不随意筆ふあんの外面 その5(1978年3月)


「こ、こんなバカな!」
 と大声で叫んだとき、彼の脳細胞の大半は既に不治の病に冒されていた。病名は
手塚治虫狂熱。
 と、こんな次第で、切毛吾朗氏は廃人となり、「瑤光」の廃刊とも語呂が合ってメデタシメデタシと思われた。が、満月の夜月の出を待っていたかのごとく、廃人切毛吾朗氏は変身をはじめ、ついに伴拝也氏へと完全に人格交替を済ませてしまったのだ。
 かくして、新連載!
(※ 上のような文章は昔から私の得意技でした。行き詰まったときの逃げに過ぎません。ばかばかしいけど、好きなんです。で、カットせずに載せてしまいました。)

ふあんの内面(第1回兼最終回)
 切毛吾朗氏の変身、伴拝也は誕生後すぐさま行動を開始した。その手始めが、資金作りのアルバイトであった。というのは名ばかり。真の目的は新しい仲間作りであった。彼は早速バイト先の女の子のうち二人が手塚治虫狂熱病原菌保菌者であることを見抜き、その発病を早めるための秘薬「手塚治虫現行単行本解説リストレプトマイシン」の調合を急ぐ一方で、発病患者の巣窟の一つ、京都市左京区一乗寺里前町24にある「手塚治虫ファンクラブ・京都」(※ 石川栄基氏を代表とする老舗のファンクラブ。私は結局自然退会してしまったが、活動を地道に続けてこられ、1997年に解散。会誌「ヒョウタンツギタイムス」は非常に質が高い。また、復刻にも力を入れておられたことが印象深い。)という暴力バー、じゃない、秘密会に入会。いっときは送られてきた会員証と会誌とをながめてニヤニヤする日が続いたが、それからもすばやく回復するといよいよ本格的に動き始めんと、虎視耽々、機会をうかがっている…。以上が伴拝也氏のここ2、3ヶ月の動きである。

 ところで、私は(急に一人称になる) 「瑤光」の前号が出てからどのくらい手塚治虫の本を手に入れたのだろうか?“全集”のほうはライオンブックスシリーズやらなんやら出てきましたが、とにかく泣かせてくれたのが、最近刊のうちの一冊『キャプテンKen』の第1巻。これは「ふあんの外面」第1回にも書いたけれど、いわく因縁つきの一編。早く第2巻も読みたあい。それにしても、あの作品の主要登場人物にロックや大助(※ 『白いパイロット』の大助クンとは全くの別キャラクターです。)がいたなんてぜんぜん覚えてなかったなぁ。ハチマキ姿のキャプテンKenと悪役アセチレン。・ランプにだけ目が行っていて。そうそう、いわく因縁といえば。私に『キャプテンKen』の第1巻を貸してくれたあの女性とつい先日(ということは“全集”のほうの『キャプテンKen』が出てから2、3日後)5年ぶりに出くわしたんだから驚き、因果は巡る糸車…てなヤツで…。
 さて、その他では、早く全集に入らんかと思っていた
『フライングベン』が集英社の文庫で一足先に出てしまったので買ったし、『ブッダ』第8巻、『ブラック・ジャック』第13巻、大都社からの『SFファイブ』、奇想天外文庫の『フースケ』『すっぽん物語』を漸く手に入れ、復刻本『丹下左膳』『宇宙狂想曲』『おはようクスコ』『ピストルを頭にのせた人々』(※ いずれも「手塚治虫ファンクラブ・京都」刊行)も購入。いやぁ、金がかかったのなんの!
 これからも
『MW』及び『火の鳥/望郷編』といった完結作品はまもなく刊行されそうだし、完結しそうな(手塚治虫自身が最もやめたがっている)『三つ目がとおる』、やはり作者がやる気をなくしている『ブラック・ジャック』『ブッダ』も終われば即単行本が続々と出てくるだろう。しかし、こうして考えてみると手塚治虫が現在描く気があるのは『火の鳥』『ユニコ』だけということになるなぁ。(※ ここらあたりの記述、いったい何を根拠に書いたものか?私の記憶にはないのですが、ひょっとすると当時は何か確証があったのか。)ま、それもそのはずで、今手塚治虫は、再び燃え上がってきたアニメーション作りへの執念が全身に漲りきってきたところだもんなぁ。
 ああ、
『火の鳥』の映画化、早く見たい。『未知との遭遇』もみたい。『スター・ウォーズ』も見たい。『フレッシュ・ゴードン』も見たい。今年は何でこうも私に見る気を起こさせる映画が多いのだろう。

 そういえば、手塚治虫は『未知との遭遇』を絶賛していたっけ。
 石上三登志は『スター・ウォーズ』に狂ってたっけ。
 大林宣彦は興行的にヒットした『ハウス』よりも失敗作とたたかれた『瞳の中の訪問者』(すなわち
『ブラック・ジャック』)のほうが気に入っていると言ってたっけ。
 アレはオモシロイ映画だったよな、実に。ただ、手塚治虫ファンでないと分かりっこない楽屋オチ的なシャレが多すぎたんじゃないかなぁ。「オムカエデゴンス」とか下田警部に扮した玉川伊佐男の後頭部からローソクがニョッキと現れたり(全くこれはすごいシャレで、何故って玉川伊佐男って役者さんがあんなにアセチレン・ランプにそっくりとは思ってもいなかったもんねぇ。)、書類に記されていた名前が伴俊作と豚藻負児であったり、アイ・バンクの女事務員の持っていた本が
『リボンの騎士』『ジャングル魔境』の稀覯本であったり…。さらに手塚医院の石上三登志博士として特別出演した石上三登志サンが「この手術は普通の眼科医じゃ無理だ。こういうのは眼科の敵だよ。」という、実に氏らしいダジャレ(※ 説明するのも野暮ですが、石上氏は映画評論家が本職。で、『眼下の敵』という名画があったりしたわけ…。)を言ってみても、またそれを受けた形でブラック・ジャックが「石上三登志…?ああ、映画ばっかり見てたヘンなヤツだ。」と呟いてみても、石上三登志という人の素姓を知らない人にとってはなんのことやらわからんセリフなのである。こういうのはマニアックな連中が寄り集って観る分にゃ面白くて仕方がないが…。一般受けするはずのない映画だったね、アレは。

 ごちゃごちゃ書くのももう飽きてきたんで、そろそろやめにしやしょうか?しかし、なんともはや、てなカンジですな、実に。
 手塚治虫先生よ、仕事は半分に減らしてください。(※ 今となってはこの言葉も空しい…)
『三つ目』『B・J』も止めてくださってケッコウです。ただ、今は映画『火の鳥』に打ち込んでください。いい作品になることを期待しております。(※ 結局公開された映画『火の鳥2772 愛のコスモゾーン』はヒットすることなく終わりました。十分な詰めが行われないままの公開であったことは私にも看て取れました。ちなみに、この映画の撮影に使われたロトスコープという機械は、ラルフ・バクシ監督の『指輪物語』を観た手塚治虫が導入したものです。雑誌「COMIC BOX」1989年5月号の手塚治虫追悼特集の中で、このあたりを含めて宮崎駿が手厳しい批判を展開しています。これは、いろいろな意味で一読の価値がある文章です。)

付タリ
 今みのり書房から出ている
「OUT増刊ランデヴー」の特集がナ、ナ、ナント!アニメーション『どろろ』なのでありんす。最終回「最後の妖怪」の分がかなりの量、写真紹介されております。

 

 以上、支離滅裂かつ非常に中途半端な形で連載を終えてしまった(正確には機関誌そのものが消滅してしまったのです…)この文章ですが、1970年代終盤の手塚治虫の活動を傍らで眺めていた人間の記録、同時に僅かばかりは手塚治虫自身の記録としての意味を見出すことはできないか、そんな気持ちから敢えてここに公開いたしました。
 むろん、この文章は飽くまで序章のつもりです。これをベースに今後手塚治虫に関する「何か」を発信していきたいと思っています。