4月15日 カオスとは誰なのか?
4月9日、『未来人カオス』(講談社文庫版)が発売された。
連載開始当時――おそらく、私の実家には第1回分掲載の「少年マガジン」がまだ保管されているはずだ――私は相当の期待をかけてこの作品を読み始めたのだが、それをみごとに裏切る形で連載は早々と打ち切られてしまった。正直なところ、私自身も連載中にはかなりの欲求不満を感じていたように記憶している。今読み返してみると、決してストーリー自体がつまらないというわけではないのだが。
それにしても、主人公「カオス」およびその前世である「須波光二」という名前はどこからとられたものなのであろうか?
手塚治虫が登場人物の名前にある種のこだわりを持っていたらしいことは、ファンならば誰でも容易に理解できるはずだ。多くの場合において、それは駄洒落であったり、楽屋オチであったりしたことも。にもかかわらず、私はいまだに『未来人カオス』の登場人物たちのネーミングについて、確たる典拠を見出せないでいる。
そもそも作中における「カオス」という呼び名の由来が極めていい加減である。流刑星バカラ・サテライト採掘場の所長(アセチレン・ランプ出演)の
「スナミコウジ?よびにくい名だな カオスという名にかえろっ」
という一言で決定しているのだ。おそらくは「カオス」という主人公の名前が連載前に決定しており、「光二(こうじ)」という名はそれに合わせるためにつけられたものなのだろう。「コウジ」と「カオス」は響きが似ていなくはないが、かなり無理のあるものと言わねばならない。
ところで、「須波光二」は「スハコウジ」とも読める。もしかしてこれは「スターウォーズ」のもじりなのではなかろうか?
『未来人カオス』が映画「スターウォーズ」の強い影響下に描かれたことは周知の事実(※カオスとムーザルのコンビがハン・ソロとチューバッカのコンビを模しているのは明らか。文庫版第1巻39ページの上のコマなど「スターウォーズ」第1作のポスターのパクリ以外のなにものでもない。)であるが、この推測が当たっているとすれば、あまりと言えばあまりのこじつけではある。まさか、ねえ?
もうひとりの主人公というべき「大郷錠」に至ってはこじつけさえ思いつかない。しかし、手塚治虫に限って「元ネタがない」などというのは考えられない気がする。
どなたか明快なお答えをご存知ではないだろうか?
1999年5月2日。
手塚治虫の墓参り、ようやく実現。
これまでも訪れるチャンスは何回かあったのですが、なぜかずっと見送り続けてきていました。
私のもうひとりの「神」――トールキンの墓参りには何のためらいもなく出かけられたのに。
このあたり、自分でもきちんと説明できません。
トールキンのほうが手塚治虫よりも私の中で占める比重が大きい、なんてことは絶対にないのですから…。
それはともかく、今回の旅。
不思議なことにも「目的地に行きつくまでのスチャラカ」は皆無でした。おかしいなあ。なんで道に迷わなかったんだろう。
まあ、出かける1週間前に大事件――なんとパートナーが右足の親指を骨折しちゃったのだ――があったから、不幸の神様も少しは同情してくれたのかも。もっとも、お墓のある總禅寺は都電荒川線の新庚申塚駅から歩いて数分のところ。いくらなんでも迷いようがないか。
当日は先に訪れた人もなかったようで、実に静かな雰囲気でのお参りとなりました。私たちのためにわざわざ墓地への通路を開け、ご案内いただいたお寺の方に深く感謝。
そうそう、我がパートナー氏。止める私を振り切って、松葉杖での東京行きを決行。階段だらけの街中で悪戦苦闘しつつ「日本のバリアフリーは遠い!」とかなんとか嘆いてました。あんたは坂本竜馬か?
上京ついでにビデオ「手塚治虫の世界」(紀伊国屋書店)全3巻と学陽文庫版『手塚治虫の奇妙な世界』(石上三登志・著)を入手いたしました。
前者については完璧なコレクターズアイテムと断言できます。で、後者について、どうしても一言。以前から私のページで何回か話題にしている同書。1998年の末にさりげなく文庫化されていました。(私、ファンクラブ会員でもなく、オフィシャル・サイトにもほとんど行かないものですから事前情報がなかったのです。)
未読の方は、この機会に――いまのところ入手可能ですが、近いうちにまた絶版の危険性大――是非ともお読みください。紛れもなく手塚ファン必携・必読の書です。(ほんとうは1977年出版のオリジナルをお読みいただくのがベストですが、こちらの入手は困難を極めるはず…。もし、古書店なんかで発見したら、即「買い」ですよ!!)
1999年6月3日。朝日新聞朝刊に小さな記事が載った。
「手塚さん作品出荷を停止」と題されたその記事は、この5月10日に発行された『手塚治虫の動物王国』が市民団体から「黒人差別を助長する」との抗議を受け、出版元のいそっぷ社と手塚プロダクションが同書の出荷を停止した旨を報じていた。結局、最近の手塚治虫単行本巻末に必ずといってよいほど付されている「解説文(お断り文)」が同書から脱落していたのが問題となったらしい。この件について、手塚プロ側は「まったくのミスで弁解のしようがない」とコメントし、再出荷する場合には「解説文」を付ける方針であるようだ。
今回抗議を申し出た団体は1990年当時に手塚漫画の問題性を指摘し、マスコミを巻き込んで大々的な手塚漫画批判を行った。そのため、一時期手塚単行本の出版が完全に停止した。中央公論社が1990年9月から刊行を始めたハードカバー版『0マン』(全3巻)などはその典型的な例で、2巻が10月に発行された後、第3巻は当初予定の11月に出版が実現しなかったばかりか、実に2年の後、1992年の10月になってようやく日の目を見たのである。そして、その巻末には例の「お断り文」が付されていた…。
手塚作品に人種差別性を見出す人々は、最終的に手塚作品にも『ちびくろさんぼ』の道を歩ませたいに違いない。誤った人種観を植えつけるようなものは、すべて排除するべきだと。
以前にテレビでインタビューを受けた活動家のひとりは、聞き手が、
「手塚作品の内容には人種差別性はなく、むしろ人種差別反対を訴えかけているものが多いのでは?」
と、問うた瞬間、
「内容ではなく表現=絵に問題があるのです。」
という主旨の発言をし、それ以降手塚漫画の内容に言及することを許さなかったと記憶している。確かに漫画は第一に「絵」を評価の対象にせねばならないジャンルである。しかし、その「絵」を用いて表現された内容について論じないかぎり、作品の批判も批評もできないのではないだろうか?内容にまで踏み込んで考えたうえで、やはり「絵」に差別性を感じる――実際、手塚治虫の初期の作品に登場する黒人の描き方はみごとなほどのステレオタイプで、ある種の先入観を与えかねないのは事実だ。しかし、だからこその漫画表現であると思うのだ――というならば、それを主張するのは当然だ。だが、差別的な絵が描かれているから即出版停止に値するというのでは、論理があまりに飛躍しており、まさに焚書坑儒、現代の魔女狩りに他ならないと信じる。
おそらくは意図的にであろう。同日付けの朝日新聞の同じページに「さんぼ絵本 100年前の原著絵で再現」と題された記事が載せられていた。(こちらのほうが扱いは大きかったが。)
「さんぼ」絵本は、やはり黒人差別を助長するとの批判を受け、日本では1988年から1989年にかけて――ちょうど手塚治虫が亡くなる前後だ…――絶版にされている。そのオリジナル版を径書房という出版社が、批判を覚悟で刊行したとのこと。こちらの今後の推移にも注目したい。
つい最近、とある方から、こんな情報をいただいた。
『どろろ』と『ベルセルク』(三浦建太郎著・白泉社刊)との類似が、『ベルセルク』ファンの間で話題になっている。
その方の導きにより遅まきながら『ベルセルク』の世界に踏み込み、これまで3度ほど読み返している私であるが、他のマンガとの類似に気づきこそすれ、我が『どろろ』と結びつけて考えることなど全くなかった。
こういう情報を知った以上、私としても、自分なりに考えてみなくては気がすまなくなった。
この二作品、主人公の二人の間に類似性を見出すのは実にたやすい。
『どろろ』の百鬼丸、『ベルセルク』のガッツ。
両者とも「捨て子」である。望まれてこの世に誕生したわけではない。
百鬼丸は生まれながらにして全身の48箇所が欠けており、ガッツは右目と左腕を魔物に奪われている。それは、彼らがともに「近しい者」によってスケープゴートとされてしまった結果である。そして、ともに、その「欠けた部分」に武器を仕込み、全身を凶器化している。
自分にとっていちばん大切な女性を救えなかった。(これに関しては早計に結論を出すわけにはいかないであろう。たしかに百鬼丸はみおを失ってしまっているが、ガッツにはまだ可能性が残されている。そして、百鬼丸とどろろの関係は未だ完結してない…。)
父親――ガッツの場合は育ての父親にあたる人物――に対して、愛憎ないまぜになった感情を抱いている。アニメーション版『どろろと百鬼丸』との比較を許されるならば、両者とも「父殺し」を経験していることも共通点といえる。
ともに魔物(使徒)を殺すことによってのみ自己実現がなされると考えており、彼らと対峙するときには笑みを浮かべることすらある。
導き手にあたるキャラクターが存在する。(琵琶法師と髑髏の騎士。後者は正確には導き手ではないようだが…。)
彼らの戦いは周りに評価されることがなく、かえって疎まれるばかりである。(ま、ガッツの場合、やむをえない気はする。彼はベルセルクなのだから。)
まといつく者――どろろ及びパック――との間に微妙な心の交流がある。彼らの存在がなければ、ストーリー自体があまりにも陰惨になり過ぎるからでもあろうが、作者がこの二人のキャラクターを単なるマスコット的存在にとどまらせる気がなかった――なさそうな――ところにも共通点があるといえそうだ。(パックはともかく、どろろのほうは、主役になりそこなってしまったキャラクターなのだが。)
敵役となる魔物(使徒)に、共通項を持ったものがいる。すなわち、マイマイオンバとロシーヌである。ともに蛾をモチーフとしており、多数の不幸な子どもたちがその周辺で犠牲になるという設定も同一である。
思いつくままに挙げてみただけであるが、たしかに似ていると言えるだろう。
『ベルセルク』の作者である三浦建太郎が『どろろ』を読んだ可能性は高いと思う。
しかし…。それを言うならば、『ベルセルク』は『デビルマン』(永井豪著)や『北斗の拳』(武論尊・原哲夫著)から、より直接的な影響を受けているように思える。特に『デビルマン』は、主人公の不動明とその親友である飛鳥了との関係がガッツとグリィフィスとのそれに対応しているし、絵柄的にも非常によく似たカットが現れる。ガッツの怒りの表現やワイアルドによる醜悪な串刺しシーンなどその典型であると思う。
話を戻そう。
『どろろ』は主人公たちの未来に向けての歩みを描こうとして果たせなかった。それは以前にも述べたとおりだ。一方『ベルセルク』は、主人公の過去をあまりにも鮮烈に描き切ってしまった今、決定的なカタストロフィーを前にして足踏みすることを余儀なくされるとしか思えないのである。
この二作品、あるいは「未完を運命づけられている」という点まで共通しているのかもしれない。
ふと、琵琶法師の言葉を思い出す。
「なあ 百鬼丸よ 人間のしあわせちゅうのは 「いきがい」ってこった おめえさんが妖怪を倒す…… 手がはえ 足がはえ 目があいて ふつうの人間になれるときがくる…… それからあと おめえさんはどうする?」(手塚治虫漫画全集版第3巻・82ページ)
この言葉、ガッツに向かって囁きかけたい誘惑にかられてしまうのだ。(あの「鉄塊」で一薙ぎされるのがオチだって…<(-_-;)>…)
余談
実は『ベルセルク』第17巻126ページ127ページを見た瞬間、かたまってしまった。「巨象」に「一つ目の紋章」――これって『指輪物語』じゃ……。まさか、ね。
「どろぼうめっ ころしてやるっ」
あの『鉄腕アトム』の中で、こんな恐ろしい台詞を吐いた登場人物がいる。
誰あろう、それは、アトム自身なのだ。
私がこの信じがたいアトムの言葉を発見したのは、今年に入ってのことであった。年明けに、久々に『鉄腕アトム』を読み返す機会があったのだが、1995年10月発行の光文社文庫版『鉄腕アトム』第3巻269ページ、「十字架島の巻」の1シーンに、その言葉を見つけたのである。(皆さん、是非ともその目でお確かめいただきたい。)
おいおい、アトム。ロボット法はどうなったんだい?
思わず苦笑しながらも、私はこう考えた。――これは、「どろぼうめっ こうしてやるっ」の誤植であると。前後の状況から判断しても、間違いないことと、その時は確信したのだ。
で、この件については、それっきり忘れていた。
ところが…。
1週間ほど前に書棚の整理をしているとき、こんな本を見つけた。その名も
『鉄腕アトムの秘密』(鉄腕アトムこだわり研究会著・文化創作出版刊・1993年6月発行)
いっとき、「○○の秘密」と題するマニア本が出版ラッシュになったことがあった。おそらくそのときに買ったものだったのだと思う。で、ぱらぱらとページをめくっていると…。同書76ページから77ページにかけて、以下のようなことが書かれていたのだ。
「ことに初期の頃はアトムもまだ人間ができていなかったせいか、怒りの表情もあらわに手ひどく悪人をやっつけている。」
そして、この後、冒頭のアトムの暴言が引用されているではないか。正確には、
「どろぼうめっ ころしてやる」
となっており、微妙に異なっていたが…。
同書の発行は光文社文庫版が出る以前の1993年。――つまり、これは光文社文庫版特有の誤植ではないことになる。『鉄腕アトムの秘密』の典拠(参考文献)は手塚治虫漫画全集版であると記されていた。私は、さっそく全集版にあたってみた。「十字架島の巻」は第5巻に収録。さて、例の台詞はどうか?
「どろぼうめっ こらしてやるっ」(45ページ)
少しばかり古風な日本語であるが、これはこれで通らなくはない。少なくともロボット法を無視した暴言ではない。ま、できれば、「こらしめてやる」ぐらいにしてほしい気はするが。
いずれにせよ、おかしいではないか?「鉄腕アトムの秘密」の記述と矛盾がある…。著者が文章を面白くするために捏造を行ったのであろうか?
私が所有している全集版は1980年6月発行の初版である。版を重ねる際、文字の訂正――訂正と言うのか?――が行われた可能性は否定できない…。念のために1992年に講談社から出された豪華愛蔵版を引っ張り出してみた。
「どろぼうめっ ころしてやるっ」(第3巻269ページ)
やっぱり殺そうとしている!
収録巻数ばかりかページ数まで一致しているということは、光文社文庫版は完全に講談社愛蔵版を縮刷したものであろうと判断できる。すくなくとも、1992年の段階からアトムが暴言を吐いていることだけは確認できた。「鉄腕アトムの秘密」の著者も、この愛蔵版を参照したのかもしれない。
今、私の手許には上記以外のバージョンの『鉄腕アトム』はない。もっと以前のバージョンではいったいどうなっていたのか、非常に気になるところである。
また、この6月から刊行が開始された秋田書店版ではどうなるのかにも注目したい。
いくら世紀末だからといって、アトムに「ころしてやるっ」は似合わなさ過ぎると思うのだが…。
今回は、前回の続きである。その後に入った情報を元に話を進めたい。
「十字架島の巻」における例のアトムの台詞は、つい最近発売された秋田書店SUNDAY COMICS版『鉄腕アトム』の第5巻、31ページでは上のようになっていた。
「どろぼうめっ こらしてやるっ」
「こらしてやる」の登場は二度目ということになるが…。
アトムは本当のところ、どう言いたかったのだろう?
ここまでの経緯を整理してみよう。
アトムの言葉 | 収録単行本 | 出版社 | 発行年月 | 備考 |
どろぼうめっ | サンコミックス版 第5巻 | 朝日ソノラマ | 1975年8月 | ngt氏よりの情報 |
どろぼうめっ こらしてやるっ | 手塚治虫漫画全集版 第5巻 | 講談社 | 1980年6月 | 「懲らしてやるっ」のことか? |
どろぼうめっ ころしてやるっ | 豪華愛蔵版 第3巻 | 講談社 | 1992年12月 | あまりの暴言! |
どろぼうめっ ころしてやる | 「鉄腕アトムの秘密」 | 文化創作出版 | 1993年6月 | 参考文献は「手塚治虫漫画全集」と記されている…。 |
どろぼうめっ ころしてやるっ | 光文社文庫版 第3巻 | 光文社 | 1995年10月 | 講談社豪華愛蔵版の縮刷と推定される。 |
どろぼうめっ こらしてやるっ | SUNDAY COMICS版 第5巻 | 秋田書店 | 1999年8月 | サンコミックス版からの復刻…。 |
どろぼうめっ こうしてやるっ | これが、私なりの解釈。 |
『鉄腕アトム』には上の他にも多くの単行本が存在する。こうなった以上、すべての版における異同について知りたい。また、雑誌掲載のオリジナルではどうなっていたのか、これについてもぜひとも知りたいと思う。(※土田氏よりの情報により、ほぼその全貌が明らかになった。こちらを参照いただきたい。1999年9月4日追記)
1970年代…。
私にとって最も思い出多い時代である。私が真性の手塚治虫ファンになったのもこのころ。
その70年代には手塚治虫後期の代表作群が生まれている。
いうまでもなく『三つ目がとおる』はその一つ。1974年から1978年にかけての連載である。
このところ『三つ目がとおる』を何度も読み返す機会があった。で、改めて気づいたのが、時事ネタの多さ。当時話題になった事件や流行語・流行歌のたぐいがどんどん使われている。それらを私の分かる範囲でまとめてみたのが下の表である。(単行本化されたものに限ってある。連載時にはもっといろいろあったはずだが、そのあたりは私の手には余る仕事。ngtさん、期待してます!)
※巻数・ページ数などは全て講談社文庫版による。
言葉&事項 | 巻 | 頁 | ソースおよび私的コメント |
おかーさんのにおいでしょ | 1 | 10 | 洗剤のコマーシャル |
三つ目がとおる 三つ目がとおる こわいぞォ〜〜〜 イッヒッヒー | 1 | 15 | ウランちゃん(のお父上(^。^)/)よりの情報。『これは、水虫薬のCM曲「水虫出たぞ 水虫出たぞ かゆいぞ イッヒッヒー」のパロディである。』――まったくそのとおりです。メロディーも思い出せます。(1999年8月8日追記) |
恋なんか〜〜〜オナラのような〜〜もんなんだア〜〜〜 | 1 | 48 | 「恋というものはふしぎなものなんだ」(「恋」布施明)…しかし、この歌、もっと古い時代のもののような気がする。 |
ルミ子 チャヨナラ チャヨナラ | 1 | 67 | ウランちゃん(のお父上(^。^)/)よりの情報。『これは、映画評論家にして「日曜洋画劇場」コメンテーターでもあった淀川長治のお別れの決まり文句「それでは皆さん サヨナラ サヨナラ」のもじりであろう。』――これもご指摘のとおりです。……淀川さんも故人となられました。 この際、ひとこと付け加えさせていただきます。私にとって忘れられない淀川さんの言葉。 「誕生日はその日に生まれた本人を祝う日ではなく、生んでくれた母親をこそ祝うべき日である。」(1999年8月15日追記) |
「うしろの百太郎」の標識 | 1 | 94 | さりげなく、つのだじろうの人気漫画の題名が… |
高松塚古墳の壁画 | 1 | 107 | 「三つ目」連載前の1972年に発見され、話題となっていた。 |
刑事コロンボ | 1 | 117 | 人気テレビドラマのキャラクター。ピーター・フォークを一躍スターダムに押し上げた作品である。古畑任三郎のモデル。 |
フィンガー5 | 1 | 168 | 当時人気絶頂だった沖縄出身のグループ。これ以降も何回か登場する。 |
タクシーの運転手 | 1 | 191 | 一番上のコマの左端の人物。誰かの絵柄を真似たものだと思うのだが、私には分からない。どう見てもコマから浮いてるでしょ? |
でっかいわー 石丸電気は秋葉原 | 1 | 192 | おそらく関東地方限定のコマーシャルだったのではないか? ngtさんより「現在もこのCMソングは使われている」という情報をいただいた。原曲の歌詞は、うなされそうな内容である。(1999年8月6日追記) |
あんた この町のなんなのさ | 1 | 195 | 「あんた あのコのなんなのさ」(「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」ダウンタウンブギウギバンド)歌のヒットとともに大流行語となった。 |
円盤騒ぎ | 1 | 272〜 | 実際にこんな事件があった。それをネタにしたもの |
ギャートルズ | 1 | 334 | 園山俊二の人気漫画 |
タイヤキくん | 1 | 335 | 「およげ!たいやきくん」(子門真人)は歌謡史に残る大ヒット曲である。 |
バカボン | 1 | 335 | 赤塚不二夫の傑作漫画「天才バカボン」 |
写楽の酔っ払いダンス | 2 | 219 | サミー・デービスJrによるサントリーウィスキー・ホワイトのコマーシャルのパクリ |
ウーマンリブ | 2 | 258 | 流行語として用いられ、あまり響きのよくない言葉となってしまった。これ以降、和登サンを形容する言葉として頻出する。 |
シクラメンのかほり | 2 | 262 | 布施明(小椋桂)による大ヒット曲。「かほり」じゃなくて「かをり」にしなけりゃ日本語としておかしいだろう?などという挙げ足取りも行われた。 |
ポール・マッカートニーとウィングス | 2 | 262 | 彼らが日本への入国を拒否されたのはこのころだったか。 |
ジョーズ | 2 | 262 | スピルバーグ監督の大ヒット映画。第4巻のp94に再出。「ブラック・ジャック」にもジョーズとあだ名される不良生徒が出てきた。 |
「こかげぇ」「なんやらルームエアコンみたいな女だ」 | 2 | 275 | 東芝(?)のエアコン商品名からのギャグ |
ピーナツ | 2 | 278 | ロッキード疑獄(1976年に発覚)において賄賂の符牒として用いられた言葉である。 |
金さんとコーちゃん | 2 | 284 | 金さんは角さん(田中角栄元総理大臣)のもじり、コーちゃんはロッキード社副社長コーチャン氏のもじり。ロッキード疑獄をおちょくったネーミングである。 |
またもや!手塚のHシーン こんなのは一さいGOちゃんにまかせておけばよいのだ | 2 | 292 | GOちゃんとは永井豪のこと。「ハレンチ学園」などで人気漫画家の仲間入り。この当時は、既に「デビルマン」などの傑作を生み出した後で、単純なH路線から脱していたはずだったと思う。自分は色っぽい女性を描けないという手塚治虫の思い込みが言わせたセリフのような気がする。 |
アグネスのサイン | 2 | 316 | これは、当時のアイドル、アグネス・チャンを指していると思われる。 |
マッハ文朱 | 2 | 318 | アイドルから女子プロレスラーに転身した芸能人。 |
いつだったかミイラの番組見ましたが 一時間半の番組の中で ただミイラの布を取るだけでしたよ | 2 | 322 | 本当にこういう番組があった。私も見ちゃったもん! |
野口五郎 | 2 | 324 | 歌手 新御三家のひとり |
キャンディーズ | 2 | 324 | ランでーす!スーでーす!ミキでーす!普通の女の子にもどれませんでした! |
三つ目小僧はですね… | 2 | 332 | コメンテーターの絵、もちろん水木しげるの画風を真似ている。 |
「アラン・ドロンさん、来日のご感想は……?」「ダーバン」 | 2 | 333 | アラン・ドロンはフランスが生んだ大スター。当時、紳士服ブランド「ダーバン」のコマーシャルに起用されていた。 |
西城秀樹 | 2 | 333 | 歌手 新御三家のひとり |
桜田淳子 | 2 | 333 | アイドル歌手 花の○○トリオのひとり(○○には学年が入る) |
郷ひろみ | 2 | 333 | 歌手 新御三家のひとり。最近までアイドルの地位を保ちつづけていたが、「ダディ」でミソをつけた。 |
殿様キングス | 2 | 333 | 「女の操」のヒットによりお笑いタレントから演歌歌手グループへ |
三木首相 | 2 | 334 | 当時の総理大臣。あまりにも清廉潔白すぎる人柄ゆえに、政界では人気がなかったとか… |
タワーリング・ミラクル | 2 | 337〜 | この題名は、映画「タワーリング・インフェルノ」のもじり |
全ピキ連(全女性ピンカラキリマデ同盟) | 3 | 60 | 中ピ連(正式名称はなんだったっけ?)のもじり。女性の地位向上を目指したまじめな団体だったはずだが、ピル解禁を前面に押し出したためにマスコミにキワモノ扱いされてしまった。…ようやく今年ピル解禁が実現した。 |
ちょいとしたパニックものだよ | 3 | 122 | 「ポセイドン・アドベンチャー」「タワーリング・インフェルノ」などに代表される、大掛かりな特撮を駆使した娯楽作品の総称をパニック映画といった。 |
「グリーブの秘密」編に描かれたインディアンと白人の確執 | 3 | 157〜 | 「三つ目」のしばらく前に公開された映画「ソルジャー・ブルー」という作品の影響を読み取るのはうがち過ぎというものであろうか? |
なんやこの二人本宮ひろしそっくりや | 3 | 235 | 本宮ひろしは「男一匹ガキ大将」をきっかけに少年漫画のスターダムにのし上がった人物。彼の作品では、このコマで描かれたようなシーンが頻出する。 |
ようきたのワレ | 3 | 347 | おそらく「河内のおっさんの唄」(ミス花子)の歌詞の冒頭を意識したものであろう。第6巻p120に再出 |
ちばあきお | 4 | 324 | 「キャプテン」などの名作を残して夭逝した漫画家。ちばてつやの実弟である。 |
わッかるかなァ | 5 | 35 | 松鶴家千とせが生み出した流行語。正確には「わっかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ」で一続きのフレーズ。5巻のp146および6巻のp212にも再出 |
チョンワ チョンワ | 5 | 73 | どおくまん作「嗚呼!花の応援団」で主人公の青田赤道が発する奇声。雲名警部の横顔が「青田赤道」化している。正確には「チャンワ チョンワ」ではなかったか。 |
記憶にございません | 5 | 90 | ロッキード疑獄に際して、下にある「証人喚問」の席で、国際興業の小佐野賢治社長が答弁に用いた言葉。これなら確かに偽証にはならない。その後、この年を代表する流行語となってしまった。 |
証人喚問 | 5 | 118 | ロッキード疑獄で一躍有名になった専門用語。最近では、薬害エイズ裁判やテレビ朝日のダイオキシン報道に伴って実施された。 |
検察庁を見ろ あれだけねばってロッキード事件の全貌をつきとめたではないか! | 5 | 141 | ストーリー本編とは関係ないセリフ。本当にロッキードネタが多い。 |
おとりこみちゅうのところ ミイラですよ〜〜〜 | 5 | 151 | 桃屋の「ごはんですよ!」のコマーシャルのもじり。嗚呼、三木のり平さんも今は亡い。 |
グレートハンティング | 5 | 182 | こんな題名の残酷映画があった。記録映画の形を取っていたが、当時としては映像があまりにエグかったので、かなりの批判にさらされたはずである。 |
ホタルが人間を襲うというアイデア | 5 | 169〜 | おそらく、「ジョーズ」以降に大流行した動物パニック映画からヒントを得ているのでは?クマ、ワニ、ピラニア、殺人バチ…果てはミミズの大群。いや人間てのはいろいろと考えるものである。(しかし、最大のキワモノといえば殺人トマトだった…) |
ルゴシ | 5 | 59〜 | すみません。時事ネタではないのですが、ここで書いてしまいます。この名は大昔のフランケンシュタイン役者ベラ・ルゴシから採られたものだと思います。 |
ネポカ・ルア! | 5 | 226 | 逆から読むと、アル・カポネ。当時、この暗黒街の顔役を題材にした映画でも封切られていたのだろうか? |
「ブラア」「ト・プジェ」 | 5 | 226 | 逆から読むと、それぞれアラブ、エジプトとなる。…中東紛争は長く続いている。 |
ヤッテバチ ルボーノキサワカ! | 5 | 227 | 逆から読むと「川崎のぼる ちばてつや」となる。前者は「巨人の星」、後者は「あしたのジョー」という、スポーツ根性ものの名作を描いた。手塚治虫が唯一描けなかったといわれるのがスポーツものである…。 |
ヤットッハッ | 5 | 227 | 逆から読むと、ハトヤ。「伊東に行くならハットッヤッ、電話は4126(ヨイフロ)」というCMから来ていると思う。 |
ド・キ・ロ! | 5 | 233 | 逆から読むと、ロキド。すなわちロッキードである。 |
ロドス マドス アグネス ポキ! | 5 | 237 | さりげなく「アグネス」が入っている。これはラムのほうであろう。根拠は下を見られたし。 |
うん アグネス・ラムみたい | 5 | 245 | ハワイからやってきた水着アイドルである。 |
鉄仮面 | 5 | 238 | 形がピーナツなのは、やはりロッキード事件の影響なのではないだろうか? |
ズバリ アタック 大当たり | 5 | 300 | 前後との脈絡のなさから考えて時事ネタだと思うが、私には分からない… |
宇宙戦艦ヤマト | 5 | 336 | もともとはテレビシリーズで、さして評判にもならなかった。が、映画化されるや大ブームとなった。 |
江青 | 5 | 337 | 中国の最高指導者、毛沢東の夫人。1976年に毛沢東が死んだ後、権力闘争に敗れて失脚。いわゆる四人組のひとりである。 |
スティーブ・マックィーンとかいう作曲家の「大脱走」というセレナーデを思いだし… | 6 | 33 | 雲名警部のこのセリフ、もちろん洒落である。「大脱走」はオールスター総出演の大作映画。その主演者マックィーンは70年代を代表する大スターであった。この人も今はいない…。 |
鬼頭判事補 | 6 | 35 | ロッキード事件に関わって不正を働いたとの理由で、弾劾裁判によって罷免された人物。1976年から77年にかけての「時の人」であった。 |
シュワッチ | 6 | 44 | かの有名なウルトラマンの気合い溜め(?)の声。この当時放送されていたのは第何シリーズだったのだろう? |
ベイ・シティ・ローラーズ | 6 | 67 | 一世を風靡したイギリスのバンドの名。タータン・チェックがシンボルであった。世間にはタータン・チェックの服を身にまとった女の子が溢れた…。 |
キングコングの映画の宣伝 | 6 | 71 | 当時の特撮技術を駆使してリメイクされた映画。ド派手なプロモーションを行ったことでも有名。 |
映画のキングコングの装置みたいなもんだよ | 6 | 115 | 撮影のために大掛かりな機械仕掛けのキングコングが作られた。なお、キングコングという言葉は「古代王子ゴダル」編でも何度か登場する。 |
エクトプラズム | 6 | 130 | いわゆるオカルト・ブームの中、オーラとかエクトプラズムとかいうものがマスコミでしょっちゅう取り上げられていた。 |
シャシャ写楽か和登サンか みーんな先生にたたされたぁ | 6 | 144〜 | 野坂昭如が歌ったCMソングの一節。「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか みんな悩んで大きくなったぁ」のもじりである。 |
「大学内によくぞ警官を導入してくだすった!!」「過激派学生」 | 6 | 150 | 学生運動華やかなりしころにはよく話題になっていた警官隊の学内導入。この当時には学生運動そのものがすっかり下火だったはず。 |
先進国首脳会議 | 6 | 194 | いわゆるサミット。でたらめなほど過剰な警備体制が敷かれた。遠く離れた愛知県で不審尋問を受けてしまったのは、他ならぬ我が兄であった。 |
石森章太郎の漫画の場面に似とるやろう | 6 | 253 | なるほど「サイボーグ009」の登場人物004に似た人物が描かれている。 |
芹沢家鴨のあっちょんぶりけポーズ | 6 | 254 | もちろん、ピノコみたいに可愛くはない。 |
オレもおまえも流感だア | 6 | 279 | 第6巻p144に登場した野坂昭如のCMソングのオチの部分「オレもおまえも大物だア」のもじり |
ブラック・ジャック | 6 | 291 | コックとして特別出演。ngt氏の調査によると、ブラック・ジャックは「三つ目」にもう一度ゲスト出演しているとのこと。詳しくはこちらをご覧いただきたい。 |
ロッキードのように… | 6 | 360 | 手塚治虫のこだわり、というよりも、それほどの大事件だったのだ。ロッキード疑獄は。 |
この青田赤道のできそこないめっ | 7 | 18 | 5巻の73ページの項で紹介したとおり、青田赤道も一時代を築いたヒーローであった。 |
ねーっ電線音頭やらない? | 7 | 48 | 電線音頭…「電線にスズメが…」と歌いながら踊る奇妙なギャグ。かなしきは一時の流行である。 |
川谷拓三のほうが まだずーっとあいきょうがあるわよ | 7 | 76 | 川谷拓三は苦労人の悪役スター。いかにも気の弱そうなキャラクターが受け、このころから猛烈な売れっ子になった。ピラニア軍団という言葉が懐かしい。この方も先年物故。合掌… |
松本零士のマンガにさ こんなのが出てくるね | 7 | 119 | 松本零士。「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」などで時代の寵児に。女性の長い髪とまつげに特徴がある。そのことを言ったものである。 |
井奈折代議士 | 7 | 149〜 | どう見てもダイアル式電話機そのもの。今となっては懐かしい。「三つ目」には「足つきテレビ」とか「オープンリール式のテープレコーダー」などというとんでもないアンティークも登場している。 |
ハデな細工やってれら | 7 | 198 | 犬持先生の唐突なセリフ。語尾に注目いただきたい。記憶が定かでないのだが、「飛んでれら、シンデレラ」などという、CM起源の流行語があったような気がする。第8巻p89でも犬持先生は「食ってれら」と言っている。 Nさんの情報によると、「飛んでれら、あ、死んでれら」という殺虫剤のCMがあったとのこと。演じていたのは研ナオコ。(1999年8月5日追記) |
日本冷やし中華愛好会 | 7 | 198 | 文化人・芸能人を巻き込んで、「冷やし中華」論争(もちろん、シャレの範囲でである。筒井康隆あたりも一枚噛んでたはず)が起きたことがある。「空飛ぶ冷やし中華」などという単行本が2冊ほど出たはずだ。 |
KOMANECH | 7 | 223 | 和登サンの部屋のポスターに書かれた文字である。もちろん、モントリオールオリンピックの「白い妖精」ナディア・コマネチを指している。 |
スーパーカー | 7 | 233 | こういうものがブームになった時代がたしかにあったのだ。いわゆる、超高級スポーツカーのこと。私の世代にとって「スーパーカー」は別のものを指すのだ…。 |
ローラースルー | 7 | 239〜 | 何度も写楽が口にするのだが、なんのことだろう?ローラースケートの一種だろうか? Nさんの情報によると、「自転車とローラースケートを合体させたような」玩具だったとのこと。(1999年8月5日追記) |
タタリじゃーッ | 7 | 253 | 映画「八つ墓村」。そのCMとして頻繁にテレビで流された。当時の流行語である。 |
蛟竜の玉の正体 | 7 | 270 | ここで描かれた謎解きと全く同じものをテレビで見た覚えがある。それが、このエピソードの発表前だったか後だったかの記憶はないのだが。 |
DARTH VADER | 7 | 297 | もちろん、「スターウォーズ」シリーズの大立て者、ダースベイダーのことである。20年以上の時を経て今また大ブームだ…。 |
おまえたちの殺し合いを見てると横溝正史の小説を思いださァ | 7 | 301 | 横溝正史原作の「犬神家の一族」や「八つ墓村」などが次々と映画化され、横溝ブームになったのもこのころのことだ。そもそも「浦島太郎の遺産」と題するこのエピソードは、明らかに横溝作品からの換骨奪胎である。 |
CROSS ENCOUNTERS | 7 | 312 | 映画「未知との遭遇」をもじったものだろう。ほんとうは「CLOSED ENCOUNTER」だったと思う… |
駄盤 | 7 | 332 | 和登サンが恋しちゃった先輩の名だが、駄盤=「ダーバン」が世紀の二枚目役者にしてプレイボーイ、アラン・ドロンにつながるのは2巻P333の解説に示したとおりである。 |
高見山みたいにでっかーい人だな | 8 | 8 | 今だったら、小錦なり曙なりにたとえるところだろう。 |
なんだいこりゃあ!れいのニューネッシーという怪物の死骸にそっくりじゃないか | 8 | 82 | 実際にあったニュースからのパクリである。同じコマで「こういうのをすぐ手塚治虫は使うんだからまったく案がつまってるんだなア」と、自らツッコミを入れている。 |
ハナモゲラ | 8 | 84 | 「くさくて鼻がもげてしまう!」という意味で使われているが、タモリがはやらせた「ハナモゲラ語」を意識してのセリフであることは疑いがない。 |
おとーさんおかーさんをたいせつにしよう 一日一善 | 8 | 134 | 当時、超有名だった日本船舶振興会のコマーシャル――トラウマになりそうな内容であった――の締めの一節である。あの笹川会長もずいぶん前に亡くなった。 |
どうせおまえのハダカなんざ永井豪のマンガなんかより数段おちら | 8 | 250 | 永井豪の再登場。なんだかんだで、結局Hシーンを描いてしまう自分に対する自己弁護とも受け取れる。この後写楽がセリーナのおっぱいをモミモミしちゃうシーンなんか相当エッチである。 |
あんたってまるでクンタキンテみたい | 8 | 267 | アメリカの大作テレビドラマで、日本でも話題となった「ルーツ」の主人公がクンタキンテである。『ブラック・ジャック』の中でも、ピノコが「ゆーつ(ルーツ)」という言葉を発している。 |
多羅尾伴内 | 8 | 269 | 大昔の探偵映画の主人公だが、この当時テレビでリメイクされていたように思う。 |
五つ子でも産んで三つ目人を増やそう!! | 8 | 358 | そうか、山下さんちの「五つ子」ちゃんが話題になったのもこのころだったのだ。 |
ああ、こんなことも、あんなこともあったのだ。 『三つ目がとおる』を読みながら、私は遠い青春時代の感傷に浸ったりしたのである。
※ もちろん私の記憶違いや抜けがあると思う。ご指摘いただけると幸いである。