。 吾助は悲しんでもおれず、葬式に使うお膳とお椀を借りにお姫の井戸に行って一心にお願いをした。「ばあさまが死にました、葬式をしますのでお膳とお椀を貸しとくれんさい。」しばらくすると乙女の声が吾助を呼んだ。「お前の名は。」「吾助といいます。」「よろしい。三日あとの朝、ここへ来なさい。」 吾助は三日あとの明け方近く、井戸の前に立った。井戸から白い着物の乙女が姿を見せて、お膳とお椀を貸してくれた。葬式がおわって、借りたお膳とお椀をばあさまに言われたとおりひとつひとつていねいに洗ってきちんと箱に納めて井戸へ返した。 それから三年たって吾助は嫁さをもらうことになった。前と同じようにお姫の井戸にお願いをして、三日あとの朝、井戸の前で待った。今度も白い着物の乙女が現われた。「これ吾助よ…。三年前に貸したときには、きれいに洗い一つも間違いのう返してくれました。今度は竜宮で一番上等のお膳とお椀を貸すことにしましょう。大切に使うように…。」そのお膳とお椀の立派なこと。婚礼によばれた客はもちろん、嫁さも金、銀、珊瑚をちりばめたお膳とお椀の立派さに驚き、婚礼も盛大にすんだ。 吾助は祝言がすむと、前の百倍もきれいにしようと湯を沸かして洗い始めた。すると嫁さが「おまえさまあ、やめやあ。男が台所になどおりるもんじゃないですよ。私がやりますから。」「それもそうじゃな。」 それから半年たったある日。小屋に入った吾助はびっくらこいた。返したはずのお膳とお椀がきちんと積まれ、その横で嫁さがお金を数えているではないか。「これはどうしたのじゃ。」「お膳とお椀を貸してな、ほれ、こんなにお金を手に入れたし、ええ布団も着れたし、うまいもんも食えた。おまえさまも悪くないでしょうが。」嫁さに言われて、むりに返せとは言えずそのままにしていた。 ある日、村の貧乏な家のじいさまが死んだ。息子の与一も井戸へ行ってお願いをした。すると井戸の中から声がして「もう村の誰にもお膳とお椀を貸すことは出来ません。正直者の吾助さえ返しませんでした。」乙女はそう言って、二度と井戸から姿を見せることはなくなった。 それからいつとはなしに、『吾助は竜宮のお磨とお椀を盗んだ』『それで村にお膳とお椀が借りれんようになった』とみんなが言うようになった。その時から吾助のお膳とお椀を借りるものはいなくなったということじゃ。 |