7月22日 永遠の命
にわかにシンクロナイズドスイミングのファンになろうと決意した。
2000年7月19日付けの「中日新聞」夕刊に載った、とある記事のコピーを知人に貰ったのがきっかけである。
件の記事の見出しは「シドニーで"火の鳥"羽ばたけ」。
ピンとこられた方があるだろう。私のようなスポーツ・オンチですら、シドニー五輪シンクロナイズドスイミング日本代表チームの演技が「火の鳥」と題されている事実は知っていたのだから。しかし、今回の記事では、その伴奏曲にまつわるエピソードが明らかにされていた。それがまた、極めて興味深く、刺激的な内容だったのだ。
この伴奏曲の作曲者が、現在16歳の都立高校生、森岡緋沙子さんであること。
彼女が実際にこの曲を作曲したのは中学1年生から2年にかけての時期であったこと。
両親に薦められて手塚の『火の鳥』全巻を読了し、「人類の歴史や命についての壮大なストーリーに感動」したのが作曲のきっかけだったこと。
さらには、「イメージを膨らませるため、中1の夏休みには、不死鳥が飛び立つ4巻目「鳳凰編」を携え奈良や京都の寺を巡った」こと。
出来上がった曲を発表する会場に、たまたまシンクロ日本代表の音楽を担当している平部力氏が来ていたのが、今回の採用の直接のきっかけになったこと……。
彼女や平部氏は『火の鳥』に描かれた「永遠の命」というモチーフに惹かれたという。彼らもまた、別次元から「火の鳥の血」を追い求めることになったのである。むろん、日本代表シンクロチームも、例外ではないだろう。
寡聞にして、私は肝腎の、その伴奏曲を知らない。手塚の世界がどのように表現されているのか、なんとしてもシドニー五輪で確かめないわけにはいかなくなった次第である。
おそらくはそれまで「生命」というものを強く意識したことがなかったであろう少女に、人生観を変えてしまうかもしれないほどの啓示を与えた『火の鳥』。
上のエピソードは、彼女が生まれる遥か以前に描かれたこの作品がまさに「永遠の命」を有していることを証明しているのではないだろうか?
追記
今回紹介した記事は、「中日新聞」系列の新聞――例えば、関東では「東京新聞」にあたると思う――にも掲載されているはず。興味を持たれた方は確認いただけると幸いである。
更なる追記(2000年8月25日)
ウォレス氏から「東京新聞」バージョンの情報をいただいた。あちらでは7月4日付け朝刊に載っていたとのことである。構成・内容面でいくつか「中日新聞」バージョンとは異なった部分があるようだ。中でも、
「2分15秒〜2分48秒生き残ったマサト、4分8秒〜4分20秒 新しい歴史を見守るため火の鳥は旅立つ。気がつくとそこは現代」の2箇所に森岡さんの曲がかかる
との情報が貴重。手塚ファンの皆様、オリンピックの際には特にそのあたりに注目して見ましょう!
ミッチイ…。
まさか君にこんな形で再会できることになろうとは思わなかったよ。
君が摩天楼から墜ちて50年。
君の死後30年を経て初めて君の美しさに魅せられた私だけれど
よもやそれから更に20年後の今、君が甦ろうとしているなんて!
それも、君を再生しようとしているのが、あの大友克洋だなんて!
彼は、君のほんとうの生みの親が、晩年、真剣にライバル視した人なのだよ…。
いや
だからこそなのか…。
私は君の復活が無性にうれしい。
(君の弟が外国で甦ることを知ったときは哀しくて、悲しくてしかたがなかったのに!)
ミッチイ…。
私は来年の夏、君と再会できることを心待ちにしているよ。
ミッチイ…。
でも
やっぱり君は…。
摩天楼から墜ちる宿命から逃れられないのだろうか?
それは、変えようのない現実なのだろうか?
たとえそうであるとしても
僕は必ず君に会いに行くよ!
君に宿命があるのならば、
その君を思い続けるのが私の宿命なのだから。
ミッチイ…。
太陽の黒点を呪いながら、僕は君の宿命を見届けよう。
メトロポリスの残照を瞼に焼きつけるために。
2000年8月28日、午後2時。
私はついに「聖域」に足を踏み入れた。
埼玉県新座市にある手塚プロ・アニメーションスタジオ。
その4階には手塚治虫の仕事場が生前のままに保存されている。テレビなどでも時おり紹介されていて、以前から知識としては知っていたが、まさか自分の足でその場に立つ日が来ようなどとは夢想だにしていなかった。
東京旅行の1週間ほど前、急に思いついて「駄目でもともと」と見学依頼の電話をかけたところ、思いもかけず快諾をえられた。思えばこれが今回の旅行におけるラッキーの始まりだったのかもしれない。当日、なんのトラブルもなく東武東上線志木駅まで到着できたのは、ある意味ラッキー(なにしろ、私たちの旅行なのである(^_^;))。乗り込んだタクシーの運転手氏が「手塚プロ」の場所を全く知らなかったためにいささか時間を食ってしまったが、それでも約束の時間に余裕を持って「手塚プロ」の玄関をくぐれたのもラッキー。さて、応対に現れた手塚ファンクラブ担当の田崎氏、私たちの怪しげないでたち――こちらを参照されたし――にいささか驚いた顔を見せつつも、さっそく4階へと案内してくださったのである……。
初めて目の当たりにする「聖域」を前に、私はなんともいえない気持ちに全身を包まれていた。
手塚が原稿を描いた机。手塚愛用の道具はもちろんのこと、見学者が置いていったものに違いない手紙や賽銭(?)なども噂のままだ。
その隣にはアニメーション制作用の机。スピルバーグ監督から贈られたというサイン色紙がひときわ目立つ。上のほうの棚にはやはりファンレターとおぼしき手紙が押し込まれるように置かれている。
仕事の最中に聴いていたというレコード類。資料として閲覧していたに違いない書籍の数々。実際に販売されたものやファンから贈られたらしいキャラクター・グッズ類。(手塚は、幾つか並べられていた写楽保介人形が、ことのほかお気に入りだったとのことだ。)さらには仮眠をとるために使っていたという小部屋…。
けっして広くはない空間には手塚治虫の息遣いが満ち溢れている。
この場所で手塚は無限の宇宙を創り続けていたのだ。
遺族の方々は仕事場の公開には消極的だとのこと。お気持ちは察して余りある。にもかかわらず、多くのファンの気持ちを察し、その部屋を開放した手塚プロダクションの英断に頭が下がるばかりである。また、ぶしつけなお願いをした私たちのために、懇切丁寧にご説明いただいた田崎氏に深く感謝したい。併せて、滅多に見られない場所――きわめて珍しいことらしいので、はっきり書くのは控えさせていただきますm(__)m――まで見せていただいた資料室長の森氏にも、この場を借りてお礼を申し上げないわけにはいかない。
満ち足りた気分で東京に戻り、1週間前には最大の目的であった「無残帖の巻」版画購入のために初台に向かう。完全に受注生産で、手元に届くのは1か月後ぐらいになるらしい。すぐに持って帰れるものと思い込んでいた自分の愚かさは笑うしかないが、現物の美しさを見て、とにもかくにも注文。その他小物類も買う。そうそう、そこでもらえた抽選券で東京オペラシティー3周年記念コンサートのチケットが当たってしまったのもラッキーといえばラッキーだった。もちろん、私は行けないので知人に譲ったけれど。
翌8月29日には高田馬場駅から手塚プロダクション本社までの道を辿り、最後にお台場のArt
Squareにまで足を伸ばした。限定商品でなかなかよいものを見つけたので、迷わず数点を購入。
こうして、2日間の手塚詣で旅行は終わりを告げた。
追記
今回の旅行で得た教訓。
「事前にきちんと計画を立てておくと、イイコトがあるものだ」
やっぱり、得意技「行き当たりばったり」は改めなくては…(^_^;)
2000年9月29日。
TVドラマ「ブラックジャック2」が放送された。この3月に放送された前作についての感想はこちらで述べたが、今回の第2作について感じたことを書き留めておきたいと思う。
私がよく訪問させていただく手塚関連サイトNONBIRITODAYの掲示板での評価はおおむね前作を上回っていた。サスペンス風だった前作よりも原作に近い味付けがなされていたことも支持を受けた理由だろうが、何よりも「やり残しの家」「タイムアウト」を始めとした、原作を髣髴とさせるエピソードが重ねられていたことがBJファンを安心させたようだ。なるほど、下敷きとなったと思われるエピソードを指折りしながら見るだけで十分に楽しめたことは確かである。
ただ、今回のドラマには『ブラック・ジャック』ファンならば見過ごすことのできない大きな特徴があった。それは「BJがまともな手術を行わなかった」という点である。それが不満であるとの考えをお持ちの方も多いはずだ。私も当初はそう感じた。これではまるでいかりや長介主演による「父娘愛情物語」ではないか…。しかし、見終わってからしばらくするうちに、今回の作品には制作者の深い意図が秘められていたのではなかったかと思い至ったのだ。
今回、BJ氏は、自分では物語のメインとなる患者を手術をすることなく、執刀医となる女医に指示を与えるだけである。大事な右腕を怪我している点なども含めて、これは一見「B・J入院す」というエピソードを拝借したものに思える。確かに脚本家にはそのエピソードが頭にあったはずだ。だが、果たしてそれだけのことと考えてよいのだろうか?
BJによって手術室に導かれた女医は「自分を捨て、母親を不幸のどん底に陥れた張本人」である患者――自らの父親――の手術を一旦は放棄しようとする。しかし、実はかつて自らの命を救ったのが他ならぬ父親である事実を知らされて翻意し、手術を成功させる。最終的に結婚式という場を借りて二人の和解が描かれるという、この流れの意味するものはなんなのだろう?
私は原作におけるBJ父子の関係を思い浮かべずにはいられない。
自らと母親を捨てて別の女と逃げた父親。その父親に対してBJは彼なりのやり方で復讐を遂げた。(「選ばれたマスク」)
その後、再び父親の消息を知ったとき、父は既にBJの手の届かない場所にいた。結果的にBJは父の皮膚を自らの体に移植するという形をとって無言の和解を果たしはする。(彼の体の中で「両親の皮膚が共存する」という、夫婦の和解までもが描かれている。)だが、BJ自身の口からは父親に対するなんの言葉も発せられる機会はなかった。(「骨肉」)
BJ父子の関係は永遠に「やり残し」になってしまったのである。――この「やり残しの家族」を制作者なりのやり方で修復させてみせたのが今回のドラマであった。そう考えれば、BJが手術をしなかった理由も納得がいく。今回のドラマでは女医こそがBJの分身であったのだ。彼女は決して「桑田このみ」をパロディ化しただけの人物でも新宿南外科からやってきただけの人物でもなかったのだ。彼女は制作者の『ブラックジャック』への――手塚治虫への――オマージュとして創造された人物であり、かくてBJ父子は何十年ぶりに和解の時を得たのである。
追記
そうそう。上記サイトでは、相変わらず「双生児ピノコ?」に対する拒否反応が目立っていたようです。これについては、「原作を超えるピノコを実現できない以上、やむをえない選択」であるというのが私の判断。そもそも「ふたりのピノコ」というアイデア自体が原作のパロディになっているわけですから、ファンの皆さん、ここはひとつ笑って許してあげませんか(^o^)丿
手塚治虫生誕記念日にして文化の日。
記念すべき今日、私と手塚治虫との出会いについて思い起こしてみたい。
手塚治虫と本当の意味で出会ったのは、私が大学生になってからである。もちろん、小学生時代の『鉄腕アトム』、中学時代の『どろろ』という特異点は存在するが、手塚治虫という創造者が私の中で特別な位置を占めるようになったのは間違いなく大学時代である。
しかし、「原体験としての手塚治虫」、すなわち物理的な意味での手塚治虫との出会いということになると、それはかなり以前にまでさかのぼる。
私は保育園時代に手塚作品を読んだらしいのだ。もちろん、それが手塚治虫の作品であるなどという認識がこれっぽっちもないままに。
「主人公のウサギがイチゴを手に入れて帰る途中でいろいろな災難に遭い、イチゴは見るも無残につぶれてしまう。それでも必死に家に持ち帰ると、家では既に母親がおいしそうなイチゴを買って待っている。それを見た主人公は…」
こんなストーリーであった。オールカラーの、ほんの1ページか2ページの小品であった。しかし、主人公の表情が、薄汚く変わり果てたイチゴの絵が、奇妙なリアリティーを持って私の脳裏に強烈に焼きついてしまっていたのである。
これが『らびちゃん』という題名の作品の1エピソードであることを知ったのは、初めての出会いから20年も後、1981年6月に文民社から刊行された『手塚治虫作品集8』を購入した際である。同作品集を読みながら、先に挙げたストーリーをほとんど完璧に覚えていたことに我ながら驚いてしまった。
『らびちゃん』は、1960年から1961年にかけて雑誌「たのしい幼稚園」「たのしい1年生」に連載されたものだという。今となっては私が件のエピソードを読んだのがいつであったのかを知る術がない。それでも、おそらくリアルタイムで読んだに違いないという確信はある。アニメーション版『鉄腕アトム』の放送開始のかなり以前に読んだという記憶があるからだ。
だが、そのあたりは些細なことだ。大事なのは、この話がなぜそこまでのインパクトを私に与えたのかという点だ。その答えも実に単純明快である。すなわち、手塚治虫らしさ――いわば「手塚治虫の魂」――がわずか単行本2ページ分に集約されていたからにほかならなかったのだと、今にして思うのだ。このあたり、私が下手な解釈を書くよりも実際に原典を読んで確かめてもらうほうが手っ取り早いと思う。ストーリーの紹介に際してラストの展開を書かなかったのには、ネタばらしを避ける意味だけでなくそんな理由もあるのだ。
新たなる世紀まであとわずか。私は、しかし、こんな原体験をこれからも大切にしていきたいと思う。
追記
オフィシャルサイトもリニューアルされた。正式オープンまではまだ間があるが、今日確かめてみた限りでは以前よりずいぶん快適になったように感じた。
『鉄腕アトム』。
紛れもない手塚の代表作の一つ。
しかし…。
この作品、正当に評価されているとはいえないのが現状なのではないだろうか。
実際、しばらく前には某手塚関連サイトの掲示板で「お子様向けの単純な正義感が許せない」と、バッサリ斬って捨てられていた。
『鉄腕アトム』は、マンガというものが小学生までの読み物だった時代――マンガ喫茶に中年男性が入り浸る現代と違って、中学生にもなってマンガを読んでいようものなら親には叱られるし、周囲からは白眼視される、そんな時代――に描かれた作品なのだ。さまざまな制約が課せられたのは、いわば必然である。手塚が『アトム』以前に描いた単行本群(『メトロポリス』や『来るべき世界』を思い浮かべてほしい)と比べれば、確かに毒――これは否定的な意味ではない――は薄められているといえるだろう。
思い返せば、幼いころの私にとっては、アトムは決していちばん好きなマンガではなかった。ほぼ同時期に同じ雑誌に連載されていた『鉄人28号』(横山光輝・著)のほうがはるかに好きだったのだ。当時はやはり、アトムのいい子ちゃんぶりに反発心を感じていたような気がする。リモコン一つで正義の味方にも悪の手先にもなってしまう鉄人の危うさにこそ惹かれたのだ。(『どんぐりの家』の山本おさむ氏も、ほぼ同じことを自分の著書に書いていたはずだ。)
だが今にして思えば、こうした感情は「破壊への願望」――自分の許容できないものは有無を言わさず破壊し尽くすという点で、それこそ「単純な正義感」であると言い換えられる性質のもの――に他ならなかった。結局のところ、私もアトムのすごさを分かってはいなかったのだ。
今の私は、少なくとも『アトム』が単純な正義を振り回すだけの作品ではなかったと確信している。それどころか、この作品には手塚の全てがあると言ってよいと思っている。
『鉄腕アトム』は、決して能天気な科学礼賛マンガでも、力ずくで何でも解決に導いてしまうような腕力万能マンガでもない。私はむしろ、あのマンガ不遇の時代に、数々の枷をはめられながらも、これだけの作品を描いてしまった手塚に恐ろしさをすら覚える。
主人公の、
あまりにも過酷な生い立ち。
決して人間になれない悲しみ。
生みの親と育ての親との間で揺れ動く微妙な心。
対立者――いわゆる敵キャラクターたち――への複雑な思い。
自然や生命に対する温かなまなざし…。
手塚が『鉄腕アトム』で描いたものは、さまざまに形を変えながら、後に続く数多の作品に生かされていったのだ。アトムを否定することは手塚治虫そのものを否定すると言っても過言でないと思う。手塚自身が「アトムは駄作だ」などと公言したことがあるのも事実であるが、それは同時に手塚が『アトム』を特別な作品と認めていたことの証しでもあると思うのだ。
代表作でありながら、それを生みの親からすら否定されてしまった作品。私は、この不遇の作品が本当に愛しくてたまらない。
2000年12月5日。
テレビ朝日系列で「手塚治虫スペシャル
20世紀最後の怪事件」と題する特番が放送された。同番組のメインとなったアニメーションについては、8月に新座のスタジオを訪問した際に制作の真っ最中だったこともあり、いつになく親近感(?)と期待感を抱いて視聴した。
見終わっての感想を端的に言えば、「どうしようもない押し付けがましさに腹立たしさを覚えた」といったところだろうか。
なぜ、ミステリー仕立てにする必要があったのか?おそらく、昨今はやりの推理アニメに便乗したものだろうが、出演者の面々に犯人当てをさせる演出には、正直なところ愕然とした。そもそもあの出演者の人選にはどんな意図があったのだろう?せっかく手塚をよく知る藤子氏や山本氏をゲストに招いたのだから、もう少し考えようがあったように思えてならない。(収穫といえば、あの伝説のスタジオ・ゼロ版『鉄腕アトム』の一部が見られたことぐらいだろう。あのエピソードそのものは本放送時に見た記憶があるのだが、あれほどすごいものだったという印象はなかった。)
さて、なによりも大きな問題だと感じたのは、コメンテーター役の出演者たちばかりでなく、メインのアニメーションの中でも、必要以上に手塚治虫を神格化してしまっていた点である。そして最後には、あのアニメーションの中の手塚が制作者によって生み出された虚構のキャラクターであるという点には触れようとせず、「偉大だ」「すばらしい」の大合唱。何かの団体のPR番組なのかと疑いたくもなるような構成であった。手塚の偉大さを伝えることこそがあの番組の製作意図であったに違いないのだが、それはあのような安直なメッセージで語れるようなものではない。遺された数々の作品を読むことでしか分かり得ないものなのだ。
制作者はこう反論するかもしれない。
「手塚治虫を知らない若い世代にも、その偉大さを分かりやすく伝えたかったのだ」
しかし、敢えて言いたい。あの番組を見た手塚未体験世代が手塚マンガを手に取ってみる可能性は極めて低いだろうと。春に放送されたオムニバスドラマのように、もっと素直に手塚作品を取り上げるほうがはるかによかったと思うのは私だけだろうか?
2000年12月15日付け朝日新聞朝刊に『手塚治虫漫画大全集DVD−ROM』発売の正式な告知が載せられた。
いつかはこのような企画が実現すると確信していたので、正直なところ驚きはなかった。手塚治虫作品は、まさに21世紀への遺産である。こうした形で残されていくことにも大いに意義があるというべきだろう。
さて、購入する側からすれば、最大の問題はなんといっても価格である。本体価格12万円というのが適正なものであるのかどうか。
私の判断では、これは非常に買い得である。なぜならば、底本となっている講談社版の『手塚治虫漫画全集』400巻を現段階で購入すれば30万円近くの出費が必要になるはずだからだ。
ただし、この価格には大きな落とし穴がある。
それは、今回の企画がパソコン限定のDVD−ROM作品であるという点である。パソコンの進歩はまさに日進月歩。対応しているOSがWindows95〜Me及びMac
OS9に限定されている事実に注目されたい。来年の今ごろにはパソコン用OSのメイン・ストリームになっているかもしれない次期Windows(Whistler)に対応する保証はないのだ。ソフトはあれどもハードが存在しない、という間の抜けた仕儀にならないように十二分に配慮しなければならないのである。つまり、このDVD版全集を買った場合、それを恒久的に鑑賞するためには「パソコンごと保存する」必要が生じるのだ。これは、パソコン歴15年以上という人間が言うことなので、ぜひとも耳を傾けておいてほしい。このDVD−ROM再生専用のパソコン――できればノート・パソコンが理想だ。なにしろデスクトップ型は保管場所に困る…。――を併せて購入する覚悟がおありだろうか?この問いにYESと答えられる人は迷わず「買い」であると断言しよう。
それにしても、今回の作品集に添付されるあの本邦初出版作品『オヤヂの宝島』は魅力的だ。分かっていながら、マニア心理を突いてくる発売元の戦略に乗っかってしまう自分が哀しくはある(^_^;)
追記
予定通りというかなんというか、受付開始日に予約をしてしまった。20日の夜だったが、その段階で90番目の予約者であった。この数字、多いといえるのか、それとも思いのほか少ないのだろうか?
この「私選重大ニュース」も今年で3度目となる。自分の中でだけ、「やらないと1年が締めくくれない」恒例行事なのである。今年は、1998年と同様にランク付けなどしてみたい。とはいえ、重要度に大した差があるわけではない。ただなんとなく、といった程度のものである。お断りするまでもないと思うが、飽くまでも個人の主観に基づく選択である。普遍性など皆無なのでご寛恕を乞う。
第10位 『ブラック・ジャック』単行本、続刊の発売
今年は『ブラック・ジャック』文庫版15及び16巻、愛蔵版15巻が発売となった。来年には愛蔵版16巻のほか、秋田文庫から『ブラック・ジャック 300キャラクターズエンサイクロペディア』なるものまで出版される予定だ。目立った動きの少なかった出版関連ではBJ関係だけ勢いがよかったような気がする。
第9位 どこまで続く、松本徽章の記念バッジ攻勢
1999年発売の「手塚治虫ピンバッジコレクション」だけでは飽き足らず、2000年も「手塚治虫限定版美術メダルコレクション」「手塚治虫彩色美術ピンバッジコレクション」「カウントアップ手塚治虫彩色美術ピンバッジコレクション」と立て続けに記念メダル・バッジを発売する松本徽章工業。既に2002年、2003年の発売予定までアナウンス。私、もう負けそう。
証拠写真(ただし、いちばん左は別物)
第8位 名古屋・大阪の手塚ショップ閉店
昨年の重大ニュースで取り上げたとおり、あちらこちらで手塚ショップが開店した。その中の名古屋・大阪のショップがいつのまにかなくなってしまっているようだ。名古屋などは明らかに立地条件が今ひとつだったとは思うけれど、手塚キャラクターの商品力の限界といったものを感じさせられ、いささか悲しい。初台の店舗も規模の縮小を余儀なくされているという。
手塚プロダクションにはこんなことを考えてほしい。それは、アトムやブラック・ジャックが決してミッキー・マウスにはなりえないということだ。前者が後者に比して劣っていると言っているのではない。むしろ、その逆である。アトムやブラック・ジャックがミッキーのような単純明快なキャラクターではなく、非常に重いストーリー――それは「人生」とさえ表現してもよい性質のものだ――を背負った存在であるために、ある意味でかわいらしくありさえすればよい「キャラクター・グッズ」に向かないと思うのだ。2007年にオープンを目指すという川崎手塚治虫ワールドの企画に際しても、「それぞれの手塚キャラクターが背負う重み」が正しく生かされることを願うばかりである。
第7位 『ブラック・ジャック限定BOX』発売
マニア垂涎のコレクターズ・アイテム。鑑賞用と保存用の2つを購入したファン――私はひとつしか持ってません――もいるほどだが、売れ行きは発売元の期待ほどではなかったのではないだろうか。ファンの裾野を広げるためにはもう少し別のアプローチが必要なのではないかと思ったりしたものだが、第10位のところでも触れた『ブラック・ジャック 300キャラクターズエンサイクロペディア』あたりがその役を担ってくれることを期待しよう。
第6位 『メトロポリス』映画化
初期三部作のひとつが来年劇場公開される。思い入れのある私としては文句なくうれしい。当然のことながら、原作のイメージを破壊してしまうのではないかという危惧をも感じないではいられないが。
第5位 手塚治虫原作TVドラマ、多数放映
今年は多くの手塚作品がTVドラマ化された。個人的には『るんは風の中』『ふしぎなメルモ』『カノン』をオムニバス・ドラマ化した番組がいちばん好きだったが、本木雅弘主演の『ブラック・ジャック』も悪くはなかった。
来年以降もこうした企画は続くだろうが、原作をなぞるだけならドラマ化する理由はないし、原作をないがしろにされても困る。制作者の手塚作品に対する愛情の表れ方がポイントだと思う。
第4位 『無残帖』版画入手
買ってしまった…。期待以上にすばらしい出来ばえのこの版画。専用額の質感も抜群で60000円は惜しくなかった。しかし、もったいないのでほとんどふだんは輸送用の箱に収めたまま。日の目を見るのは特別の日だけなのである。
初公開のツー・ショット写真(^_^;)
第3位 『手塚治虫漫画大全集』DVD−ROM発売決定
年末に飛び込んできたビッグ・ニュースがこれ。講談社版『手塚治虫漫画全集』全400巻をベースとしたデジタル全集である。発売は来年の3月。下記のサイトで予約が可能である。興味のある方は参照されたし。
http://www.tezuka-dvd.com/top.html
第2位 「どろろ」アニメ・ビデオ発売
私にとって『どろろ』は本当に特別な作品である。今年もこの作品関連のネタでずいぶん語らせてもらった。私の場合、テレビアニメ版からこの世界に入ったので、今年の6月に完全版ビデオが発売されたときには狂喜乱舞したものだ。いささかくどくなるが、このアニメーションは文句なしの傑作である。まだご覧でない方はぜひとも見ていただきたい。
第1位 「聖地」巡礼
この8月、私たちは手塚プロダクション新座スタジオを訪問し、手塚治虫の仕事部屋に足を踏み入れる機会を得た。そのときのことを思い出すと今でも足に震えがくる。今年のBEST1は、やはりこれしかない。