その他の聖母御出現

(1)ラサレット

  1846年フランスのラサレットという所で聖母の御出現がありました。15才の少女メラニーと12才の少年マクシミンのふたりがメッセージを受けました。「人間の罪があまりにも酷すぎるので大きな天罰を招こうとしている。」という警告であります。聖母はこの2人の子供を通じて、しきりに、神の御あわれみを願うようにとお勧めになりました。ラサレットで、聖母は未来のおける大天災のことも預言されました。この預言は長く無視されてきましたが、聖母自身、ファチマの第3の秘密のなかで、ルチアに次のようにうちあけられました。

 「全人類の上に大きな天罰が降りかかるでしょう。それは、今日でも、明日でもありません。20世紀の後半において起こるでしょう。私は、このことを、すでにラサレットで、メラニーとマクシミムという二人の子供に知らせましたが、きょう、あなたに繰り返します。(途中省略)サタンは人類の上層部を支配し、世界の動きを決定するでしょう。また、教会の重要ポストに潜り込むのに成功するのです。彼は、学者達の精神を惑わすのにも成功するので、学者達は、ほんのわずかの間に人類の大半を滅ぼせる武器を発明するでしょう。」ラサレットの大預言は、いわゆる「36の告知」の中に含まれていて、1897年に、教会側からの印刷発行の許可が与えられました。

 「悪魔の頭ルシフェルは、多くの悪霊と共に。この世を荒らしまわって、多くの人に信仰を失わせ、中でも、聖職者や修道者の堕落に全力を尽くすと言われています。また、血塗れの戦争と多くの災難が重なり、至る所で血が流され、人々は、もう死んだ方がましだと考えるほどになるでしょう。しかし、義人の血と涙と祈りのおかげで、その恐ろしい罰は縮められ、そのあとに信仰が勝利を得るだろう。」と預言されています。
 (デルコル神父著:天の母の警告 参照)     


    
(2)グァダルペ

 1531年12月9日に、メキシコのメキシコ市郊外で聖母の御出現がありました。ホアン・ディエゴという人が、テペヤックの丘(はげ山で樹木が1本もない。)で聖母の御出現をうけました。その時、次のようなメッセ−ジを受けました。
 聖母「私のいちばん小さい子よ、よく聞きなさい。よく聞いて理解してください。私は終生処女マリアです。あらゆるものを生かし、それらすべてのものの主であり、天地を治められる真の神の母です。私は、この場所に私のために聖堂が建つよう切に願っています。その聖堂で、私は、あなたと私を愛し私を探すすべての人々に、母としての愛と憐れみ、たすけ、保護を表わすでしょう。なぜなら、私はあなた方の慈悲深い母ですから。その聖堂で、私はあなたとこの土地のすべての住民、又私を愛するすべての人、私に呼びかけ、私を信頼するすべての人の嘆きを聞き、かれらのすべての惨めさ、悲しみ、痛みを癒して和らげてあげましょう。」

 その後、マリア様は「この御出現が本物である。」と証しするものを司教様に渡すようにホアン・ディエゴに命じました。それは、花々であり、彼はティルマに包んだ。彼は司教様の所に持っていって、司教様の前で花を入れたティルマを広げた。すると、色とりどりのカスティアンのバラが床に落ち、ティルマに神の母終生処女マリアの尊いみ姿が突如現われた。これは、今でもグァダルペと呼ばれるテペヤックの大聖堂にある。
 1556年に小聖堂新築。モントファル司教(二代)によって、グァダルペの聖母の信心が高揚された。
 (グァダルペの聖母:御聖体の宣教クララ修道会発行 参照)      


(3)シラクザ

 1953年8月29日、南イタリアのシラクザで、マリア像から涙が流れるという奇跡が起こりました。ある新婚家庭の奥さんは、病気で苦しんでいました。「天のおん母、私を助けてください。」と祈りました。すると、突然マリア像から涙が次々と流れだしました。そのとき、彼女は痛みがすっかり消えていました。彼女が警察を呼ぶなどしたため、近所の人々がたくさんやってきました。そこで、家の外に小さな祭壇を作り、そこにマリア像を置きました。なんと、4日間もマリア像は涙を流し続けました。
 すると、人々は、「聖母は人間の罪を泣いていらしゃる。」と悟りました。みんなは、感動し、ゆるしを乞うために、大きな声でロザリオを唱え始めました。

 ここでも、病気が治るなどの奇跡が何度も起こりました。その後、すばらしい巡礼堂が建てられました。それは、涙の形になっています。

 1994年11月6日、教皇ヨハネ・パウロ2世は、シラクザを訪問して、涙の聖母聖堂の献堂ミサを挙げられました。
 教皇様は、「すべての人に悔い改めの涙と新しい生活への涙を流させてください。その涙によって心を開き、神の愛の賜物を再生させますように。憐れみ深いみ心を体験することによって喜びの涙を流させてください。」と、ミサの説教の中で以上のように述べられました。
 (デルコル神父著:神の母の警告 参照)       


これから以下の聖母御出現は、教会当局から正式な判断が出ていないものもあります。参考までに、紹介します。公認されているものは、教会公認と表示しました。

(4)ガラバンダルの聖母御出現へ(1961年から1965年:スペイン:教会未公認。)

(5)メジュゴリエの聖母御出現へ1981年から現在まで:ボスニア・ヘルセゴビナ:教会未公認。)


(6)主な聖母御出現(場所と御出現の年のみ表示)

1933年:バンヌー(ベルギー):1949年司教公認。

1947年:モンティキアリ(イタリア:北イタリアのロンバルディア)ピエリナ・ジリという名の看護婦。

1985年から1989年:スキオ(イタリア:北イタリアのヴィチェンツァ)

1987年から1994年:クロジア(イタリア:南イタリア)

1961年から1981年:ハンガリー。(「愛の炎」という本になった。)エリザベット・サントと言う人。



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