ミッチイ(『メトロポリス』)……。
両性具有という
手塚治虫永遠のテーマを最初に具現化したヒロイン(?)
アトム(『鉄腕アトム』)の原型であることはもちろん、後に続くサファイア(『リボンの騎士』)、どろろ(『どろろ』)、ペン公(『光』)、結城美知夫(『MW(ムウ)』)にまで連なる系譜の中で、最も魅力的かつ悲劇的な存在。
今は亡き彼女のプライベートルームで、私は一冊のアルバムを見つけ、紐解いてみました。
そして、そこに収められた数々のポートレートに思わず時を忘れて見入ったのでした。
忘れえぬ手塚治虫スタアたちへの万感の思いを込めて……。
百鬼丸 『どろろ』
『どろろ』の実質的主人公。
父親の私欲のために体の48ヶ所を魔物に奪い取られてしまい、それを取り戻すために旅を続けているという、特異なキャラクター設定でした。
(『ブッダ』に登場するアナンダも類似した境遇でしたね。やはり『ファウスト』の影響なのでしょうか…)
手塚治虫はこの作品について、『ケゲゲの鬼太郎』(水木しげる)などに代表される「妖怪物ブーム」への対抗心が生んだ徒花である、というようなコメントを残していましたが、実のところ相当お気に入りだったのではないかと、私は考えています。
それは、かの『ブラック・ジャック』中に重要な役割で登場する琵琶丸という鍼師の存在。
更には、我が百鬼丸が演じる、その名も百鬼博士という正義感に燃える医師の存在が明白に証明していると思うのですが、如何でしょう?
洋子 『ブラック・ジャック ネコと庄造と』
綺羅星のごとき手塚動物キャラクター中、私が最も好きな一匹。
まったくもって演技賞ものです。
まずは、全然わざとらしくないトボケの演技。
何度読んでも、買い物のシーンには思わず噴き出しちゃいます。
そして極めつけは、このサイトの別のところでも書いているとおり、ラストシーン直前の表情。
ラストの1ページは涙なしには見られません。
これは洋子の抜群の演技力に負うところ大であることは間違いないと思っています。
それにしても、ほんとうに泣かせるのがうまいんですよね、手塚治虫って。
ゴルゴン 『オズマ隊長』
いや、文句なしに美しいです。
彼女――私が言っているのはもちろん、本体ではなく「端末」のほうのことですよ、悪しからず。――の前では、ヒロインであるアッペもすっかりかすんでしまいます。
アッペも十二分に魅力的なキャラクターなのですが…。
さて、手塚治虫が描くキャラクター。
大人の女性――ゼフィルス『地球を呑む』とか十村十枝子『人間昆虫記』など――にはこれっぽっちも色っぽさが感じられないのに、中性的キャラクター(たとえばミッチイ)やロボット(たとえばアトム)、あるいは動物(たとえばミューズ『ミューズとドン』)、そして異生物(たとえばシャミー族『シャミー1000』)などに、えもいわれぬ色香が漂っているのはなぜなのでしょうか?
「お前がヘンタイなだけだろ?」なんて片付けないでくださいよ。
これは、
手塚ファンの間では広く言われていることなのですから。
和登千代子 『三つ目がとおる』
私が最も好きな手塚女性スタア。
何が好きかって、もちろんその美脚。
そして、「アブナイ二重人格者」――写楽保介をみごとにコントロールする手腕。
花も恥じらう中学生であるにもかかわらず、惜しげもなくそのオールヌードを披露し、獅子奮迅の大活躍を見せています。
これって児童福祉法に抵触してるのではありませんか?
手塚先生。
ロック・ホーム 『ロック冒険記』
『来るべき世界』 『バンパイヤ』その他、出演作多数
手塚治虫の生み出したキャラクター中でも最も陰影の濃い人物だと思います。
『来るべき世界』で人格破壊されたのをきっかけにして『バンパイヤ』で押しも押されぬ悪役スターの第一人者としての地位を確立しました。
『火の鳥 未来編』 でのロックは明らかに間久部緑郎の転生でした。
『アラバスター』もその延長線上での出演だったと思います。
しかしながら、余りにも嫌な奴として描かれていて、全く魅力は感じられませんでした。
いくらなんでも、あそこまでやらせちゃいけませんって。(当然、個人的感情が入りまくっています…。)
『ブラック・ジャック』にも何度もゲスト出演していますが、桑田このみ(ブラック・クィーン)のフィアンセ役として登場し、「ヒョウタンツギスープ」を飲む姿から『ロック冒険記』 での勇姿(?)を思い出したのは私だけではないでしょう。
アセチレン・ランプ 『ロスト・ワールド』以降の多くの作品
別のところでもこの大スタアについては述べていますので、それと重複しないように心がけたいと思います。
それでも、なにしろ出演作が多いですのでネタには事欠きませんね。
『W3』 『アドルフに告ぐ』といった作品でのナチス的悪役ぶりが忘れられない彼ですが、『ブラック・ジャック』での友引警部役も印象的でした。
『落盤』や『キャプテンKen』での演技も捨てがたいものがありました。
人間の弱さというのを体現したキャラクターだったと思うのです。
『ザ・クレーター/鈴の音』では女性まで演じています。
あんまり見たくなかったですが…。
佐々木小次郎 『おおわれら三人』
『ナンバー7』 『ハトよ天まで』『フィルムは生きている』など
その名のとおりのキャラクター。
やたらに剣やら竹刀やらを振り回す、直情径行型人間。
でも何だか憎めない、愛すべきキャラクター。
主役を張る宮本武蔵(大島七郎)のライバル役ながら、結局相手をフォローするという優しさにグッとくるのです。
出演作は少なめで、主演するようなこともなかったものの、妙に印象に残っています。
『ブッダ』では、賞金稼ぎ役で登場したもののヤタラにあっさり殺されてしまいました。
その後、なぜだかチョイ役で再登場していたはずです。
七色いんこ(鍬潟陽介) 『七色いんこ』
『ブラック・ジャック』ほどには評価されておらず、当然注目度も低い作品なのですが、主人公の魅力は相当なものです。
作品自体の不当な評価の原因は、ヒロインである千里万里子の「鳥アレルギー」描写が余りにもマンガチックだったことにある、と信じて疑わない私です。
それでも、役者という職業を主人公に仕立て上げた手塚治虫のアイデアも凄いと思いますし、それを描き切った筆力もすさまじいと思うのです…。
お約束のサブキャラクタータマサブローもいいですよね。
うーむ、猿田博士の書斎に収めるべきだったかと今更後悔。
伴俊作(ヒゲオヤジ) 非常に多くの作品
最も初期の作品からずっと登場し続けている手塚治虫最大のスタア。
主だった作品には必ずと言ってよいほど顔を出しています。
その多くは探偵役または主人公の父親(育ての親)役で、「柔道が得意でおっちょこちょいな江戸っ子」というのが共通する設定です。
時々似合わない外人役を演じたりもしましたが…。
彼が出てこない作品はなぜか物足りない、というファンも多いはずです。
もちろん、私もそのひとりです。
チョコラ 『ドン・ドラキュラ』
手塚治虫は、よく自作にマスコット的キャラクターを配します。
ピノコしかりタマサブローしかり。
『鉄腕アトム』のウランや『リボンの騎士』のチンクなんかもそういった範疇に入ると思うのですが、個人的にはチョコラが最も好みです。
当然、ピノコほどの存在感はないんですが…。
ヒョウタンツギ 非常に多くの作品
彼(?)をスタアと呼んでよいのかどうか悩んだのですが、やはり手塚治虫作品に欠かせないキャラクターであるということで選びました。
正体不明の存在である彼は、ありとあらゆる場面――手塚治虫自身の解説によれば「深刻な場面などを描いてしまった時の照れ隠し」なのだそうです――に突然登場しています。
『安達が原』は唯一の主演作品と言ってもいいですね。
ちなみに私は、20年ほど前に「手塚治虫ファンクラブ」が通信販売していた縫いぐるみ――ギターを背にしています――を所有しています。
これって今でも売られているのでしょうか?
ブロンX(テスト用) 『鉄腕アトム 白熱人間の巻』
好きなキャラクターというよりも、忘れられないキャラクターというべき存在。
はっきり言ってとんでもない奴。
最後の最後に「電気も通わぬ島を明るく照らす役に立った」というオチを忘れることができません。
今考えれば、アトムのようなハイテクロボットが活躍する21世紀の日本に、そんな田舎が存在するという設定もなかなか面白くはありますね……。
ブロンXについては、もう1つ、その名のとおりのX字形の飛行姿勢も脳裏に焼きついています。
写楽保介 『三つ目がとおる』
『ブッダ』
一度見たら忘れようがない外見を持ったキャラクター。
おでこの巨大なバンソーコーというアイデアは秀逸だったと思います。
そのバンソーコーを剥がした途端に悪魔的な超能力を発揮するというのもよかった。
「ボルボック編」で地面を掘り進む妙な機械を完成させるために試行錯誤する場面が好きです。
もちろん、『ブッダ』でのアッサジ役もGoodでした。
そういえば、大林宣彦監督の映画『瞳の中の訪問者』(※『ブラック・ジャック』中の「春一番」というエピソードを脚色したもの。主演は片平なぎさ。ブラック・ジャックは宍戸錠が演じていました。この映画についてはこちらにも情報を載せてあります。)のワンシーンで、「通り過ぎていった少年の額にでかいバンソーコーが貼られているのがその少年の手にしていた天眼鏡越しに見える」という洒落た(?)演出があったんですが、あの映画ってビデオ化されているのでしょうか?
(2010年6月27日追記 2003年にDVD化されました。もちろん迷わず購入。)
ブラック・ジャック(間黒男) 『ブラック・ジャック』
『ミッドナイト』 その他、後期のアニメーション作品の多く
1970年代に誕生した、手塚治虫後期における最も著名なキャラクター。
今なお多くの新たなファンを獲得し続けているという点から考えて、もはや全キャラクター中最大のスタアと呼んでも過言ではないでしょう。
誤解を恐れずに書いてしまえば、彼の存在がなかったなら、21世紀における
手塚治虫は「昔、こんな漫画家がいました」という程度の位置づけに甘んじることになっていたかも知れません。
これは、私の確信です。
21世紀になっても『ブラック・ジャック』
を契機として 手塚ワールドに足を踏み入れる読者は後を絶たないと思うのです。
一見クールな態度を取りながら、実はどこまでも人間的な優しさや弱さを失わないところが、彼の最大の魅力であると思います。
彼に出会ったことで「生命」についての考え方が変わったという読者も多いのではないでしょうか。
私が彼のことを好きではないのではないかとお感じの方もあるようですが、決してそうではありません。
『ブラック・ジャック』という作品をより楽しむためには、他の
手塚治虫作品を読んでおくべきである――その逆もまた真なり――と思っているだけなのです。