2000年 その1


1月1日 こころにアトムを

 2000年1月1日。
 新たなる千年紀の始まりである。

 世の中の浮かれぶりを、敢えて醒めた目で見るように努めながらも、やはり特別な感慨を抱かないわけにはいかない。
 物心ついたころから、私にとって「西暦2000年」――正確には1年後に迫った2001年、すなわち21世紀をとらえるべきだが、正直な話、区切りとしては2000年のほうがなじみやすい。そもそも、21世紀が2001年から始まるという事実を私が定かに知ったのは大学生のころだった(~_~;)――は、「遥かな未来にある、輝く科学の時代」というイメージで認識されていたからだ。
 私の心の中で西暦2000年はまさに「夢の世界」だったのである。
 そう……。
 だから、鉄腕アトムは少年時代の私のヒーローになりえたのだ。そして、「あんなロボットが自分の友達であってくれたら」と真剣に願ったのだ。
 今の私には――当然ながら――どうしたところで現実世界にはアトムが存在し得ないことが分かっている。やはりアトムは「夢の世界」の登場人物でしかない、と。
 同じ言葉の内実の、このあまりの落差!
 前者にはあふれんばかりの希望が詰まっているのに、後者には「絵空事」という響きしかない。
 それは、ひとつには私自身が相応に歳をとったことに原因があるのだろう。そして、なによりも、科学の負の面ばかりが突出する現代社会のありように起因するのだろう。
 確かに科学は進歩した。ロボット技術だけをとってみても、数年前に完璧な2足歩行ロボットが誕生し、昨年はロボット愛玩犬が家庭向けに発売された。今後もこの分野が長足の進歩を遂げるのは間違いない。しかし、それが直接アトムにつながるものでないこともまた誰もが知っている。
 今生み出されている「彼ら」には「こころ」がないからだ。
 現実社会において「こころ」を持ったロボットが必要とされていないのは厳然たる事実だ。我々が経済効率や利潤を追求し続けるかぎり、その方向性に変わりはないだろう。

 だが、と思う。
 アトムはほんとうに必要ではないのだろうか?
 「こころ」のない科学には希望もない。それは、我々が20世紀のうちに目の当たりにした――あるいは自らが演出してきた――現実が証明している。
 そんな今だからこそ、科学の営みに「こころ」が必要とされているのだ。科学が万能ではないことが明確になった今だからこそ、アトムは飛翔せねばならないのだ。

 アトムは現実には生まれ得ない。
 ならば、せめて、私は「こころ」にアトムを抱いて生きていきたい。
 あわせて、それぞれの人がそれぞれの「アトム」をこころに抱いて、新たな千年紀に立ち会ってくれることを願わずにはいられない。

 

追記
 今回のタイトルは、もちろん『こころにアトム』(手塚るみ子著・1995年2月28日、カタログハウス刊)から拝借させていただいたものである。悪しからず。
 そして、本年も「非科学省」をよろしくお願いいたします。

2000年1月1日  管理人 拝

 

更なる追記
 なにもやることのない元旦。ごろごろしながら本など読んでいて、たまたまテレビをつけてみた。ジャストタイミングで手塚治虫の名が。どうやら、そのテレビ局の調査で「20世紀を代表する人物」の第1位に選ばれたということらしい。他のベスト10の顔ぶれを見ると、錚々たる政財界の大物やらなんやらが名を連ねていた。それらを押しのけての堂々たるトップである。
 当然といえば当然の結果である。その場は、ようやくそれが分かってもらえたのか、などととぼけたことを考えていた。しかし、同じ番組内で「20世紀を代表する女性歌手」の第1位が宇多田ヒカルだったと知って力が抜けた。そりゃ失礼というものだよ。彼女は21世紀を代表する歌手になってくれなきゃいけないのに…。
 というわけで、先の手塚治虫のトップ獲得の興奮もいっぺんに冷めてしまった。
 所詮、テレビというメディアの限界はこんなものなのだろう。年齢層のバランス、時代に与えた影響などといった材料を考慮したとは思えない――公平性の明確でない――アンケートにはなんの価値もない。一瞬といえども踊らされた自分が情けない。
 ま、誰がなんといおうと、やはり手塚治虫は偉大である。その事実が変わるわけではないのだからよしとしよう。(2000年1月1日午後7時付記)


2月9日 2月9日を国民の祝日に!

 2000年2月9日。
 「あの日」から11年。
 今日を迎えるにあたって、ずっと以前――1995年の秋である――、「まんだらけ」社長・古川益三氏が「2月9日を国民の祝日に!」と提唱していたことを思い出さないわけにはいかなかった。
 20世紀後半の日本文化形成に多大な影響を及ぼした――この事実は誰も否定できないはずだ――稀有の天才。文化を創り出すために生まれてきた人物であると断言しても過言ではないと思う。その命日である2月9日が国民の祝日となるならば、名称は「文化の日」こそがふさわしい、などと先走ったことを考え始めたとたん、重大な事実に思い当たってしまった。
 手塚治虫は11月3日生まれであったのだ!
 今ごろ気づく自分も愚かではあるが、我が日本国は、とっくの昔に、ちゃんと手塚治虫生誕日を国民の祝日としてくれていたのだ。ならば、あえて「文化の日」制定の――表向きの!――理由などにこだわる必要もない。我々のほうが、素直に11月3日を「手塚治虫を記念する日」として受け容
れてしまうだけのことだ。
むろん、2月9日を国民の祝日にする必然性も薄らぐ。

 この日は
 心静かに
 我が偉大なる父
 そして
 その遺産である諸作品に
 思いをはせる日……
 ――それでよい

 そんなふうに思いつつ、今夜も物置部屋に手塚本渉猟に出かけることを固く心に誓う――力むなよな…(~_~;)――私であった。


2月12日 アッチョンブリケ

 ここしばらく、『ブラック・ジャック』を読み返していた。
 ノートと鉛筆を用意し、ちまちまとピノコの全台詞を書き出しながら。
 もちろん、「ピノコ語」を検証するつもりだったのだ。
 1週間ほどかかって、ついに全ての書き出しが終わった。…だが、やはり大したことは見えてこなかった。

 ファンには当たり前過ぎて今さら解説するのも恥ずかしい話ながら、彼女独特の舌っ足らずなしゃべり方には、一応の法則がある。

変       化 用例(標準語――ピノコ語)と引用エピソード名
「さ・し・す・せ・そ」
「ちゃ・ち・ちゅ・ちぇ・ちょ」
アクサリー ―― アクチェチャイ−  「ハッスルピノコ」
お話 ―― お話  「めぐり会い」
ごーい ―― ちゅごーい  「六等星」
ゆるしまんっ ―― ゆうちまちぇんっ  「灰色の館」
よ ―― うちょよ  「誘拐」
「だ・で・ど」
「ら・れ・ろ」
め ―― め  「ピノコ・ラブストーリー」
イ ―― レイ  (頻出)
うしたの ―― うちたの  (頻出)
「ら・り・る・れ・ろ」
「や・い・ゆ・え・よ」
いってっしゃい ―― いってっちゃい  「ハッスルピノコ」
 ―― トイ  「コマドリと少年」
あげ ―― あげゆ  (頻出)
い ―― きい  「シャチの詩」
したの ―― こちたの  「誘拐」
「つ」「ちゅ」 かえる ―― ちゅかえる  「肩書き」
決まった言い方 おくさん ―― おくたん  (頻出)
しゅじゅつ ―― しうつ  (頻出)
法則外 ばばっちい ―― ばらっちい  「ときには真珠のように」
すごく ―― すろく  「六等星」
カンタン ―― タンカン  「水とあくたれ」
はじめて ―― はじゅめて  「めぐり会い」
だんだん ―― たんらん  「ときには真珠のように」
語尾 「…わのよ」「…よのさ」「…のよさ」のいずれかが、文末表現に応じて付く。

 もちろん、上はあくまでも基本形であって、調べていくといくらでも例外は見つかる。 また、ピノコ登場初期のエピソードでは、彼女の言葉にはそれほどひどい癖はない。(文庫版17巻に収録されている「ピノコ再び」あたりを参照していただくのがよいだろう。)
 ほんとうは全台詞を掲げるべきだろうが、いくらなんでもそれだけの体力は…(~_~;)

 さて、いずれにせよ、だいたいのピノコ語は上のような原則を踏まえて読み替えていけば標準語になる。ところが、どうにも理解できなかったり、あるいは連載当時の事情を知らないと分かりにくかったりする、まさに謎の言葉もあるのだ。(2003年8月20日補筆)

言     葉 エピソード 考察(になっていない私見)
アッチョンブリケ
(アッチョ、アッチョンなどの変化あり)
「報復」で初使用。全24話で32例
(別表参照)
 初めて使われたエピソードの中で、ピノコ本人が「ピノコがつくったことば」と明言している。
 「アッカンベーの変形である」とする説があるが、使われている場面から推測すると、どうやらそれは当てはまらない。ことのよしあしにかかわらず、ピノコがなんらかの感銘を受けたときに発する言葉である。「人生という名のSL」での使用例が典型的なものである。
 また、あの有名な「ムンクの叫び」ポーズとの関連性も意外に希薄である。
しーうーのあらまんちゅ
(しーうのあらまんちゅ、しーうえのあらまんちゅ、アラマンチュなどの変化あり)
「殺しがやってくる」で初登場。全7例
(同上)
 別表から、1976年あたりから使用され始めたと推測できる。
 ずっと以前に某掲示板で話題になり、「シー・ユー・アゲイン」の変形であるとの説が披瀝されていた。いかにも英語っぽい響きを持つ言葉である。しかし、「しーうー」が「シー・ユー」であるのはよいとして、「あらまんちゅ」と「アゲイン」を結びつけるのはいささか無理があるような気がする。
 掃除の最中にピノコが口ずさんでするところから判断して、何かの流行歌の一節ではないかとも思ったのだが、初出から6年以上経った1982年掲載のエピソードにまで使用されているので、流行歌とは考えにくいかもしれない。
あちーのぷあんさー 「ハッスルピノコ」  これも鼻歌のように歌われている。私には全く解読できない。この際、上の2つとともに「ピノコ3大謎のメッセージ」と名づけたい。
トンデモデレデのテッチョーブクロ 「ピノコ生きてる」  ピノコが自分の姉をののしって発する言葉である。前後の関係からそうした雰囲気はつかめるものの、「テッチョーブクロ」とはなんのことなのだろう?
 この台詞のあとに続く「どこの人かわかんねー あのウマノクソ……」というのも、ずいぶんな迷言ではある。
ユーツらわのさ 「二人三脚」  掲載(1977年)当時の事情が分からない人には意味不明かもしれない。「ルーツ」というテレビドラマを話題にしているのである。
 私もこのことはすっかり忘れていて、某チャットで話題になったことで思い出せた。
先生の宍戸錠! 「二人三脚」  「これが分からないなんて、モグリB・Jファンよ!」という罵声が聞こえてきそうである…(~_~;)
 ――もちろん、「ふざけんじゃねーっ!バカヤローッ!」という意味ですよね、主様m(__)m。
 しかし、分からない人には分からないだろう。
 ちょうどこの話が掲載されたころに宍戸錠がブラック・ジャックを演じた映画『瞳の中の訪問者』が公開されていたのである。ま、今となっては伝説(忌まわしき思い出とおっしゃる方も多い)なのだが…。

 「ピノコ3大謎のメッセージ」に関しては、実はずいぶん前から格闘していた。今回の試みを経ても、いまだ謎は解けないままだ。(どなたかこれぞという解答をご存知だろうか?)

 結局、これらは手塚治虫の遊び心が残した謎であって、もし仮に我々が直接手塚治虫に「アッチョンブリケ」の秘密を質す機会があったとしても、手塚は柔和な笑みを浮かべながら「それは読者が考えてよ」などと答えるような気がしてならないのだ。
 そうそう、ピノコは出てこないエピソードなのだが、あまりにサムイ駄洒落にアゴがはずれそうになってしまった場面がある。(文庫版第10巻所収「アヴィナの島」の20ページをご覧いただきたい…)
 ヒョウタンツギといいスパイダーといい、こうしたどうにもならない駄洒落といい、手塚治虫の照れ隠しのセンスは尋常なものではないといえそうである。もちろん、これも手塚作品の大きな魅力のひとつになっているのは間違いない。


3月10日 BJ讃歌 序

 ブラック・ジャック氏に恋をしている人は多い。
 あれほど魅力的な男に惹かれないほうがどうかしていると、私のような中年男ですら認めざるを得ない。
 では、いったい、彼の魅力とはなんなのだろう?

 まず第一に、彼がアウトロー(無法者)であることを挙げねばならない。
 彼は、自分の信じる道を進むために法律を犯すことも厭わない。彼が作品中で数々の触法行為を犯していることは皆さんもご存知だろう。(そもそも無免許医であることが最大の触法行為であるが…(~_~;))
 我々は例外なく「法」に縛られている。国が定めた法律ばかりではない。自分が身を置く組織や地域社会の中に存在する小さな「掟」の類いにまで。
 それを破ることで――たとえば自分の地位やプライド、虚栄心といったものに不利益を生じさせるような「掟」の、なんと多いことか。その「掟」の前にあって、事の善悪は、ときとして二の次になってしまう。昨今世上をにぎわせている警察組織の不祥事も、そんな「掟」が生み出した悪しき必然といえなくもないだろう。
 閑話休題
 ――しかし、我がBJ氏は平然とそれらを切り捨ててしまうのだ。抜群の技術に裏打ちされた正義感をもって。そうした技術も信念をも持たない我々は、往々にして「掟」の前にひれ伏してしまう。たとえ、それが間違いだと分かっているにしても。そして、己の不甲斐なさに対する嫌悪感にさいなまれたとき、BJ氏の後ろ姿にわずかな救いを見出すことになるのだ。

 第二には、彼の思想の明快さがある。
 「命は何物にもかえがたい」という、非常に分かりやすい信念のもと、彼はメスを振るう。
 これほどはっきりと「命の大切さ」を語り得た人物を私は知らない。初登場から25年以上を経て、なお新たなファンを生み出し続けている最大の理由は、ひょっとしてここにあるのではないだろうか?
 真面目さを軽んじるような風潮の中、我々は、非常に回りくどい言い方でしか「命」や、それにまつわる「人間愛」を語れなくなってしまっているように思う。今、改めて読み返してみると、BJ氏は、そんな我々の心にまでメスを突き入れようとしているようにすら見えるのだ。


3月11日 愛弟子へ

 2000年3月11日。
 我が愛弟子の結婚式の日。
 それと手塚治虫と何の関連があるのかって?
 あるんですよ、それが。

 彼は、我が手塚治虫資産の唯一の伝承者――すなわち、私の所有する手塚治虫関連書籍の全てを譲渡することになっている人物なのだ。
 1970年代以降に出版された手塚本の全て、おそらく2000冊に近い――もはや数える気にもならない――我が資産(興味のない方には単なるゴミでしかないだろう(~_~;))を彼に託したいと、ずっと以前から考えていた。本人には既にその意思を伝えてあったのだが、今日の披露宴の席で改めて公言してきてしまった。彼ならば間違いなく有効に利用してくれるに違いないと信じるからである。
 てんぷら氏よ!すぐに引き渡すことは難しいとは思う――なにせ、まだ未練があるので――が、快く引き受けてもらいたい。

 披露宴では述べなかったが、『どろろ』のビデオを見せてくれるためにわざわざビデオデッキまで抱えてやってきてくれた君――と、その仲間――の姿を、私もパートナーも、決して忘れることはないだろう。
 ほんとうにおめでとう!
 今日は「恩師」などという肩書き
を奉られてしまったけれど、これからはぜひとも「友人」という立場でおつきあいを願いたい。

追伸
 ピンバッジとメダル、そしてBJ限定BOXに関しては、今のところパートナー氏が手放したがらない。説得工作は鋭意継続するつもりだ。
 さて、そのパートナーだが、てんぷら氏夫人とお友達になりたい!と、しきりにのたまっている。迷惑な話だろうが、一度ぐらいは付き合ってやってくらはい(^o^)丿


3月26日 「マグロ男」の恐怖

 狼男は怖い。ねずみ男はセコイ。蝿男は恐怖映画。ハエ男は森高千里。タタミ男は筒井康隆。
 しかし、いったい何だ?「マグロ男」って。少なくともあんまり怖そうではない…。
 実はこれ、かなり以前に某
手塚関連サイトで話題になっていたもの。
 熱狂的なファンならば笑って済ませられないかも知れない。これはほかならぬ「間黒男」を読み違えた典型的な例なのである。
 「間黒男」は、いうまでもなくBJ氏の本名である。だが、最初からこの名前があったわけではない。『ブラック・ジャック』が長期連載となってやむなく生み出された、相当いい加減なシロモノなのだ。
 すなわち、BJ氏のいでたちが全身黒ずくめであることから「真っ黒な男」。「真」では名前にできないため同音の「間」の字を当てて「間黒男」のできあがり、というわけ。
 そもそも手塚治虫の作品にはでたらめなネーミングが多い。我がブラック・ジャックも例外ではなかっただけのことである。
 パートナーであるピノコが「ピノキオ」から命名されたことも有名な話――「ふたりのピノコ」の中で明らかにされている――だが、この他『ブラック・ジャック』は珍名・奇名のオンパレードである。
 ということで、その一覧を作りかけたのだが、あまりの量の多さに別ページを用意することにした。こちらをご覧いただきたい。

追記
 本日、ようやく『ブラック・ジャック限定BOX』を手に入れた。納得の内容だったが、私にとってはあの「箱」がいちばんの値打ちものに感じられたりして(^o^)丿…。 


4月1日 それを聞きたかった

 2000年3月31日。
 TBS系列で『ブラック・ジャック』のTVドラマが放映された。
 「手塚治虫自身がかかわってていないものは手塚作品ではない」というのが私の基本的な考えである。したがってこの番組についても、手塚作品がどのように脚色されているかを確かめてやろうという気持ちが全てであった。

 ピノコが双子…フムフム。
 BJ、教会に出没…へへえ。
 BJ、機械オンチ…なるほど。
 BJ、アヤシク女性に迫る…ふふん。

 こういう姿勢で見ながら、ずっと待っていたものがあった。それは、BJの決め台詞だ。原作に出てきたBJの言葉が使われないはずはない。
 そして、それはエンディング近くでついに飛び出した。物語半ばで予想していたとおりの言葉。すなわち、「おばあちゃん」(秋田文庫版第2巻)の、例の言葉である。

「それを聞きたかった」

 私は確かに原作BJの言葉を待ち望んでいた。ところが、それが現実のものとなった瞬間、皮肉なことに、このドラマの欠点が決定的になってしまったように感じた。BJの決め台詞がわざとらしく聞こえたからだ。
 少年が「生きる」決意をしたのは、自分の胸の中に母親の心臓が脈打っている事実を知ったことがきっかけである。これはまさに手塚的「泣かせ」の演出である。しかし、視聴者である私は、彼の決意に寄り添うことができなかった。なぜなら、彼を生き長らえさせたのが母親の心臓であるというオチがそれ以前に明らかにされてしまっていたからだ。
 なぜ「母親の最後の願い」の場面をあんなふうにストレートに描いてしまったのだろう?あらかじめ用意されたネタばらしのうえにBJの言葉を聞かされたら、くどさを感じないわけにはいかないではないか。母親にあそこまではっきりしゃべらせたのは演出上の失敗であったように思う。
 もちろん、たとえ母親の最後の場面がぼかして描かれていたとしても、BJファンには容易に予想がつくような展開である。だからこそ、「何度もそれを聞きたくはなかった」というのが、私の気持ちである。

 と、まあ、けちをつけないではいられない私であるが、「ドラマ自体としては面白かった」というのが偽らざる感想だ。パートナー氏は「連続ドラマ化してもいいんじゃない?」とのたまっていた。「加山版BJ」の悪夢を振り払うためにも、それはいい考えかもしれない。たぶん、無理でしょうけどね(~_~;)

 

追記
 実は、昨日から京都方面に出かけていた。で、当然のことながら京都手塚治虫ワールドを訪問してみると、いかにも怪しげなアニメーションを上映中。題して「ジャングル大帝/本能寺の変」!!
 私もパートナーも「レオが織田信長の部下として大活躍する」ハチャメチャ・アニメーションを想像してワクワクしちゃったりしたのだが、期待は完璧に裏切られた。なんのことはない。これ、「ジャングル大帝」と「本能寺の変」の二本立て(?)だったのでありますm(__)m
 それにしても、このタイトル、むちゃくちゃ紛らわしいと思いまへんか?


4月25日 石を投げるドロボー

 以前、『どろろ』と『ベルセルク』の類似について述べたことがある。
 今回はその続編とでもいうべき内容になるが、これも厳密には手塚ネタとは言えないかもしれないので、あらかじめお断りしておく。

 さて、本題である。
 『どろろ』の百鬼丸と『ベルセルク』のガッツに多くの共通項が見出せるというのが、先回の結論であった。それに伴って、どろろとパックが「まといつく者」として共通した役割を担っているとも書いた。
 ところがその後、まさに「どろろそのもの」という人物が『ベルセルク』中に出現したのである。共通の読者であるならば、既にお気づきであろう。18巻から新たに登場したイシドロがその人である。
 どろろとイシドロはあまりにも似ている。
 両者ともに、最初は「刀を盗む」という目的で百鬼丸やガッツに接近を図った点。
 はからずも、主人公たちにまとわりつく「妖怪」や「魔物」によって生命の危険にさらされ、それを救われている点。
 奇妙な上昇志向を抱いている点。
 そして、なにより名前の響きが似ている点。これについては、第19巻で披露されるイシドロの特技とも考え合わせておく必要があるだろう。彼は「石投げの達人」なのだ。
 ゆえに、「石を投げるドロボー……ああ!!だからイシドロ」などと、パックに名前の由来を指摘されていたりもする。 そもそも「どろろ」のネーミングの由来が、ドロボーのことを舌っ足らずに「どろろー」と言った幼い子供の言葉にヒントを得ているわけだから、同語源と考えてよい。
 ところで、この石投げ、我らがどろろの特技でもあるのだ。彼女はその抜群のコントロールと威力を一度ならず披露してみせている。

 なんでイシドロのようなキャラクターが『ベルセルク』に登場してきたのかについては、私なりにこう考えている。
 元来、『ベルセルク』という物語の陰惨さを和らげる役どころを担っていたのがパックであった。今でもそういう立場を忘れずに振る舞おうとはしているものの、彼が「物語全体の中で果たすべき大きな役割」がおぼろげながら示されつつある今、やはり彼は単なるマスコットという存在には留まれなくなってしまっているのだと思われる。その代わりとなるべきキャラクターとして生み出されたのがイシドロなのではないだろうか?
 もうひとつ、『ベルセルク』が『どろろ』と似ているという指摘は、私が知るかなり以前からあったものらしく、おそらく作者の三浦建太郎の耳にも入ったのではないかと推測できる。それに対する作者なりの答えがイシドロというキャラクターの誕生であるような気もしなくはない。もし、この当て推量どおりならば、作者のすばらしい茶目っ気に脱帽!なのだが…。

 

独り言(単なる自慢デゴンス(~_~;))
 本日、「21世紀カウントダウン美術メダルコレクション」が届いた。
 高いお金を払っただけの価値はある――とはいえ、購入できたのはいちばん安価なものだったのだが――と、しばらくは陶然としつつメダルを眺めていた。やはり、2000年7月分の『どろろ』がいちばん気に入った。ちょっと百鬼丸の顔つきが違って見えるのが残念ではあるけれど…。
 それにしても、手塚治虫破産同志会の会長としての責務を果たすというのもなかなかつらいものである。
 そろそろ禅譲を考えているのだが、いかがなものであろうか?次期会長は北海道にて英気を養っている城主殿あたりがよろしいかと勝手に考えているが(^o^)丿


5月23日 家族ゲームの果て

 この6月21日に、いよいよテレビアニメ版『どろろ』(『どろろと百鬼丸』)の完全収録バージョン・ビデオがリリースされる。おそらく、少なからぬ「問題発言」にはなんらかの処理が施されているに違いないが、それでもこれは手塚治虫ファンにとって近年最大級の朗報に違いない。
 今回のビデオ化で初めてこのアニメーションに接することになるファンも少なくないだろう。以下の文章には若干のネタばらしも含まれている。予備知識なしでアニメ版を楽しみたいという方はお読みにならないほうがよいかもしれない。

 さて、原作とアニメ版にはいくつかの相違がある。アニメ版のほうが百鬼丸の年齢設定がかなり上――20歳ぐらい――になっていることのほか、「野太」というマスコット・キャラが登場する点も異なる。しかし、なんといっても最大の相違は、アニメ版の最終回に百鬼丸の「父親殺し」が用意されている点である。
 この設定変更に、どのような意味合いを読み取ることが可能だろうか?

 「家族の葛藤」という視点を抜きにして『どろろ』という作品を語ることはできないだろう。
 自らの欲望のために我が子を犠牲にした父親、醍醐景光。景光を止められなかった妻、縫の方。そんな両親によって育てられた弟、多宝丸。そして、運命の糸に手繰り寄せられるように家族のもとに帰り着く百鬼丸。
 つかの間の母親との再会を経て、百鬼丸は「弟殺し」を犯してしまう。当然、父親の逆鱗に触れ、命を狙われることとなる…。
 と、ここまでは、基本的に原作もアニメ版も大きな違いはない。
 しかし…。

 その後、紆余曲折――「自分の体を奪った魔物を倒し、自らの体を取り戻す」という形で表現される――を経て、ついに親を乗り越えていくさまが、「百姓一揆の成就とともに父母を追放する」百鬼丸の姿として描かれていくのが原作である。そういう意識が手塚治虫にあったか否かは別として、少なくとも私は『どろろ』を人格形成のドラマとして読んだ。
 そして、父母から自立してなお、彼はまだ不完全な人間のままなのだ。いうまでもなく、彼にはまだ長い人生が待っているのだから、これは当然といえば当然のことではある。(不思議なことに、原作における百鬼丸は、いくら妖怪を倒しても「残り約30匹の魔物を倒さねばならない」立場を変えようとしない。第1巻(秋田文庫版)の195ページで「もう16ぴき妖怪をやっつけた」――すなわち、残りは32匹ということになる――と語った百鬼丸が、最終巻である第3巻の253ページに至っても、「あと30ぴき分とられた部分が足りねえんだ」などと言っているのだ。それまでに倒した魔物の数からすると明らかに矛盾があるのだが……。)

 さて、アニメ版はどうか?
 景光は魔物に取り憑かれ、妻――百鬼丸にとっては母親――を殺してしまう。父親が魔物にほかならないと悟った百鬼丸は、自分の体を奪った魔物の最後の一体としての父親を倒し、ついに体の全てを取り戻す。しかし、完全な体となり、一人前の人間となったはずの彼は「俺はもう誰とも会いたくない」という台詞を残し、そのままいずこかへ去っていってしまうのである。彼の行き着く先に何があるというのだろう?……少なくとも、希望に満ち溢れた未来でないことは容易に想像がつく。
 視聴率の不振で打ち切りを余儀なくされた結果がこの幕切れであるとすれば、あまりにも哀しいと言わねばならない。主人公は絶望の淵に沈んだままなのだ。
 百鬼丸が去ったあとのどろろの奇妙なほどの明るさが、このアニメーションの破綻とともに、逆に百鬼丸の人生の破綻をも象徴しているととらえるのは考え過ぎだろうか。
 いずれにせよ、子供向けのアニメーションにおいて、主人公の人格の破滅を描いてしまった作品というのは、おそらく稀有なのではないだろうか?
 それでもなお――いや、だからこそ、と言い換えるべきだろう――私はアニメ版『どろろ』が、日本アニメーション史に残る傑作であると信じて疑わないのだ。


6月25日 30年の歳月を超えてなお

 2000年6月21日。
 ついにテレビアニメ版『どろろ』(『どろろと百鬼丸』)のビデオが発売された。
 今日現在、私はまだ第2巻の途中、すなわち「無残帖の巻」までしか見ていない。
 ほんとうは全巻を視聴してからコメントをするべきだとは思ったのだが、我慢できなくなってしまった。

 凄い!
 とにかく凄まじすぎる。
 30年ぶりに再会したこの作品は、やはり昔と同じ光彩を放っていた。
 ムチャクチャなほどニヒルな百鬼丸――5月23日付けの項では「20歳ぐらいの設定」と書いたが、これは私の勘違い。ちゃんと原作と同じ15歳という設定になっている。しかし、姿形からも、声からも、とうてい15歳には思えないのだ…(※第10話「ばんもんの巻その2」のナレーションでは「百鬼丸が捨てられたのは20年前」となっているのが確認できた。このエピソードがどろろとの出会いから5年を経てからの出来事とは考えられないので、おそらく実の弟である多宝丸との絡みから設定変更されたのだろう。多宝丸こそ13歳や14歳には絶対見えない(^_^;)2000年6月26日追記)――に、もはや目が釘づけ状態であったことを白状せねばならない。
 唯一当時と異なった感想があったとすれば、「よくもこんな衝撃的な作品が放送され得たものだ」などという、それなりに歳をとって分別臭くなってしまった人間らしいものだけ。
 ストーリーは、原作を忠実になぞっている――第13話まで。それ以降は、タイトルとともにどろろが中心の「明るく、かわいい」路線に変更されていく――けれど、部分的には原作を凌駕してしまっているとすら思える。そのあたりは、是非とも皆さんの目で確かめていただきたい。
 全巻揃えるとかなりの出費になるが、代価以上の価値があると断言できる。やはり、紛れもない大傑作なのである。

 なお、ここまで見た限りでは、心配していた音声のカットもないようだ。差別語に関しては慎重でなければならないのは当然だが、いたずらに「隠す」だけでは差別そのものはなくならない。むしろ、真正面からその問題に取り組もうとする機会を失わせる虞があると考える。その意味では少しばかり安心した。
 それに関わっては、第4話の最後、百鬼丸の呟きが耳について離れない…。


月6日 「ばんもん」の下で

 時の流れが必要以上に速く思える現代においては既に旧聞に属するのかもしれないが、先月の半ばに南北朝鮮首脳による歴史的な会談が実現した。
 この会談に際しては、同一民族による政治的対立の象徴2つ――すなわち、朝鮮半島における南北の境界線「板門店」と、ドイツを東西に隔てた「ベルリンの壁」――をモチーフにして描かれたに違いない『どろろ』「ばんもんの巻」を思い出した手塚治虫ファンもいたはずである。
 改めて述べるまでもなく、「漫画は風刺である」というのが手塚の基本姿勢であった。この作品にこうした風刺を込めなかったと考えるほうが不自然な話である。
 今回、ビデオ版『どろろ』を見ながら、ついつい、先の会談のみならず、1989年秋の「ベルリンの壁崩壊」をすら見ることなく逝った作者に思いを馳せないわけにはいかなかった。
 もし、手塚が生きていたなら。
 もし、手塚が、これらの歴史的事件を目の当たりにしたなら…。
 きっと、それを題材にして傑出した作品を描かなかったはずはない。

 さて…。視点を『どろろ』に向けてみよう。
 百鬼丸は、かの「ばんもん」の下で、自分の体を奪い去った魔神の一体、「九尾の狐」と対峙する。先の「漫画は風刺である」という手塚のポリシーに則れば、この狐を単なる妖怪と見てはならないだろう。住民同士を殺し合わせ、その憎しみを糧として生きる「妖怪」。これは、為政者――醍醐景光ら――を陰で操りながら、対立する両者に武器を売り捌く「死の商人」を象徴していると解釈できる。
 『どろろ』
が、『ゲゲゲの鬼太郎』に代表される水木しげるの妖怪マンガだけでなく、白土三平の『カムイ伝』や『忍者武芸帖』などの劇画を過剰なまでに意識して描かれたものだという議論は、既にあちこちで語り尽くされている。(例えば、『どろろ』に描かれた孤児たちのシーンが『忍者武芸帖』に描かれたそれを下敷きにしていることは疑いようがない。)
 つまり、この物語を、60年代に学生たちを中心に支持された、いわゆる「階級闘争の物語」の流れの中にある作品として位置づけることも可能であるというわけだ。そして、「九尾の狐」や醍醐景光が「権力者・為政者」を映したものであるとするならば、百鬼丸やどろろは「労働者」の代表として意識されたことになる。
 しかし、こうした通りいっぺんの解釈が通用しないところが、いかにも手塚作品らしいところだ。確かに百鬼丸は、父親の「庇護者=黒幕」たる妖怪たちを次々と打ち倒していく。だが、彼に「階級闘争」の意識など微塵も感じられない。彼の目的は極めて個人的なものに過ぎないのだ。
 それでも、「どろろと百鬼丸による戦いが結果的に「ばんもん」の崩壊を招く」という象徴的なシーンでこのエピソードが締めくくられている点を見逃すわけにはいかない。この場面は、個人の願いが社会を動かす可能性を示唆しているとも読み取れるからだ。いや、ぜひとも、そう読み取りたい。それは、現在の日本のありようと無関係ではないと思うからだ。
 「何も変わらない」という逃げ口上のもとに現状になんらかの働きかけをしなければ、これから先も何も変わるはずがないからだ。

 私はまだ、現世に見切りをつけたくはない…。


7月13日 ちっぽけな命でも

 今日の午後7時ごろのこと…
 職場から帰宅しようとして駐車場に向かう途中、アスファルトの上をうごめく物体に気づいた
 「コガネムシか?」
 目を凝らしてみると
 それはセミの幼虫だった

 半世紀近く生きてきて、地上に現れたセミの幼虫を見かけたのは初めての体験
 足を止めて、さらに注意深く観察すると
 明らかに「彼」が途方にくれているらしいことが看てとれた
 「彼」の近くには羽化に適した木がないのだ
 「彼」にとっては砂漠に等しい、一面のアスファルト…

 「彼」を拾い上げ、いちばん手近にあった木の根元に移してやり、
 最後の光芒にむけての「彼」の登攀のさまを見つめながら、ふと思った

 一生のほとんど――7年間に及ぶという――を地中で過ごし、
 ほんの1週間、世代交代の儀式のためにだけ、地上に現れる「彼」。
 その、まさに命を削る営みに対し、
 人間はあまりに無慈悲で無関心であり続けたのではないか、と。
 我々が「彼」から取り上げてしまったものはどれほどあるのだろう、と。

 ちっぽけな命でも、
 命に変わりはない
 「彼」の背中が、そう訴えかけているように思えてならなかった…

 もちろん、我が手塚治虫は、こんなことにはとうに気づいていたのだろう
 だからこそ手塚は、
 虫を愛し、
 虫を自らの体の一部として受け入れ、
 自らの仕事の題材として、しばしば取り入れたのだろう
 思い起こしてほしい
 『ジャングル大帝』における、レオを導く蝶の群れの凄絶なまでの美しさを
 この、日本のマンガ史上絶後の名シーンは、
 ちっぽけな虫を愛してやまなかった手塚ならでは描き得ないものであった