1981年より、ボスニア・ヘツセゴビナ(旧ユーゴスラビア)の寒村メジュゴリエに聖母が現れ、現在も続いている。私は、1998年8月1日から10日まで旅行に行きました。ローマを経由して、メジュゴリエには8月3日から7日まで滞在しました。この時、神父さんを含め12名で行きました。ここに、自分がこの目で見たことを皆様に報告します。
注意:なおメジュゴリエの御出現に関しては、教会の正式な判断は出ていません。私は、教会の判断が出たときはそれに従います。なお、文中の意見はすべて私の意見です。
夕方、ローマから飛行機でクロアチアのスプリットの着き、そこからバスで約3時間乗って、メジュゴリエに着きました。教会の前にある宿に着き、遅い夕食を食べました。あたたかいスープが出ると聞いていましたが、フルコースの料理が出てきました。宿の人はとても親切で、日本人を泊めるのは初めてだとのことでした。
(3)8月4日:魔の一日
この日は、朝から物凄い猛暑でした。ローマでの疲れもありましたが、午前中に私自身ダウンしてしまいました。皆と別行動をとり、この日は宿で寝ていました。 この時、心の中で大変な戦いがありました。
今だから言えますが、実は、この時の私は「メジュゴリエ」の御出現を疑っていました。出発前に、「メジュゴリエ」について良くない情報を聞いていたからです。「来るんじゃなかった。日本に帰ったら『メジュゴリエは、インチキだ。』と報告することになるだろうな。これで、多くのカトリックの友人を失うだろうな。」こんな風に思っていました。さらに、苦しみは続きました。「でも、皆とケンカ別れは、忍びない。こんな苦しい思いをするなら、カトリックの信仰を捨てよう。」こんな気持ちにでさえなっていました。
当然、昼食を抜きました。なんとか、夕食は食べましたが、すぐに部屋に戻り寝ました。この後も、戦いは続きました。さらに、「このホームページも閉鎖しよう。出来ることなら、この場で死んでしまえばいいのに。」とさえ思うようになりました。とにかく、言葉ではとても言い表せない苦しい夜でした。
次の日の朝、ある考えが浮かんで、気持ちが楽になりました。「自分のホームページの顔に、メジュゴリエのマリア様を使っているのに、メジュゴリエを否定したら、今までの自分を否定することになる。自分で自分を否定することになる。とにかく、メジュゴリエのマリア様を信じよう。メジュゴリエのマリア様と心中しよう。(カトリックの表現としては不適切かもしれません。)」と思うようになりました。なんとか、朝食は食べられました。
この日も午前中は皆と別行動をとりましたが、午前中、教会に行きミサにあずかりました。御聖体を頂いてから少し元気になりました。午後から皆と行動を共にし、マリア様の声を聞くというイェレナさん(名前が間違っていたら御免なさい。)のお話を聞きました。
実は、この日は私自身大変びっくりしたのですが、マリア様のメッセージによりますと、この日がマリア様の本当の誕生日だそうです。(なお、カトリック教会の典礼では9月8日がマリア様の誕生日となっています。マリア様自身教会の典礼を変える考えはないとのこと。また、8月5日は雪の聖母の祝日です。)
なぜ、驚いたのかといいますと、実は私の誕生日でもあったからです。皆様から祝福されました。メジュゴリエでは盛大に祝っていました。
(5)8月6日:奇蹟:主の御変容の祝日
この日になりますと、体調はかなり良くなってきました。午前中、御出現の丘に行きました。行く途中で、御出現を受けている人の一人「ヴィッカ」さんの家の前を通りました。庭で「ヴィッカ」さんが多くの人の前で話をしていました。私は外から「ヴィッカ」さんを見ました。「ヴィッカ」さんの家を過ぎると、急な山道です。約20分位かけて、ロザリオをしながら登りました。そして、御出現の丘に着きました。
ここは、当初、マリア様の御出現を受けた所です。(現在は違う場所で受けてるそうです。)少し、小高い丘の上に十字架が立っていて、ここで皆が祈りを捧げます。なお、このときは、前日の夜、雷と激しい雨が降りました。メジュゴリエ一帯は停電となってしまいました。(夕方には回復しました。)このときは、曇っていて、とても涼しかったので登るのが楽でした。その後、下山して、教会の小聖堂で、神父さんがミサしてくれました。
午後になると、また、晴れてきました。自由行動を取り、おみやげを買いにいろんな店を見て歩きました。
夕食後、アメリカ人のグループと近くの公園で、分かち合いを行いました。分かち合いが始まって、30分以上経ったときです。太陽はもうじき、日没です。そのとき、大変な事が起こりました。
現れて、その周りを太陽が回って見えました。回転は比較的ゆっくりで、右回りでし
た。また、色の変化はありませんでした。その場にいた15人位の人たち全員が見ま
した。見た人の中には、神父様(同行司祭)と二人の未信者も含まれていました。
た、そのとき、メジュゴリエではミサの聖変化の時間帯にあたります。奇蹟は、約10
分間位続きました。日没とともに「奇蹟」は終わりました。 なお、メジュゴリエでは、
時々こうした現象が見られるとのこと。今までも、多くの人が目撃したそうです。
なお、メジュゴリエ売店には、たくさんのサングラスが売られていました。不思議な太陽の現象を見るためです。
この夜は、興奮して良く眠れませんでした。なお、ビデオを撮影しましたが、ビデオには残念ながら、「奇蹟」は写っていませんでしたが、みんなの声と見ている顔は、まあまあ撮れてました。これだけでも、充分迫力があります。このビデオを見た人は、「奇蹟」を信じてくれました。
この日の朝、メジュゴリエを後にしました。お世話になった宿の人に「秋田のマリア様」の御絵をプレゼントしました。
その後、バスで移動し、クロアチアのドゥブロニクまで行き、そこから飛行機で再びローマに戻りました。ローマではバチカン美術館を見学。システィーナ礼拝堂を見ることができました。
ローマで2泊した後、8月9日アリタリア航空機(あのステファノ・ゴッビ神父様もこの便で、日本に来ました。)でローマを後にし、ミラノを経由して東京に戻りました。
結果的に、メジュゴリエで断食も経験しました。そして、あの苦しみから立ち直れたのは、きっと皆様のお祈りのおかげだと思います。
苦しいこともありましたが、いい旅だったと思います。
このような、素晴らしい奇蹟を見せてもらったことを、神に感謝します。私自身の考えでは、メジュゴリエの御出現は本物だと思います。
「メジュゴーリエでの聖母の出現」:バルバロ神父著:ドンボスコ社(1987年)
「メジュゴルイエにおける聖母マリアの出現」
ルネ・ローランタン、リュデヴィット・ルプツィッチ共著:尾崎正明訳:聖母の騎士社(1987年)
「メジュゴルイェ」ウェーン・ウィーブル著:秋山大治郎訳:中央出版社(1993年)
「共産主義国家における聖母の出現」デルコル神父著:世にひかり社(1992年)
(9)メジュゴリエの風景2へ
:マリア像、教会内部、ロウソクの十字架、ヴィッカさん、野外ミサ
なお、メジュゴリエのメッセージについては、日本ではみこころネットや使途ヨハネネットのホームページにて、詳しく紹介されています。