2002年


2月9日 夢の終わり、そして始まり

 14回目のこの日がやってきた。
 時の流れの速さを痛感するばかりだ。
 相変わらず、私の頭の中は『指輪物語』一色である。2002年に入ってから今日に至るまで手塚関連ページの更新を一切しなかったという、このサイトを始めてから2番目に長いブランクが生じてしまったのはそのせいだということにしておきたい。

 さて、すっかり旧聞に属する話になってしまったが、やはり書いておかねばならないと思う。
 昨年末に「手塚治虫ワールド」の計画が難航しているという話題に言及したが、年明け早々、正式に計画が白紙に戻ったというニュースがもたらされた。
 昨今の景気の低迷状況から考えれば当然のこととはいえ、やはり特別な感慨も湧く。「人と自然との調和」などという取ってつけたような設立の理念を掲げたことに無理があったのは間違いがない。そんな嘘っぱちが通用する時代ではないのだ。2005年に開催されることになっている愛知万博の迷走ぶりを見れば明らかだろう。
 いっそ、以前に私がここで否定したような方針で、徹底的なエンターテインメントを目指すべきだったのかもしれない。大多数の人が東京ディズニーリゾートやUSJなどのテーマパークに何を期待するかといえば、ひとときの「現実からの解放」なのではないかと思う。そこへ「今晩のおかず」の話題なんかを引っ張り出されては、気分に水を差されてしまうに違いないのだ。むろん、「人と自然との付き合い方」が真剣に考えねばならない問題であるのは論を待たない。しかし、それを異世界であるテーマパークで考えさせようなどというのは無意味だ。現実世界でこそ深く見つめるべきものなのだから。

 いずれにしても、ひとつの夢は終わりを告げた。そして、同時に、何かが既に始まっているはずなのだ。これから、その何かを見つけにいきたいと思う。


5月29日 「どろろ」の裔

 5月28日付けの朝日新聞朝刊。
 第6回手塚治虫文化賞の選考結果が「新ヒーロー待っていた」との大見出しをつけられて掲載された。
 大賞は井上雄彦の『バガボンド』。これはある意味当然の結果だといえるだろう。(もちろん、私は原作である吉川英治の『宮本武蔵』のほうが何倍も好きだが…。)

 で、優秀賞に選出されていたのが三浦建太郎の『ベルセルク』である。
 この作品に絡んでは、過去に2度、このページで取り上げたことがある。(1回目及び2回目)
 今回、久しぶりにこのページを更新する気になったのは、新聞に掲載された三浦建太郎の受賞コメントがあまりにも印象的であったからだ。曰く
「手塚作品で一番好きなのは「どろろ」。かなり影響を受けてますね。」
 以前に私が推測したことが作者自身によって断言されてしまったのを目の当たりにして、正直なところ拍子抜けした。
 だが、ここは素直に喜んでおきたい。
 ガッツが百鬼丸の末裔であることがはっきりしたのだ。
 私にとってのガッツは、決して「新ヒーロー」ではありえない。
 永遠に去ってしまった百鬼丸の面影をガッツに重ねながら、新たなる『どろろ』の物語を読み続けていきたい。
 そんな気持ちを新たにさせられたニュースであった。


9月23日 アトム復活、その足音

 もうずいぶん前のことになる。
 「アトムドリームプロジェクト」の一翼を担ったイトーヨーカドーが「アトム生誕の日」に向けてカウントダウンTシャツを販売し始めたのは。
 その事実は知りながらも、今ひとつ割り切れないものを感じていた。
 手塚自身の関わらない――関わりようのない――イベントに興味の持ちようがない、というのが正直な気持ちだった。

 先日、近くのイトーヨーカドーに行ったときも、敢えて「その売り場を見てみよう」という気はなかったのである。
 だが、たまたま通りかかったそこで、思いもかけないものを目にしてしまった。
 それは、全編を英語の台詞で彩られた『鉄腕アトム』のデモ・ムービーだった。
 アトム、お茶の水博士、アトラス、そして天馬博士…。馴染みの顔が並んではいても、そこで展開されているのが全て新しく作られたアニメーションであることも、全く未知のストーリーらしいこともすぐに分かった。なにしろ、「アトラスを作ったのが天馬博士である」というような日本語字幕が付されていたのだ。
 しばらくその場に立ち尽くしながら、直感的に理解できた。
 これこそ、現在ハリウッドで制作されているという新生アトムそのものであるということが。
 この、『鉄腕アトム』のハリウッド映画化に関しては、ずっと以前に否定的な感想を書いた。その後、(2001年の公開予定だったはずなのに)ちっとも新たな情報が入ってこないのは、てっきり「興行的に成り立たちそうもないためプロジェクトが暗礁に乗り上げている」のだとばかり思い込んでいた。現段階における手塚ブランドの力はその程度のものであるとの悲観的な見方をしていたのである。最近になって、「契約上、アトムのデザインを手塚オリジナルのものから変えることが許されない」という理由で、実写から全編CGアニメーションに切り替えられたとの「真相」が伝えられても、この思いに変わりはなかった。悲しいことだが、「映像世界における手塚治虫は終焉を迎えている」というのが私の率直な思いだった。
 しかし、ほんの数分に過ぎないデモを見ているうちに、そんな気持ちは吹き飛んでしまった。
 私の愛しいアトムが新たな命を吹き込まれて縦横無尽に動き回っている!
 それを自分の目で確かめないでどうしようというのだ…。

 このところ「アトム」関連の動きは慌ただしい。来春のTVアニメ放送に向けて声優オーディションが実施されるとも聞く。
 できることなら、古くからのファンの期待を裏切らないでほしい。それを望むべくことがないのは承知しながらも、強くそう思う。
 2003年4月7日まで、あと200日を切った。


9月28日 奇妙な資料を前に

 この8月、貴重で奇妙な1冊の本が刊行された。
 その名も『手塚治虫の奇妙な資料』。
 ほんとうに長い間待たされた1冊である。私がこのサイトで何度か話題にしている名著、『手塚治虫の奇妙な世界』が単行本化された直後に、同書の版元であった奇想天外社から刊行の広告が出されて以来、実に四半世紀を経ての刊行であったのだから。
 雑誌連載からの単行本化、あるいは再単行本化に際して、手塚がどのような改変を加えたかが多くの図版によって一目で分かるという内容で、それだけでも古くからのファンにとっては拍手喝采するしかないところ。そのうえ解説の文章が出色のできばえで、著者の博識ぶりに脱帽なのである。25年も待った甲斐があったというものである。
 唯一残念なのは、取り上げられている作品が少なすぎることぐらいなのだが、著者の弁によると「続編の予定あり」とのこと。それもそんなに長くは待たされなくてもすみそうで、早ければ来年にも『鉄腕アトム』特集の形で出版されるかもしれないというのだから、期待も膨らもうというものだ。本書が好評のうちに版を重ねてくれることを願うばかりである。(少なくとも私が本書を見かけた本屋では2週間で5冊の在庫が消えていたが…。)

 余談ながら、本書において巻頭に取り上げられた作品『スーパー太平記』には奇妙な思い出がある。掲載誌「少年画報」のクライマックス場面――ちょうど本書で図版が採録されている「駒助とドラキュラの対決部分」――の載った号を、家の近所の路上で拾って読んだ 記憶があるのである。同作品は昭和33年から34年に連載されたということなので、あるいは私の初めての手塚体験であった可能性もあるのだ。(手塚漫画原体験についてはこちらで述べた。)ただ、この拾い読みは小学校への登下校の途中であったような覚えがあるので、おそらくは発行から何年か経って廃品として出されたものを偶然に手に入れたのだと思う。読むだけ読んですぐに捨ててしまったら しく、その後その本をどうしたか定かではない。肝腎のストーリーのほうもうろ覚えであるにもかかわらず、やけどを負った駒助の姿だけは妙に生々しくまぶたに焼き付いた。
 本作品との出会いはそれきり忘却の彼方に去った。当時は、これが手塚作品であるという認識も薄かったのではなかったかと思う。ところが、それから10何年も後に講談社の手塚全集の刊行リストで本作の名前を見た瞬間、このときの記憶がまざまざと蘇ってきた。人間の記憶というのは実に不可思議なものであると思う。


11月3日 マンガの日は何処?

 この日は、今さら言うまでもない手塚治虫の誕生日である。
 ということで半年ぶりに手塚治虫記念館を訪れた。
 開館直後に館内に入り、午前中ずっとうろうろとしていた。ここ最近ではかなり人出が多かったほうであるように感じた。その中の何人が「今日」を意識していたかは定かではないけれど。
 企画展は「馬場のぼるの世界」であった。よく知られているように、馬場のぼるは、生前最も手塚と親しかった漫画家であり、手塚の葬儀に際しては弔辞を述べた人物でもある。代表作である「11ぴきのネコ」を中心にした展示であったが、飾られていた原画のほのぼのとしたタッチに思わず見とれてしまった。手塚作品にもよくゲスト出演していることでも名高い。(重箱の隅をつつかせてもらうと、展示されていたゲスト出演作の原画の説明に『鉄腕アトム 白熱人間の巻』とあったのは誤り。正しくは『鉄腕アトム 地球最後の日の巻』である。)

 実は、この日を選んで訪問したのにはもうひとつの理由があった。それは、しばらく前に日本漫画家協会の会長であるやなせたかしが「11月3日をマンガの日に制定する」旨の発言をしていた事実を覚えていたからである。やなせの頭の中に、この日が文化の日であると同時に手塚の誕生日であるということがあったかどうかはともかくとして、なにやら「われわれは漫画を愛し、平和を愛す」とかいうような、ごたいそうな発言をしていたことが記憶に残っていた。という次第で、ひょっとしてそれに関わる展示なり表示なりがあるかもしれない、などと思っていたのだった。だが、期待はみごとに空振り。館内には「マンガの日」のマの字もなかった。
 それどころか、当日も、翌日である4日も、テレビや新聞はおろかインターネットですらも「マンガの日」に触れているような記事を見かけもしない状態。結局のところ、打ち上げ花火に終わってしまった企画であったらしいことが分かってきた。と、同時に奇妙な安堵をも覚えていた。
 マンガが日本を代表する「文化」であることは間違いがない。しかし、一部の年寄りが好んで用いるような「文化」とは一線を画していてこそマンガの存在価値があるはずだ。残念ながら、上のやなせの発言にはその大切な一線を踏み越えてしまった者の放つ臭いが漂っているように思う。こんなお題目ばかり唱えるようになってはおしまいである。その意味では、「マンガの日」などというものが盛り上がらない現状のほうが健全なのだといえるのだろう。

 さて、話を記念館見学に戻そう。2階に設置されたアトムの模型の上のカウントダウン時計はアトム生誕まであと「152日」を示していた。
 来年の4月7日。
 こちらのほうは、きっと企画倒れに終わらないイベントが開催されるものと期待する気持ちになった。
 館内には着ぐるみのアトムが出没。パートナー氏はちゃっかり記念撮影をさせてもらっていた。さすがである。


11月12日 三つ目族会議開催?

 久しぶりのおバカネタである。
 話は11月2日にさかのぼる。
 私とパートナー氏は琵琶湖近辺でコンビニを探してうろうろしていた。一泊旅行の宿泊先が「飲食物持ち込み可」であるのをいいことに、その夜の夜食なんぞを買い込もうとしていたのだ。程なく、「セブンイレブン」を発見。駐車場に車を入れながら、私の脳裏にとある記憶が蘇ってきていた。このチェーン店で手塚関連のフィギュアが売られていて、それもなかなかのできばえであるという話である。(全国第1位のコンビニ・チェーンである「セブンイレブン」も、私の地元に限っていえば、マイナーな存在である という事実をお断りしておかねばならない。)
 買い出しのほうをパートナー氏に委ねて、私はついつい「それ」を求めて店内を歩いていた。その結果、サンプルとして『ジャングル大帝』のフィギュアがディスプレーされてい るのをすぐに見つけることができた。 それを見る限り、噂どおりのできである。
 パッケージから、正式には「手塚治虫ミニヴィネットアンソロジー」という名前の商品で、発売元はムービックという会社であることを確認。『ジャングル大帝』の他に『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『W3』『リボンの騎士』があり、全部で5種類になるということも明示されている。
 しかし、こういう商品の常で、肝腎のフィギュアのほうは7センチ四方の立方体の箱に入っており、さらに青いカプセルに収まっていて中身は全く見ることができない。 要するに、5種類のうちのどれが入っているかは、買ってみなければ分からないということだ。どうしようかと迷っていると、パートナー氏が近づいてきた。彼女はサンプル商品をひと目見るなり気に入ってしまったようで、即座に 、
「これは買うしかないでしょう!」
そう言うと、30個ばかりはあった商品の中から、まるで透視術を用いるかのように慎重に品定めを始めた。彼女の狙いはもちろん『ジャングル大帝』である。なにしろ、 この目で見たものが好きな人間なのだ。とはいえ、一応は私への気遣いもあるらしく、
「あなたは何が出るといいの?」
と、尋ねるのは忘れなかった。私は写楽クンのファンなので『三つ目がとおる』を希望しておいた。あんまり念力をかけても仕方がないとは思いつつも、まあ、5つも買えば3種類ぐらいまでは揃いそうな気がしていたのは事実だ。 結局、彼女は5個のパッケージを選び出した。
 さて、宿に帰って入浴と夕食を済ませる。
「楽しみは後に取っておかなきゃね。」
とか言いつつ、食事場所から部屋に戻るときのパートナー氏の気合いの入り方は普通ではなかった。

 部屋に入るなり、いよいよ開封の儀式である。カプセルの堅固さに苦労しながら、一つ目が開けられた。なんと、いきなり写楽クンの登場である。パーツを組み立てると、赤いコンドルを手にして椅子にふんぞり返った暗黒街のプリンスの雄姿が現れた。ヒョウタンツギなどの小物に至るまで非常に精緻に再現されている。この世界では有名な海洋堂が企画に関わっているだけのことはある。
これが1個250円なら安い!!

 ひとしきり二人で感動に浸ったあと、2個めを開ける。パートナー氏の軽い失望の声。再び写楽クンの登場だ。まあ、これだけ出来がいいんだから文句は言うまい。

 3個めでボッコ、プッコ、ノッコの3人組が登場。思わず『W3』のテーマソングを歌う二人。ほほえましい姿で ある。

 4個め。開けた瞬間のパートナー氏の表情を、私は忘れられない。もちろん、出たのは写楽クンである。

 さあ、いよいよ最後の1個である。パートナー氏はなにやら怪しげな言葉を吐きながら開封作業に取りかかった。
「これで、もしまた写楽クンが出たら、私は断固抗議するからね!」
どこに抗議するというのだ、あんたは。これがこういう商品の常識なのだよ。たとえ、30個全部買い占めた結果が全て写楽クンであったとしても文句なんか言う筋合いはないのである。とか思う暇もあらばこそ、開いたカプセルを投げ出すパートナー氏の姿が目に映った。4人目の写楽クンの登場の瞬間であった…。
 しかし、ほんのひとときの沈黙の後、パートナー氏は高らかに宣言したのである。
「明日、箱買いします!」

 

 明けて、11月3日。
 この日は手塚治虫記念館を訪問する予定にしてあったため、一路宝塚に向かった。もちろん、途中でセブンイレブンを見つけたら突入しようとの合意はできていた。とはいえ、琵琶湖から宝塚まではほとんど自動車専用道路一本で行けてしまう。宝塚到着まで、ついにセブンイレブンに立ち寄るチャンスはなかった。帰り道でなんとかしようとの結論に達した 私たちは、まず記念館の見学を優先させることにした。(記念館での出来事は既に上に記したとおりである。)
 だが、神は我々を見放していなかったのである。館内のショップに件の商品がちゃんと置かれているではないか。ただ、コンビニで売られていたものと外箱に若干の違いはあったが。(正確には、包装の仕方が根本的に違っている。コンビニのもの が箱の上部に小窓があって、中にカプセルが入っているのが見えるようになっていたのに対し、記念館のものには小窓がなく、中のカプセルもない。黒いビニール袋に収まっているだけである。前者は不正なサーチ行為を防止するための措置なのであろうと思われる。中に入っているフィギュアそのものに違いはないのでご安心を。)
 迷うことなく箱買いに出る。一箱は12個入り、3000円也。かなり立派な箱に収められていて得をしたような気持ちになってしまうあたりが私たちの能天気なところ。
 さて、その際のパートナー氏と私との会話。
「こんだけ買えば、揃うよね。」
「いや、ひょっとして、このうち10個は写楽クンかもしれん。」
「もし、そうだったら、マジで電話してやるから!」
「その前に、三つ目族会議でも開こう。我こそは悪魔のプリンスなり、お前らみんなノーミソトコロテンだ。」
以下、略。いったい何者だ、私たち。

 その夜、家に帰り着いた私たちは、昨夜と同じく儀式に取りかかる。今回は邪魔なカプセルがないので仕事は速い。

 1個め。パートナー氏は黒い袋の上から触れてみている。すぐに呪詛の声。
「また三つ目クンだ!」
どうやら写楽クンの座っている椅子の形状が分かったらしい。がっかりしながら開封。やっぱりだ。5人目の悪魔のプリンスの見参である。

 2個め。よせばいいのに、また袋に触れるパートナー氏。
「もういいっ!」
6人目の写楽クン登場。これで7分の6という高確率。ほんとに三つ目族会議を開かなくてはならないのか?
 製造元のムービックへ、例の「ピーナッツ」を送りつけることになるのはほぼ決定といったところ。さすがの私も、慰める言葉すらない。冗談半分で言っていたつもりの「10個は写楽クンかも」発言が本当のことになりかけている。

 3個め。例によって袋を手探りするパートナー氏。表情がちょっと緩む。少なくとも7人目ではないらしい。開けてみると、レオ親子の姿が。ようやくパートナー氏の念願は叶ったのである。ちょっとした感動のご対面の時間が過ぎる。 繰り返しになるが、実によくできたフィギュアである。レオの尻尾にまとわりつくルネとルッキオの姿がいい。

 後は開封のスピードが加速。なんと、4個めで『ブラック・ジャック』、5個めで『リボンの騎士』が出て、この段階でコンプリートを達成してしまった。残り7個をどうするかと思案したが、全部開封することに決定。後はほとんどダブりもなく、もう1セットコンプリートできた のである。
 内訳をまとめると、こうなる。
 合計購入個数     17個
 『三つ目がとおる』   7個
 『W3』        3個
 『ジャングル大帝』   3個
 『ブラック・ジャック』 2個
 『リボンの騎士』    2個

 なんのことはない。初日の写楽クン攻撃さえなければ、そんなにデタラメな出方ではなかったのだ。(要するに、パートナー氏の透視術が余計だったということだ…(^_^;))
 そもそも今回の箱買いだけで2セットコンプできていたわけで、これが標準的な構成ならば、むしろ、良心的な封入確率といってもよいぐらいなのではないだろうか。飽くまでも我が家ではこうなったというだけで、
「このHPを参考に箱買いを決行したら、み〜んな写楽クンだったけど、どうしてくれる!?」
なんて言われても困るけれど。
 まあ、もしもそんなことになったら、我が家のように楽しんでください。ほら、我が家のサイドボードの上では、7人の写楽クンが、連日、世界滅亡のための作戦会議を開いてるんですよ。
「オレは悪魔だ。」
「人間なんか滅ぼしてくれる。」
「オレはなんでもつくれるぞ。」
「カッコイー」
「地球上をウンコだらけにしてやる。」
「ノーミソトコロテンだ。」
「オレはバンノーだ。」
「我こそは暗黒街のプリンスである。」
「なにを、我こそが…。」
以下、全員が暗黒街の帝王を自称して譲らず、会議は紛糾。こんなことやってるからボルボックにしてやられちゃったんだよなぁ。

 なにはともあれ、ほんとうにできのよいフィギュアなので、手塚ファンならば買っておいて損はないと思う。正直なことを言うと、私自身は手塚作品そのものにしか興味がなく、関連商品とかを集めようなどという気はなかった。ただ、このシリーズだけは別格。一応、「シリーズ第1弾」と銘打たれているので、売れ行きによっては次があるかもしれない。その際は、迷わず最初から箱買いしてしまうだろうと思う。ただ、いくら小さい――1つの高さはせいぜい7、8センチである――とはいっても、置き場所に困ることになりそうなんだけれど。

 

追記(2002年11月19日)
 この話には、さらにとんでもないオチが待っていた。
 つい先日、別の目的でとあるショップに買い物に出かけた。
 そこで私たちは信じられないものを目にしてしまったのである。
 なんと、このフィギュアの

5個コンプリート・セットが
1250円という
とってもリーズナブルな価格で
売られていたのである。

 ということであるからして、今後、このフィギュアを集めようという方で、なおかつ近くにイエローサブマリンがあるという方は、迷わずそちらに出向かれることをお勧めする次第である。
 嗚呼、脱力。


12月31日 2003年を前に

 瞬く間に2002年も最後の日を迎えた。
 今年は、さすがに話題にするのも気が引ける「私的手塚重大ニュース」については触れずにおきたい。
 とはいえ、あと1日で手塚ファンにとって記念すべき2003年を迎えるわけである。やはり、なにか自分なりの締めくくりと展望を書き留めておかねばと思う。

 今年の話題としては、まずもって『ブラック・ジャックによろしく』と題する医療マンガのヒットについて触れておかねばならないだろう。このタイトルは、もちろん『ブラック・ジャック』を意識してつけられたものである。高額な報酬を得ることの多いブラック・ジャックに対して、本作の主人公は日々の生活にも汲々としている。ここらあたりが、題名に「よろしく」という言葉が付された理由のひとつであろう。何より、『ブラック・ジャック』を読んで医学を志し、実際に医師になったという人たちが少なからず存在することを意識してのタイトルでもあるのだろう。事実、医療関係者の間でもかなり読まれているらしい。
 さて、肝腎の内容はというと、インターンである主人公が大学病院や医療現場の現実に直面しながら自分自身の理想を貫こうとする物語になっており、それなりに読ませる作品ではある。しかし、やはり『ブラック・ジャック』ほどの面白さはないように思う。それは、「現実」を強調しようとするあまりの結果であると、私なりには考えている。
 どこまで行ってもマンガはマンガであって、現実ではない。そのあたりを手塚はよく知っていた。だから、『ブラック・ジャック』中でもずいぶんなデタラメを描いてのけた。(まあ、それなりに批判もされたが。)
 一方で、『ブラック・ジャックによろしく』は、どこまでも現実的である。相当の取材がなされているのだろうと思う。だが、それゆえに決定的な問題を抱えてしまっていると思うのだ。この作品には、マンガである必然性がないのである。つまり、この作品は、小説であってもドキュメンタリーであっても、それなりに面白くなってしまうストーリーなのである。
 このあたり、私の意見に納得されない方も多いだろう。勘違いされると困るので書き添えておくが、私は「マンガはどうしようもない絵空事ばかりを描かねばならない」とかいうつもりはないので悪しからず。いずれにせよ、おもしろい作品であるのは間違いないので、今後も単行本を買い続けていくことになるだろう。

 なんと言っても、来年はアトム生誕の年だ。いろいろなメディアでこの話題が取り上げられるのを目にする機会も多くなってきた。その多くは家庭用ロボットとの絡みで前置きのように使われるだけなのだが、それほどアトムというのが日本人にとって身近な存在であるという証でもある。
 そういえば、明日にはテレビアニメ版の新作『鉄腕アトム』が有料テレビで先行放送されたりもするらしい。(私は見られる環境にない。)
 と、ここまで書いてきて、ここで話題にしたアニメーションは劇場版ではなく、テレビ版の予告だったらしいと気づきながらずーっと放置していたことを思い出したりした。言い訳はともかく、それならば、アトラスを作ったのが天馬博士であるという設定も了解しやすい。連続ドラマ化するには何らかの柱が必要だ。それにはアトムと対極に位置する存在をクローズアップするのが最もオーソドックスな手法である。思えば、以前のリメーク版でもアトラスはそんな役割を担わされていた。お世辞にも成功していたとは言い難かったが…。今回のリメークが魅力的なアトム像を描き出してくれることを期待したい。
 おそらくアトム生誕年に関わってであろう。1月の末から手塚治虫記念館もリニューアル休館に入るらしい。どんなふうに再開されるか、今から楽しみではある。

 さて、ほんとうに2002年も終わりである。来年こそはもう少しまともに手塚道に励まなくては、と思う。
 夢であれ、現実であれ、どんな「アトム」が生まれるのかをこの目で確かめたいとも思う。