4月6日(土)
★に画像へのリンクがあります。
毎朝早起きになってしまいました。今朝も6時頃に目が覚めてモーニングコールの7時までに身支度が終わりました。スーツケースもパッケージしなおして、明日の朝、上海のホテルで手間をくわないようにまとめました。8時までにドアの外に出しておけばポーターサービスがあるので、食事におりていく7時半に出しておきました。
今日の朝食は小笼包とお粥と、あとなんだったっけな、中華でまとめてみました。友好饭店最後の食事になるのでゆっくり、のんびりして部屋に戻り、手荷物を持ってロビーにおりてチェックアウトしてから9時の出発を待ちます。私が支払ったのは電話代とランドリーサービス代。初めてお金を使いました。だってずっと子どもたちと団体行動してたし、舞台にはりついてたからお金をつかう機会がなかったのです。ふと気がつくとホテルの中にあるお土産屋さんにも立ち寄ってなかった。
出発時間の9時を過ぎてもメンバーが全員集まっていませんでした。本番を終えて気が抜けているのか、チェックアウトに手間取っているのか。でもポーターサービスで運ばれてくるはずのスーツケースもまだ全部集まっていないようです。10分か15分遅れて友好饭店を出発しました。
昨夜の本番でお仕事は全部終わったので今日は
杭州市内観光の1日。バスは
西湖沿いを
★南に走り、
★花港观鱼のあたりから
★遊覧船に乗りました。
浙江外事旅游公司の中型船です。スケジュールでは
西湖遊覧とあったので、まさか109人がそれぞれ手漕ぎの小舟に乗るとは思ってなかったけど
南宋時代の屋敷を模した観光船かも、と期待していたのに近代的な船でちょっと残念です。これでは遊覧船というより連絡船。
遊覧船は割とまっすぐに
★小瀛州に向かい、一旦そこで船を下りました。ここは15世紀に
西湖の底の泥を浚渫して作った人工の島で、
★“田”の字の形をしています。109人がバスのグループごとに列になって進みますが、ただでさえ有名な観光地で今日は土曜日だし、
清明节だし、ものすごい人ごみで列のまま歩くのもままなりません。私は最後尾を確認する位置にいたんだけど全体どころかCグループの先頭さえ何度か見失いかけました。
小瀛州でまずは
我心相印亭から
★三潭印月を見学。
杭州といえば
西湖、
西湖といえば
三潭印月ですからね。
九曲桥を渡って
小瀛州の正面側からまた遊覧船に乗ります。
船は
西湖の北寄りをぐるっと大回りして
断桥から
★白堤沿いに遊覧します。
西湖の船から眺める
★杭州の景色は12年前とそんなに変わっていません。
断桥も
保俶塔も
平湖秋月も
西泠印社も。市街地の変わりようとはまったく別の世界が
西湖のまわりにありました。しばらくはボーッとそれらの風景を眺めていました。
10時半くらいに西湖の北西隅にある岳庙近くで船を下りました。これからバスに乗って龙井茶のお店に向かうそうです。てっきり龙井の山道を登っていくのかと思ったら、なんだか藪の中の道を走って解放军ナントカという看板のある構内へ走ります。軍隊の敷地に連れ込まれてどうなるんだろうとちょっと心配になりましたがしばらく走って無事に友谊商店の前に着きました。なんでかな、こういう場所しか土地があいてなかったのか?
ここは龙井茶をメインにした友谊商店で、最初に龙井茶について効用や飲み方の説明を受けます。といっても日本茶と同じ緑茶ですから目新しいことはあまりありません。よっぽど“つまりカテキンの効果でしょ”とツッコみたかったです。
説明が終わってショッピングの時間になったので、さっそく店の中を一回りしてみました。お茶がメインとはいっても一通りのものは揃っているようです。私は小ぶりな文房四宝のセット(筆、墨、硯と小物が中国風の箱に入ったもの)がほしかったんだけどセットになったものはなく、娘のリクエストでいくつか小物のお土産を買っただけ……になるはずでしたが、旗袍の前で突然娘が“これがほしい!”とぐずりだし、ついには何人かの同調者まで作って結局買わされることになってしまいました。旗袍を買った子どもたちは今夜ホテルで集まって写真を撮るのだそうです。
妻にシルク製品でもと思って探してみましたが、ブラウスはどうも年寄りじみた色柄のものしか見当たらず、明るい色遣いだとキャミソールやパジャマになってしまってどうもピンときません。娘の旗袍が一番高い買物になってしまいました。
これで午前中の市内観光は終わりです。小瀛州へ行くのは当然だけどせっかく岐阜から来たんだからぜひ柳浪闻鸴公园にも寄って“日中不再戦の碑”を訪れたかった。日中国交正常化から7年後という画期的に早い時期の1979年に杭州市と岐阜市が姉妹都市になって、それ以後連綿と友好交流を続けてきたからこそ今回の訪中公演が実現できたわけで、そういう歴史がなければ中国を扱ったわけでもない素人ミュージカルが海外公演なんてできるわけがなかったと思います。さらに歴史ということになると、国交正常化の前には社会主義国ということで国交がなかったし、不再戦の碑からわかるように日本と中国の間には戦争があって杭州でも地上戦が行なわれたり日本租界が作られたりした時代もあったらしい。
11時半頃かな、龙井茶の店を出て西湖の南側をぐるっと回って市街地に戻り、昼食会場のレストランに入りました。延安路沿いかなぁ、それとももっと東かなぁ、位置も見当つかないところへ連れてこられたって感じで、ただの“ついて歩き”状態でした。4階のレストランはやたらデカいです。20~30人の宴会ができそうな部屋が何十もあって、名古屋ドームいくつって数えたくなるような広さ。従業員だと思いますがローラースケートで移動している人もいました。
そのうちの1部屋に通され、旅程表によれば“
★杭州名物料理”の昼食です。といってもすでに
友好饭店でも
世貿大饭店でも名物料理を食べてきているので驚くようなメニューはありませんでした。ゼイタクなことですね。
龙井虾仁(龍井茶の葉で味付けをしたむき海老)も
西湖醋鱼(唐揚にして酢あんかけにした淡水魚)も充分にいただきました。鶏が出てきたので
叫化童鸡(野菜を詰めて蒸し焼きにしたにわとり)かと思ったら野菜は詰まってなかったけど、やわらかくてよくスパイスがきいていてビールが進みました。隣の人と“ビールほしいね”といいながら同時に“すいません、ビールください”“
同志、有没有啤酒?”と声をかけたら、無事にビールを注ぎに来てくれました。まわりの人には“どっちが通じたんだろう”と聞かれましたが、そこまでの会話は知らないので確かめられませんでした。
途中でトイレに立った人が
★“道に迷いかけた”といって戻ってきたのを笑っていたら、自分も食事が終わってエレベータホールに行く道がわからなくなってしまいました。それくらい広いんです。あれ?と思って戻りかけたら従業員が手で出口を教えてくれました。ちゃんと正しい方向に向かっていたようです。レストランのあるビルの1階にはちょっとだけお店(といってもワゴンに衣類を並べてる程度)があって20分くらい時間をつぶしてバスに戻りました。
10分ほど走ってバスは坂道を登りはじめました。登りきったところの駐車場でバスを降り、さらに少し階段を登って
杭州市街地の南にある
★吴山城隍阁という建物に入ります。5階建てでエレベータもある、新しい展望台施設みたい。やたらゆっくり動くエレベータは、ガイドさんの話によれば油圧で動いているらしい。4階の展望回廊からは
★杭州市街地と
西湖が一望の下に見渡せる・・はずなんだけど、春の空気はどんよりとしていて、
西湖の
小瀛州が
★なんとか見える程度です。あんまりきれいではないけど写真を撮ったりしながら3~40分はいたと思います。1階に降りたら
南宋時代の町並みのジオラマやら当時の風俗やらが展示してありました。こういう施設は好きなのでもっと早く降りてくればよかった。それと
吴山に登る途中に
杭州市历史博物馆という看板の建物もあったので、そこへも行ってみたかった。
とりあえずバスに戻って希望者だけ
吴山の麓にある商店街を散策することにしました、というか結局ほとんどの人が散策に参加したはずです。“
★清河坊历史街区”といって、
南宋時代の商店街を再現した町並みが300mほどあって、
★お茶や土産物を売っています。子どもたちは喜んで
★雑貨小物の店を回っていました。こういう所は歩いているだけで楽しいですね。15時頃が集合時間だったと思います。もっとゆっくりしていたかった。
バスに戻っていよいよ杭州を離れることになりました。こんど杭州を訪れるのは何年先になることでしょう。または訪れることができるのでしょうか。ぜひまた来たい。杭州の市街地は12年前と大きく変わっていたし、滞在中も建設ラッシュの真っ只中で新しいホテルやマンションが次々と建てられているみたいだから、先立つものさえあればマンションを1室入手したいものです。ちょっとバスの中で“帰りたくないよぅ”とぐずってみました。
バスは沪杭高速公路を上海に向かって走ります。こんどは往路と違って明るいので景色を眺めながらバスの2時間もそれほど退屈しませんでした。バスの走り方は往路と同じで、追越車線のトラックをどかしながらすごいスピードで走ります。窓から見えるキロポストを使って測ってみたらちょうど110km/hで走っています。考えてみればmphを使うのはアメリカくらいで、中国でも距離の単位は公里(km)、往路で疑問だった制限標識の110の単位はkm/hのようです。110km/hならそれほど恐れることもないですね。
往路と同じように途中で1回、トイレ休憩をして上海に入りました。そのまま高架道路を通って延安东路隧道で黄浦江をくぐって浦东地区に出ました。12年前は外灘(バンド)を歩きながら“川の対岸は浦东开発区になっていて、これから発展します”と説明された新興開発区域が豪華な市街地になっています。日本でも浦东開発のニュースなどで見たことがあるテレビ塔が浦东のシンボルだと思っていたのに、香格里拉や凱悦など、それを凌ぐような高さのホテルがいくつも建っています。
テレビ塔のすぐ脇にあるレストランが今夜の夕食会場。でもどういうわけか私の乗っていた3号車だけがやたら早く着いたらしく、急遽川べりに散策に出かけました。
★対岸から見る外灘と
黄浦江沿いの建物は
浦东地区の変わりようとは対照的に租界の名残をそのままとどめています。だからこそ観光名所にもなっているわけだけどイギリスのビッグベンそっくりの建物を見て、中国の人たちは何を感じるんでしょうね。
しばらくして1号車と2号車も到着したので、レストランの中へ入りました。2階のステージつきの客席に上がると、ステージでは数人の女性によるダンスが披露されていましたが、なんだか俗っぽいというか、典型的な観光レストランって雰囲気であまりいい印象ではありませんでした。出てくる料理は杭州とはちょっと違う感じ。でもやっぱりおいしくいただきました。ステージはいつのまにか弦楽トリオ+ピアノのクラシック音楽に変わっていました。
食事が終わって1階に下りていくとここにも土産店があります。たいした広さではありませんがちょっとした時間つなぎになりました。娘が友だちへのおみやげを買って、出発時間になったのでバスに戻りました。
バスはまた延安东路隧道で旧市街地に戻り、外灘の賑わいをバスの中から眺めました。1号車と2号車は近くにバスを止めて外灘の散策もしたようですが、私たちの3号車は早くホテルにチェックインしてゆっくりしたりホテル周辺の散策をしたりすることに決めて、そのまままた高架道路に戻りました。
上海での宿泊は
★虹桥宾馆というホテルです。すでにチェックイン手続きはしてあるらしく、バスの中でルームキーが配られました。私の部屋は1420号室。磁気カードキーでした。
高架道路を降りてすぐにホテルに着きました。バスのトランクからスーツケースが下ろされてきますが私のがありません。かわりに他のバスのメンバーのがいくつも混じっています。友好饭店で積みこむときに数の確認だけしていたのできっとバス同士で入れ替わっているのでしょう。手荷物だけ持って部屋に入りました。虹桥宾馆の部屋もごく普通のツインルームでした。
20分ほどして他のバスもホテルについたので、まずは
杭州の
友谊商店で約束していた
★旗袍の撮影会(?)をしました。部屋に戻ってしばらくしてもスーツケースが届かないので、仕方なくロビーに下りて自分で運んできました。これで着替えも手に入ったので娘を入浴させてベッドに入れたら、私が荷物の再整理をしているうちに眠ってしまいました。やっぱりけっこう忙しいスケジュールで疲れていたんでしょうね。
時間はもう24時近いんだけど、どうも私はまだ眠くないし、中国最後の夜だと思うとこのまま部屋で過ごすのが惜しいような気がして、役員のメンバーに連絡して深夜2時まで営業しているホテル内のレストランで“現地反省会”を行ないました。ところが私は役員だけでこっそりと正直なところを聞きたかったのに松岡氏までやってきて、反省するより緊張してしまいます。
飲物のオーダーにずっとビールばっかりだったので“绍兴酒”といったら“没有”っていわれて残念。結局ビールにしてしまいましたが、绍兴酒がないわけありません。時間も遅かったのでボトルでしか出さない绍兴酒は断られたということでしょうか、だったらもっと粘ってみてもよかったかな。
松岡氏の前で公演の話もしにくくて、杭州市内観光で不再戦の碑に行かなかった不満をぶつけてみました。松岡氏の考えは、そんな背景を今子どもたちに教えなくてもこの公演によってこれから杭州とか中国に興味を持ってくれたらそれが友好につながるんじゃないか、そういう将来のことを考えたら親はまぁほかっといてもいいから子どもたちをメインにということでした(と思います)。それから日中の違いについてなぜかトイレの話で盛り上がったりもしました。中国のトイレが開放的なことについて、広大な国土で家屋が点在している条件ではトイレを密室にする必要がなかった、ということでしたが私個人的には男性小便器は開放的なのに大便器のほうだけ密室になっている日本が特殊なんじゃないかと考えています。同じ排泄行為なのに。それから舞台の話で、本番中の客席の騒々しさについても教えてもらいました。結論(?)として松岡氏は“国や地域が違えばそういった習慣が大きく違うことはあたりまえでそれを認識することは大切、でも習慣が違うからといって相手を批判するのは決してやってはいけない”。これには異論は全くありません。
そんなような話題ばっかりで肝心の中国公演の反省はほとんど話題にならず、2時に解散して部屋に戻りました。
中国の発展
本文中にもあるように、私としてはこの遠征公演で「日中不再戦の碑」や上海の「外白渡橋(ガーデンブリッジ)」など実物で学ぶ歴史なんてのを考えていたのですが、杭州市名誉市民の松岡氏も中国側もそんなことはまったく考えておらず、現在の中国の発展を見てほしい感じがしました。唯一この目で見た歴史遺構が浦東からの旧租界の景色でしたけど別に説明があるわけでもなく、ただmaxell、LG、Nikonなんて外国資本による投資が印象に残ります。過去はどうあれ今はスゴいだろう、という雰囲気で、もちろん日中戦争だけじゃなく、文化大革命などという荒波も乗り越えてきた心意気というところでしょうか。某少女像をあちこちに作っている国とは発想が違うんだなぁ、と、余分なことを書くとマズいかな。
という私も、歴史なんてかしこまったことになると、古いところで「呉越同舟」「臥薪嘗胆」、一気に近世になって「阿片戦争」「眠れる獅子」「国共合作」など、断片的な雑学しか浮かんでこないんですけどね。