1999年 その3


8月14日 そこに僕はいた

 8月14日。
 東京で行われたオフ会に参加。
 (この会の模様については、既に主催者にしてウェブサイトNONBIRITODAYの主宰者、Mikanさんによるレポートが公開されております。)

 快く『三つ目がとおる』単行本未収録部分の大量のコピーをくださったAさん。
 早くも次回オフ会に向けて具体案を練っていたBさん。
 純粋な「黒男さま」への愛情を垣間見せてくれたCさん。
 遠く大阪から駆けつけてくれたDさん。(私が強引に引っ張り出したような気がしないでもない…)
 さりげなく手塚ファン歴の長さを披瀝してくださったEさん。
 Eさんに負けない知識と経験を感じさせたFさん。
 豪快に笑い、豪快に飲み、豪快に歌ったGさん。
 疲れた体に鞭打って駆けつけてくれたHさん。
 そして、わざわざ電話参加を果たしてくれたIさん。
 なにより、主催者として心を砕いている様子が印象深かったMikanさん。

 私はその場に身を置いて心地よく酔いながら、つい考えさせられていた。
 初対面であるのに、まるで旧知の間柄のように語り合える「仲間」の存在。
 手塚治虫というキーワードだけがそこに集った10人を繋いでいることの不思議。

 まるで、「じゃ、また明日」という雰囲気で別れの挨拶を交わしながら、また思う。
 今日この場に集まった全員が揃うことは、もうないのかもしれない。
 少なくとも<今日の私たち>が出会うことは二度とない。
 そう、まさに一期一会。
 だからこそ、の人生。

 「1999年8月14日、そこに手塚治虫を愛する仲間たちがいた」という事実。
 これは、私にとって何にも換え難い宝物だ。大切に、宝箱に収めておきたいと思う。

 

PS
 表題とした「そこに僕はいた」は、辻仁成のエッセイ集(新潮文庫)の題名から借用したものである。
 文句なしに面白い同書からは、作者が手塚治虫ファンであったことも分かる。(たった1行触れられているだけだが…)一読をお薦めしたい。


8月30日 最高の宝物

 私がナマで手塚治虫の姿を見る機会を得たことは4度。
 2度は「手塚治虫ファンクラブ京都」の集まり。
 残る2度のうち、1979年8月25日の件については既に述べさせていただいた。
 今回は、最後の1度について思い出を語っておきたい。

 1980年8月30日。
 名古屋国際ホテルの1フロアを会場にして「手塚治虫フェア」が催された。 
 主催は名古屋に拠点を置いていた手塚治虫のファンクラブ「まんがのむし」であった。
 おそらく共催という形であったのだろう。会場には、マネージャー(現在の手塚プロダクション社長)の松谷氏をはじめとした、本家「手塚治虫ファンクラブ」に関わる方々の姿も見られた。
 また、「手塚治虫ファンクラブ京都」主宰の石川栄基氏もいらっしゃっていたように記憶している。(石川氏の功績について私などが語るのは口はばったいが、「手塚治虫記念館」が展示している稀覯本の多くが氏の寄贈であるという事実だけでも知っておくべきだと思う。また、「まんがのむし」や「手塚治虫ファンクラブ京都」はけっして現在のオフィシャルFCの「支部」といった存在ではなかったことも付け加えておきたい。)

 閑話休題
 そろそろフェアの内容に触れよう。
 メインはなんといっても午後1時半からのサイン会。
 その待ち時間。会場前で行われていたグッズや古書の即売会で、例の『三つ目がとおる』のボツ原稿の切れ端を入手した。今から思えばとんでもない幸運に恵まれたとしか言いようがない。

 いよいよ…。
 奇跡的に、時間どおり始まったサイン会。
 私は、その1月ばかり前に購入したばかりの『手塚治虫初期漫画館』(名著刊行会)の最終巻『ジャングル大帝 2』の奥付け前ページにサインを頼み、ほとんど忘我の境地に漂いながら握手をしてもらった。
 しかし、その掌の柔らかさと温かさ、そして意外なほどの大きさだけははっきりと記憶している…。まさに、最初にして最後の至福の瞬間……!

 「手塚治虫にまつわる宝物をひとつだけ選べ」と言われたら。
 ……私は「あの掌の記憶」を挙げたいと思う。

 

補足
 このサイン会後にはトークタイムが設定されていた。
 ホテルのパーティー会場であったため、ピアノが置かれていた。トーク半ばのことだったと思う。手塚治虫は、突然そのピアノを弾き始めた。忘れもしない『鉄腕アトム』のテーマソング。照れ笑いを浮かべながら鍵盤に向かうその姿も、私の脳裏に深く焼き付けられた。未発表ポスターをフライング公開したことで、松谷氏がお叱りを受けていた姿も奇妙に印象に残っている。


9月4日 「こうしてやるっ」

  『鉄腕アトム』リアルタイム世代の土田氏より、かの「アトムの暴言」に関する貴重な追加情報を寄せていただいた。
 それをもとにして、さっそく表の補完を行いたいと思う。

アトムの言葉 収録単行本 出版社 発行年月 備考
悪人め こうしてやる! 雑誌掲載時(「少年」別冊付録) 光文社 1958年1月 土田氏よりの情報
どろぼうめっ こらしてやるっ 手塚治虫漫画全集 第7巻 光文社 1959年12月 土田氏よりの情報
どろぼうめっ こらしてやるっ カッパコミックス 第5巻 光文社 1964年5月 土田氏よりの情報
どろぼうめっ こらしてやるっ カッパコミックスデラックス 第3巻 光文社 1965年12月 土田氏よりの情報
どろぼうめっ こらしめてやるっ!! ゴールデンコミックス 第5巻 小学館 1969年1月 土田氏よりの情報
どろぼうめっ サンコミックス 第5巻 朝日ソノラマ 1975年8月 ngt氏よりの情報
どろぼうめっ こらしてやるっ 手塚治虫漫画全集 第5巻 講談社 1980年6月 「懲らしてやるっ」のことか?
どろぼうめっ こらしてやるっ KCスペシャル 第3巻 講談社 1987年5月 土田氏よりの情報
どろぼうめっ ころしてやるっ 豪華愛蔵版 第3巻 講談社 1992年12月 あまりの暴言!
どろぼうめっ ころしてやる 「鉄腕アトムの秘密」 文化創作出版 1993年6月 参考文献は「手塚治虫漫画全集」と記されている…。
どろぼうめっ ころしてやるっ 光文社文庫版 第3巻 光文社 1995年10月 講談社豪華愛蔵版の縮刷と推定される。
どろぼうめっ こらしてやるっ SUNDAY COMICS版 第5巻 秋田書店 1999年8月 サンコミックス版からの復刻…。

 基本的に出版社が変わった際にネームの見直しも行われているようだ。そして、アトムを「ロボット法」無視のアウトローに仕立て上げてしまったのが他ならぬ講談社であることもほぼ断定できる。単純な誤植だったのだろうか?それとも何か意図があってのことだったのだろうか?「う」「ら」「ろ」――確かに字形は似ているが……。
 いずれにしてもオリジナルでは「こうしてやる」の形であったわけで、とりあえず私の推理は当たっていたことになる。アトムに特別の思い入れのある世代のひとりととしては、ほっと胸をなでおろしたい気分である。

 末筆になりましたが、わざわざ面倒な調査をしていただきました土田様に、この場を借りて深くお礼を申し上げます。ほんとうにありがとうございました。


10月3日 『火の鳥』の往還

 なぜこんなことをしたのだろう?
 1986年4月、角川書店から「カラー決定版」と銘打たれてハードカバー版『火の鳥』が刊行され始めたとき、私は疑問を感じた。
 各エピソードの収録順がデタラメであるように思えたのだ。(ちなみに、第1回の配本は「鳳凰編」であり、第2回が「乱世編」の上巻……発売順にも抵抗を覚えたものだった。)
 『火の鳥』は、いうまでもなく手塚治虫の代表作の一つであり、ライフワークといわれた大作である。そして、内容もさることながら、全編の構成の雄大さでも名高い。
 すなわち、「超古代から説き起こされた物語が、次のエピソードで一気に超未来に飛び、その後、過去と未来を振幅しながら次第に現代に近づき、ついには完結に至る(手塚の死によって、この構想が果たされることはなかったが…)」という、あの構成である。

 上の構成にしたがって――発表順に――各エピソードを並べてみると、以下のようになる。(「巻数」は角川版における収録巻数である。なお、漫画少年版と少女クラブ版は、この構成外の作品であるため省略した。)

舞台となった年代(時代) 編名 初出誌 掲載年月 巻数
黎明編 3世紀(卑弥呼の時代)   COM 1967.01〜1967.11
  AD3404〜超未来 未来編 COM 1967.12〜1968.09
ヤマト編 4世紀(黎明編より80年後)   COM 1968.09〜1969.02
  AD2577 宇宙編 COM 1969.03〜1969.07
鳳凰編 8世紀(奈良時代)   COM 1969.08〜1970.09
  AD2482〜3344 復活編 COM 1970.10〜1971.09
羽衣編 10世紀(平将門の乱)   COM 1971.10
  23〜24世紀? 望郷編 マンガ少年 1976.09〜1978.03
乱世編 AD1172〜1189   マンガ少年 1978.04〜1980.07 7・8
  AD2155〜2170 生命編 マンガ少年 1980.08〜1980.12
異形編 AD1468〜1498   マンガ少年 1981.01〜1981.04

 角川版の収録順に関しては、手塚治虫自身が「今回はあえて構成を変えてみた」というようなことを書いていた。つまり、作者自身の意図だったのだ。だが、それを読んでもなお、私には納得がいかなかった。これでは、『火の鳥』全体の構想そのものを作者自らが否定しているようではないか…。
 しかし…。
 雑誌「野生時代」1986年1月号から連載が始まっていた最新エピソード「太陽編」の中に、その答えはあった。
 「太陽編」「異形編」に次ぐエピソードである。「振幅の構成」にしたがうならば、「生命編」よりも現代に近づいた世界が描かれてしかるべきだ。実際、「太陽編」では21世紀はじめ――2009年ごろと推定される――の世界が一方の舞台となっている。それに加えて、もう一つの時代――7世紀、壬申の乱前後の物語がクロスしながら描かれているのはご承知のとおりである。。
 なるほど、手塚治虫は自らの手で「振幅の構成」に終止符を打ったわけだ。角川版における収録順の変更は「太陽編」を受けての必然だったということになる。もしかすると、こうすることで、手塚は自らの構想の矛盾を覆い隠したかったのかもしれない。
 もともと「宇宙編」「復活編」との間には時間軸の交錯が存在する――上の表の「舞台となった年代(時代)」欄を参照されたい――わけで、かなり早い段階から完璧な振幅にはなっていなかった。
 いつも言うことなのだが、やはり作品は発表順に読まれるべきである。特に『火の鳥』は、その意義が大きいと思う。

 付け加えておこう。角川版『火の鳥』は(現在広く読まれている角川文庫版も含めて)「望郷編」「乱世編」の内容に大幅な省略がある。朝日ソノラマ版ないしは講談社漫画全集版をお読みになることをお薦めする。また角川のハードカバー版「太陽編」下巻は、初版と再版以降で内容が異なっている。収集マニアは要チェックである。(って…。皆さん、ご存知ですよね(^o^)丿)


10月16日 メジャーとマイナーの狭間で

 10月12日。『リボンの騎士(なかよし版)』(講談社文庫)発売。
 これで、いわゆる「手塚漫画ベスト5」(手塚治虫記念館認定?)はすべて文庫化されたことになる。
 この『リボンの騎士』に限らず、『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』は、抜群の知名度に比して、原作を読んだ人が思いのほか少ない作品でもある。それどころか、キャラクター名は知っていても手塚治虫が原作者であることを知らないという人がかなり存在するというのが現実だ。つまり、作品としてではなく、キャラクター商品のひとつとして認知されている部分があるわけである。
 実際、『ジャングル大帝』などは、つい最近まで原作を容易に読める環境になかったと言ってよい。単行本が出版されなかったわけではない。されてもすぐに絶版になってしまったというのが真相だ。あるいは、「講談社版手塚治虫漫画全集」のように細々と出版されていて、ほとんど店頭で見られないというような状況でもあったのである。

 かつて、講談社が件の全集を刊行しようとした際、手塚治虫自身は難色を示したという。「私の作品にはメジャーなものもあるが、それ以上にマイナーな作品も多い。それらは売れませんよ。」というのが理由だったらしい。
 それまでにも「全集」は何回か企画されたが、いずれも未完に終わっていた。当然、そのことが手塚の頭にあったのであろう。講談社側の「社名を賭けて全巻を刊行する」という言質を得て、ようやくゴーサインを出したとのことである。
 結果的には当初予定の300巻に、更に100巻を加えた「全400巻」に及ぶ空前の個人全集が無事に刊行されることになった。(装丁や紙質の悪さなど、この全集につけたいイチャモンはいくらもあるが、なにをおいても全巻を完結させた功績は評価せねばならないと、私は思っている。)穿った見方をすれば、先の発言は手塚の作戦だったかもしれない。「今まで日の目を見ることのなかった我が子たちをなんとか確実に世に出したい」という…。

 手塚作品のメジャー・マイナーをどこで線引きするかは、アニメーション化されているか否かという基準がもっとも分かりやすいであろう。連載期間の長短も立派に基準になりうる。文庫化されているか否かについては、『三つ目がとおる』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』といった大物も加わった今年から、やっと基準のひとつに加えられるかもしれない。
 思えば、世は空前の漫画文庫刊行ラッシュである。(20年前の第一次漫画文庫ブームはすぐにしぼんでしまったが、今回は完全に定着したといってよさそうだ。そのきっかけとなったのが秋田文庫の『ブラック・ジャック』であるのはいうまでもない。)こうした流れの中、手塚作品も、全集収録作品の相当数が文庫化されたといえる段階まできている。
 それでも、文庫化を望みにくい名編が残されている。たとえば、『オズマ隊長』がそうである。絵物語という特殊な形式であることが最大のネックであろう。絵物語といえば『ハトよ天まで』が既に文庫化されているが、『オズマ隊長』のほうはそれよりはるかに文章部分が多いのだ。そのうえ、内容的にも今のご時世では公刊しにくい事情がありそうだ。「薬物の力で年齢不相応の知力・体力を持った少年が主人公」という設定に眉をひそめる良識派の姿が目に浮かぶ…。
 『オズマ隊長』は今までに4度単行本化されているが、そのうちの3回はきわめてマイナーな形での出版であった。残る1回が、「講談社漫画全集版」であり、現在も一般書店で入手が可能である。未読の方には、ぜひともオズマとアッペの絶妙のコンビネーションやゴルゴンの美貌の鑑賞をお薦めしておきたい。

 『オズマ隊長』ついでに一言。オフィシャルサイトに既刊単行本の紹介ページがある。(10月16日現在メンテナンス中で閲覧不可だが)『オズマ隊長』に関する単行本「あとがき」紹介は奇妙だ。4種類の単行本のどのあとがきを参照しても、同じコメント――講談社全集版のもの――が表示される。メンテナンスが終了したら直っているのだろうか?


10月27日 『アストロボーイ』はアトムに非ず

 10月27日、新聞やテレビで『鉄腕アトム』ハリウッド映画化のニュースが報じられた。
 ソニー傘下のコロンビア・ピクチャーズが手塚プロダクションからキャラクターの使用権を取得、『アストロボーイ』と題して2001年夏に実写版(アトム=アストロボーイはCG合成)公開する見通しであるとのことだ。

 「キャラクターの使用権」が何を指すものか、正確なところは分からない。しかし、この表現からは「アトムのキャラクターを使用した映画を作る」権利がコロンビア・ピクチャーズに与えられたのであって、「手塚治虫の原作を映画化する」権利が与えられたものでないように読み取れる。つまり、ストーリーは全くオリジナルなものが作られるであろうということだ。(先ほど確かめたところ、「ストーリーはオリジナル」と明記した新聞記事もあった。)
 SFXを満載した、いかにもハリウッド的なスペクタクル――そこに登場するのはもはや手塚治虫が生み出したアトムではありえない。どんなにシナリオが練られようとも、あの、私の少年期を彩った、繊細で心優しいアトムが描かれることは望むべくもないのだ。
 手塚が大の映画ファンであったことを引き合いに出して、今回の映画化を歓迎する向きもあるだろう。「ハリウッドで映画化されれば手塚先生も喜んでくださるに違いない」などと、かつて『ライオンキング』騒動の際に聞いたような意見まで飛び出すかもしれない。
 しかし…。
 私は、今一度言わずにはいられない。
 2001年に我々の前に姿を現す『アストロボーイ』は、けっして私の愛する――手塚治虫の『鉄腕アトム』ではない、と。
 それが、たとえどんな傑作映画であったとしても…。

 今回の映画に関する私のほとんど唯一の興味は、クレジットのどの部分に「Osamu Tezuka」の名が記されるかである。もしかすると、どこにもそれを見つけられないのではないか…。いや、いっそ、そのほうが私にとっては望ましいと言えるのかもしれない…。


11月7日 百鬼丸の背中

うしろ姿のしぐれてゆくか

 漂泊の俳人、種田山頭火の俳句を引くまでもなく、人の後ろ姿にはえもいわれぬ哀感が漂うものである。
 かつて、淀川長治がテレビの映画解説――おそらくチャップリンの作品だったと思う――において、
「無声映画では、道をこちらに向かって歩いてくるエンディングは、今後の主人公たちの幸福な生活の暗示――すなわちハッピー・エンドであり、道の向こうに去っていくエンディングは、その逆――すなわちバッド・エンドを象徴する」
と、語っていたのを見た記憶がある。
 なるほど、遠ざかる姿には「現世を離れる=死」というイメージがつきまとうことは明白である。これを踏まえて考えてみると、『ブラック・ジャック』の最後の1コマに、歩き去るB・Jの後ろ姿の描かれていることが驚くほど多いのは、きわめて象徴的であると言えるだろう。(※伝え聞いた話では、『ブラック・ジャック』のラストシーンに関する考察が手塚治虫FCの会報に載ったことがあるとか…。どんな内容であったのか、教えていただけるとありがたいですm(__)m)

 さて、B・Jの異母兄弟とも目されることのある、我が百鬼丸の場合はどうであろうか。

 ――期待にたがわず、彼もまた各エピソードの終末の場面で、その後ろ姿を何度も我々の前に晒している。
 秋田文庫版『どろろ』にしたがい、どんなシーンが展開したかを振り返ってみよう。(なお、便宜上「エピソード名」としたが、下の表に示したものは各エピソードの実質的結末部であって、必ずしも単行本の各章の末尾でないことをお断りしておく。)

巻数 エピソード名 結 末 部 分 に 描 か れ た 場 面
発端の巻  たらいに乗せられた赤ん坊(百鬼丸)が、川下に向かって流れ去ってゆく様子。
百鬼丸の巻  養父(寿海)のもとを去った百鬼丸が、巨大な木の横を通り過ぎてゆく後ろ姿。
法師の巻  過去を語り終えた百鬼丸が、押しかけ相棒のどろろとともに道の向こうに去ってゆく後ろ姿。
金小僧の巻
万代の巻
人面瘡の巻
 他人にかまったことがなかった――と自ら語る百鬼丸が、足手まといのはずのどろろを気遣っている事実に気づき、自分自身に毒づきながらもどろろを背負って歩き去る後ろ姿。
無残帖の巻  どろろの過去が語られるエピソード。
妖刀の巻  追われるように村を去るシーン(p304)、珍しくこちらに向かって歩いてきながら自分の気持ちを告白する百鬼丸と、村の少女お須志との別れを惜しむどろろの姿。
ばんもんの巻  ばんもんの崩壊を見守る百鬼丸とどろろ。そして、多宝丸を殺され、怒り狂う醍醐景光の姿。
白面不動の巻  どろろの発言にあきれた百鬼丸が、びわ法師とともに立ち去る姿。及び、彼らを追うどろろの姿。(斜め後ろのアングルから描かれている)
鯖目の巻
地獄変の巻
 村を追われた百鬼丸が、埋蔵金を求めるという目標を口にしつつ、どろろの先に立って去ってゆく後ろ姿。
二ひきのサメの巻
しらぬいの巻
 倒したサメ(二郎丸)としらぬいを海に流し、それを見送る百鬼丸とどろろの後ろ姿。
無情岬の巻  宝を見つけることができず、岬から去ってゆく百鬼丸とどろろを乗せた小船のシルエット。
ミドロの巻  妖馬ミドロ号の子に見送られて立ち去りつつ、その子馬を励ますどろろと、それを見守る百鬼丸のシルエット。
どんぶりばらの巻  自らを犠牲にしたお米に最後の別れを告げ、山道を登って去ってゆく百鬼丸とどろろの後ろ姿。
四化入道の巻  四化入道の住んでいた寺の荒れ果てた山門のカット。
ぬえの巻  別離を告げて、虚空に向かって立ち去る百鬼丸の後ろ姿と、それを泣きながら見送るどろろの後ろ姿。

 上の表からも分かるとおり、百鬼丸はみごとなほどに「読者に背を向けてその場から立ち去ろうとしている」のだ。
 先に述べたように、主人公が立ち去るエンディングが多数描かれるのは『どろろ』に限った特徴ではない。『ブラック・ジャック』はもちろんのこと、『火の鳥』においても多くの印象的な後ろ姿が描かれているのを想起することはたやすいはずである。いうまでもなく、これらが作者が愛した映画からの影響であると指摘するのも容易で、そこから「手塚に他意はなく、単に余韻を残すためにこのようなシーンを多用したのだ」と結論づけることも可能だ。
 しかし、たとえ無意識であったとしても「死への歩み」を連想させずにはおかないシーンを描き続けたところに手塚治虫という作家の本質があると考えるのは、あながち的外れではないと思うのだ。
 いささか乱暴に結論づけてしまえば、
「手塚治虫は、避けようのない運命――「死出の旅路」に向かう主人公たちの姿を描こうとした作家である」
といえるのかもしれない。

 余談になるが、第3巻p78には、単行本化の際に大きく台詞を変えられてしまった重要な場面がある。
 イタチが、
「……よし背中さえ見ればおまえには用がねえ」
と言うのに対して、
「ばかやろう」
と、どろろが怒鳴り返しているシーンなのだが、どう見てもこのときのどろろは怒ってなどいない。
 実は、雑誌連載時にここで交わされたのは、
「……その百鬼丸ってやつがすきなのか?」
「うん、すきだ!!」

という会話なのだ。
 つまりこの場面、どろろによる百鬼丸への愛の告白シーンなのである。私はこの事実を『どろろ草紙縁起絵巻』(武村知子著・フィルムアート社刊・1996年6月初版)という本で知ったのだが、ひょっとすると連載時には他にもまだどろろの百鬼丸への想いが述べられている部分があったのではないかという気がする。
 そういう視点で見ると、第3巻p264に出現する、
「おいらの気持ちも知らねえで…」
というどろろの台詞は、実に暗示的である。彼女の気持ちがどのようなものであったのか、想像できるような気がするからだ。

 もうひとつ付け加えさせていただく。『どろろ』という作品を最近初めて読んだという方には参考になることもあるのではないかと思う。
 秋田文庫版第3巻p267にある「初出誌」の記載から分かるとおり、この作品はふたつの異なる雑誌に掲載されたという過去を持つ。最初は「少年サンデー」誌に連載され、「無情岬の巻」のエピソードをもって一旦終了、約1年後のテレビアニメーション化に合わせて「冒険王」誌にて再開されているのだ。
 「冒険王」への連載に際して、「サンデー」版「万代の巻」――単行本に収録されているものである――を下敷きにした導入部が用意されたのだが、そこでは、次のような重大な設定変更も行われていた。
「どろろは、魔物に奪われた百鬼丸の体のパーツを用いて生み出された人間である。したがって、百鬼丸は、どろろを殺すことで一気に自分の体を取り戻すことが可能である。」
 この設定によって、百鬼丸は新たな葛藤の火種を背負い込むことになったはずであった。飽くまでも48の魔物を追い求めるか、それとも、手っ取り早く目の前のどろろを殺してしまうかという……。しかしながら、第2次連載はわずか数か月で打ち切られてしまい、作者の企図したであろう展開は実現しなかった。
 単行本化にあたって、「サンデー」版との整合性のないこの設定が採用されるはずもなく、該当部分は書き改められてしまった。今となっては、「冒険王」版『どろろ』は、奇妙なほどに描き込まれた風景によってのみ「サンデー」版との差異を主張していると言ってよいだろう。(秋田文庫版第3巻「ミドロの巻」から「ぬえの巻」までが「冒険王」連載分にあたる。)


11月23日 ノルヴァはなぜ消されたのか

 以前に角川版『火の鳥』「望郷編」に大幅な省略がある旨を記した。実際、角川版は他社刊行の版に比して約70ページも短い。(角川版にのみ章の扉が設けられていることも考え合わせれば、中身はさらに10ページ以上少なくなっているといえる。)
 しかし、その角川版――1986年10月初版のハードカバーも1992年12月初版の文庫も内容は同じである――と、講談社漫画全集版(上・下巻分冊、1983年4〜5月刊)及び朝日ソノラマ版(1978年9月刊、1998年2月に復刻版刊)とを読み比べると、正確にはそれが「省略」といえるレベルの問題ではなく、大改変であることが分かる。今回はこの件についての私見を述べてみたいと思う。

 まず、具体的にはどのような改変が行われたのかを見ておきたい。

 最も目立つのはノルヴァという登場人物がまるごと削除されている点である。それに伴ってコマ割りの変更やコマの差し替えなどが大量に行われている。いちばん多用されているのはノルヴァだけをコマから消し去るという手法なのだが、そのため、どう考えても不自然なカットが多数生まれている。(分かりやすい例として、「牧村がロミとコムの乗った岩の船に乗り込んでくるシーン」を挙げておこう。牧村がどのような方法で岩を溶かして入ってきたか、またその壁面がどうして復元されたかの説明などが全くなされておらず消化不良になる。さらに、船から出ようとする牧村が、壁に向かって「おい おれはこの隕石の外に出たいんだ」とお願いする珍妙な場面まで生まれてしまっている。文庫版の161〜167ページを参照されたい。)

 次に大きな改変は「食人」エピソードのカットである。角川版以外では、ロミの長男にして2番目の夫カインが、家族を生き延びさせるために自ら望んで食糧となるシーンが存在する。また、 女の子の生まれない原因を「動物を食べないこと」であると判断したロトたちが、セブを殺してロミに食べさせようと相談するシーンもある。それに怒ったロミが冷凍睡眠室に引きこもり、久しぶりに目覚めてみると外界の様子が一変していた、という流れも描かれていたのだが…。(角川版における「ムーピー」の章――文庫版65〜104ページのエピソード――が該当する部分である。なお、これらに関わる改変の影響で、この章にも珍妙な矛盾が生じている。69ページでは明らかに身重であるロミが、数ページ後には唐突に産後になってしまっているのだ。)

 その他、章立て(全11章)が行われていることも目立った相違である。また、細かなエピソードの挿入順が激しく入れ替わっていてチェックするのに苦労させられる。たとえば、冒頭のカラーページにあるロミとジョージの思い出のシーンは、他の版ではセブの初登場シーン後に置かれている、といった具合である。細かい違いについては、ぜひとも皆さんが直接その目で確かめていただきたいと思う。

 さて、ではいったい、なぜこのような大改変が行われたのだろうか?
 この改変は『火の鳥』のテーマそのものにもかかわるほど大きな問題をはらんでいる可能性がある。なぜならば、角川版は手塚治虫の生前に刊行された最後のシリーズであって、当然のことながら手塚自身の意図で改変が行われている最も新しい『火の鳥』であるからだ。つまり、その意味では角川版こそが決定版『火の鳥』であると位置づけることも可能なのである。

 こうして考えた場合、やはり気になるのはノルヴァの抹殺である。
 彼(彼女)はどんな役割を担ったキャラクターだったのか。
 ノルヴァは凍てつき滅亡を目前にした星から、ただひとり救い出されたソロン人と呼ばれる種族である。彼(彼女)は雌雄単体の生命体である。上半身は男女に分かれているが下半身が一体化しているのだ。彼(彼女)の生きる目的はあまりも単純明快である。すなわち「子孫を残すこと」だけが彼(彼女)の至上の目的であり、到達点なのだ。その証拠に、産卵を終えれば彼(彼女)の生命も終わりなのである。ストーリー終盤、エデン17崩壊の混乱のさなか、さながらカゲロウのように宇宙船内に卵をびっしりと産みつけたノルヴァは静かに死んでゆく。そして、孵化した彼(彼女)の子供たちは、安住の地を求めて宇宙船を発射させる。これはまさに旧約聖書におけるモーセによるエクソダスにつながるイメージにほかならない。
 「望郷編」が旧約聖書の香りを漂わせているのは、登場人物の名前や「エデン」という星の名、ロミらを乗せた「方舟」――ノルヴァはその「方舟」によって救われる形で作品に登場する――の存在、さらにはズダーバンによって「知恵の実」を与えられたエデン17の人々の堕落描写などからも明らかだ。
 「方舟」への乗船者として選ばれたノルヴァ。作品のフィナーレに描かれた「エクソダス」の導き手であるノルヴァの子ら。こうした設定から、当初の構想におけるノルヴァの重要な位置が窺い知れるであろう。
 にもかかわらず、このキャラクターは消されてしまったのだ。

 何が問題だったというのか?
 私にはひとつの理由が思い浮かぶ。
 すなわち、ノルヴァが「あまりにも強すぎるキャラクターであったこと」である。
 「種の保存」という明確な目的を有した彼(彼女)は、生きることに関して一切の悩みを持たないのだ。「生きることの意味」を問うのが『火の鳥』の重要なテーマであった。「望郷編」に限らず、他のエピソードでも、多くのキャラクターたちが生きることに悩み、のたうち回っている。ところが、ノルヴァはそのテーマに対する究極の解答を体現してしまったキャラクターであった。解答が示されてしまった以上、もはやそれをテーマにした作品を描き続ける必然性も失せてしまうではないか…。
 角川版『火の鳥』は新作「太陽編」連載にリンクして刊行が開始されたものである。「望郷編」の抱えたこの大きな矛盾に気づいていた手塚は、新作の発表を機に旧作の大幅な書き換えを行うことで、その問題の解消を図ったのではないか?そんな気がしてならないのだ。
 繰り返そう。ノルヴァは完璧なキャラクターであったがゆえに消される運命を背負わされてしまったのである。

 先回述べた旧作の配列の再編もまた、上のような事情で進められた書き換え作業の副産物だったといえるのかもしれないが、これについてはまた改めて考える機会を持ちたいと思う。

 

追記(1999年12月1日)
 11月30日、ngt氏よりメール。
 その中で、興味深い情報をお知らせいただいた。関連部分を引用させていただく。

 今日、初台のショップに行ってみたところ、タイムリーに、虫のお知らせ放送局でその話題が!!
 こんな内容でした。
「角川版『火の鳥望郷編』はかなり改編されていて不満です!あれは手塚先生の意思なのですか?」
「そのとおりです。手塚先生は前々から『望郷編は長すぎる』とこぼしていました。全集に載せる時に改編しようとしたのですがかなわず、角川版でようやく短くすることができたのです。」
 ということです・・・

 いかがであろうか?
 この情報は、角川版こそが決定版であるという私の仮説を証明するばかりか、上に述べた私の推論まで補完してくれているように思える。
 なぜならば、これによって、手塚が「望郷編」の内容に不満を抱いていた事実が明らかになったからだ。もちろん『望郷編は長すぎる』という以外、具体的な不満の中身が示されているわけではないのだが、その不満を解消する方策として「ノルヴァの抹殺」が選択されたことがはっきりする。
 抹消の対象がなぜノルヴァでなければならなかったのか?
 改めてこう考えたとき、なんの矛盾を生ずることもなく私の推論で説明がついてしまう事実に行き当たるではないか。
 こうもタイミングよく、この問題が初台で話題に上ったことにすら運命的なものを感じてしまう私であった。(思い過ごしである……キートン山田の口調で読み上げるべし(^o^)丿)


12月11日 「神」と向き合う

 あらかじめお断りいたします。今回は厳密には手塚ネタではございません。悪しからずm(__)m

 1999年12月11日。
 名古屋で行われた辻仁成――ミュージシャンとしての彼は「つじじんせい」と呼ばねばならないのだそうだ。むろん、作家としての彼は「つじひとなり」である――のライブに出かけた。
 強烈な彼のカリスマ性と圧倒的な歌声に、とうの昔に四十路を過ぎた私も十二分に酔った。
 アンコール曲「ZOO」を大合唱したあと、再度のアンコール。クリスマスソングに乗せて語りかけられたメッセージ。その中で彼はこんな言葉を発した。
「間違ってもオレについてきてはいけない。オレは教祖様ではないから。」
 ファンたちの熱狂的な支持を受けたその言葉が心に食い込んでくるのを感じながら、私の辻仁成ライブ初体験は終わった。
 会場を出てからしばらく、私はこの言葉の意味するところを考えていた。
 辻仁成は、当然昨今の新興宗教問題を念頭に置いて上のような発言をしたのだろう。自身に「教祖としての資質あり」との自覚があるからこそ、こう言わざるを得なかったのだと思う。
 彼は、「教祖」として盲目的な信仰を受けるよりは、歌手として、作家として、あるいは映画監督として、人々に評価してほしいと宣言したわけだ。受け手との対等の関係を望む「創造者」辻仁成の在り方に触れられたような気がして、私は一層彼が好きになった。
 そして、不意にこんなことに思い至った。

 私は、自分の「神」にどのように相対していたのだろうかと。

 多くの人たちが手塚治虫を「神様」と呼ぶ。ファンばかりでなく、同業であり商売敵であるはずの漫画家たちまでが。むろん、私も例外ではない。「非科学省」内においても、幾度となく手塚を「神」と記してきた。創造者としての手塚は紛れもなく「神」と呼ぶにふさわしい。しかし、私は――宮崎駿に言われるまでもなく――手塚を神棚に祭り上げてしまう気はない。……こう力んでみせながら、正直なところ違和感を覚えている自分に気づく。
 私は手塚治虫を盲目的に信仰してしまっているのではないか?
 いつからだろうか?ロクに読みもしないでおいて、「手塚作品だから」という理由だけで無条件に受け入れてしまうようになったのは。
 手塚治虫といえどもどうにもならない駄作を生み出してしまっているはずなのだ。それが見えなくなってしまっている自分…。
 今一度原点に返って、「送り手」と「受け手」とが対等な立場から作品に接しなければならないのではないか――今回のコンサートは、私に思いもよらぬ自省を促してくれた。

 こんなところに書いても仕方がないとは思いつつ、やはり書いてしまおう。
「ありがとう!ジンセイ!」
と。


12月27日 1999年回顧

 今年も手塚治虫関連のいろいろなできごとがあった。昨年同様、私なりに手塚治虫関連ニュースを振り返ってみたいと思う。なお、今回は特にランク付けはせず、基本的に出版物関係から「周辺事態」に及ぶ形で思いつくままに書き出してみることにした。

『三つ目がとおる』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』文庫化
  『三つ目がとおる』に関しては昨年の末から刊行が始まっていたので、厳密には今年のニュースとはいえないが、完結が今年であったということで許してもらおう。『ジャングル大帝』『リボンの騎士』の文庫化で手塚作品中の超メジャーが全て文庫化されたといえると思う。

 『人間ども集まれ!』復刻版刊行
 今年もいくつかの「未収録」作品の復刻が実現した。その中でも、単行本と雑誌掲載時における相違の顕著な作品として忘れられないのが本作である。こ ういう復刻はファンとしてはうれしいが、「もし手塚が生きていたら…」と考えると手放しに喜ぶことはできない部分もあり、複雑な心境ではある。

『手塚治虫絵コンテ大全』発刊
 「最後の未発表作品」という惹句も当然と思える。私など『マリンエクスプレス』中に書き込まれた『指輪物語』という言葉を見られただけで満足である。これもまた手塚自身が生きていたら日の目を見ることはなかったに違いない「幻の」手塚作品群である。

『虫の標本箱パートU・パートV』
 こう書いたものの、11月3日発売予定であったパートVは未だ完成していない模様。内容云々よりも度重なる発売延期で予約者をやきもきさせているという点で忘れられないというべきか。
 11月2日に投函されたふゅーじょんぷろだくと社からのお詫びハガキにはこんな言葉がある。
「…「またか」とお思いの方も多いと思いますが…何とか今年中に完成し…」
 私はもはやこれをユーモアだと解している。「またか」と思わされるのも楽しみのひとつ。そもそも、「まさか」予定通りに出るなんてことないよね、などと考えている人間なのだ。

『ブラック・ジャック画集』刊行
 「なるほど、こういう手があったのか!」この本の発売情報を聞いたときの私の率直な感想である。今やブラック・ジャックは手塚治虫最大のブランドともいえる。確実にヒットを飛ばせる切り札なのだ。
 来年には『ブラック・ジャック限定BOX』も発売。そこでは未収録作品のうちの2編だけが復刻されるという。これは『限定BOXU』や『V』の発売をも予感させずにはおかない。もしもこの勘が正しければ、秋田書店も商売上手であるとしかいいようがない。
 …なにやら、ケチをつけまくってしまったようだ(~_~;)
 肝腎の本書の内容。これは文句なくすばらしい。ファン必携の1冊であると断言できる。

「手塚治虫ピンバッジコレクション」「手塚治虫限定版美術メダルコレクション」
 ええ、そうでしょうとも。人間には見栄ってものがありまさぁ。食い物屋で「松・竹・梅」を並べられたら「梅」は選びにくいもんですぜ。つい、懐具合も省みず「竹」――「松」って言わないところが小市民でやんしょ、へへへ…――って叫んじまいます。で、「いざ勘定を」って段になって後悔するんでさ。
 純金製の77万円は買えっこないにしても純銀製なら買えそう、そう思ったのが運の尽き。私ゃもう破産です。
 そこへもってきて、なんだこりゃ?「1個1万円×13個のメダルだぁ?」
 おう、おうっ、上等じゃねぇか!毒を喰らわば皿までって言葉もあるぐれえだ。こちとら江戸っ子――いったい、いつから?(~_~;)――でいっ!!矢でも鉄砲でも持ってこいってんだ。

諸作品映像化計画
 『陽だまりの樹』『ガラスの脳』『鉄腕アトム』『カノン』『ルンは風の中』『ふしぎなメルモ』…多くの手塚作品が来年映像化されるとのことだ。20001年にはあの『アストロボーイ』が登場…。
 いずれにせよ、「原作とは別物である」という割り切りを持って見られるかどうかが問題である。実際、数年前の『ジャングル大帝』みたいな失敗作を見せつけられた私としては不安を感じないわけにはいかない。

『永遠のアトム 手塚治虫物語』と『手塚治虫・世紀末へのメッセージ』
 前者は、ところどころにドラマとしての虚構を交えていたものの、手塚死後に作られた「手塚治虫伝記」的作品の中では最上位に位置するものだったと評価したい。
 しかし、1月15日に放送された後者ほどの衝撃はなかった。あの、ほんの少しだけ流された死の直前の講演ビデオ。あれを観たとき背筋に走った戦慄を、私は忘れることができない。 

人種差別問題
 この件については私見をこちらで述べた。したがって、その後の推移について気づいたことを述べておくにとどめる。
 どうやら回収された『手塚治虫の動物王国』の再版が出版された様子はない。『ちびくろサン ボ』に関する論争はさまざまなメディアで取り上げられていたが、手塚治虫に関しては大きな話題になることもなかったようだ。それかあらぬか、問題が表面化してからかなり経っていたにもかかわらず、初台のシ ョップでは回収されたはずのこの本の「初版」が店頭に並べられていた。

手塚治虫関連スポット東西でオープン
 初台、京都、名古屋、大阪…。手塚治虫関連グッズを扱うショップなどが相次いでオープンしたのも今年のトピックスである。こうしたスポットの成否が、当初予定より5年間後にずれ込んだ「手塚治虫ワールド」構想そのものにも影響を及ぼす可能性は大きいだろう。

手塚関連HPの閉鎖
 「手塚治虫CHEERING SQUAD」「Reich das TZK」という二つの魅力的な手塚関連サイトが相次いで閉鎖。改めてご苦労さまでしたと申し上げたいと思う。

私的ことども
 1月、記念館訪問。
 5月、「妻を引きずって總禅寺参り」決行。
 8月、「オフ会」初参加。
 同じく8月、宝塚近辺に出没。
 10月、ビデオ『オサムとムサシ』入手のためだけに記念館を訪問。
 11月、またも初台を急襲。
 今年は昨年にも増してあっちこっちした。手塚治虫破産同志会会長として当然のこととはいえ、いささか疲れたことも事実。来年は少しおとなしくしていたい――しかし、できるわけがない。