4月5日(金)

★に画像へのリンクがあります。
 トップ > 旅行記 > 杭州公演旅行3日目
朝、今日も5時頃に目が覚めてしまいました。とりあえずテレビをつけてぼんやりしてから身支度にかかりました。日本のBS1とBS2が受信できるので朝はこれで時間がつぶせます。夜のBSはスポーツだったりワールドニュースだったりしてあんまり見ててもおもしろくない。それと美濃から杭州に来たときに着ていた長袖Tシャツを私と娘の分、ランドリーサービスしてもらうよう袋に入れておきました。下着は汚れたまま密閉袋に詰め込んでいますが長袖Tシャツはかさばるので密閉袋に入らず、かといってそのままスーツケースに入れておくのもいやだったからです。7時にモーニングコール。日本との時差が1時間なので、BS2の6時から8時までを見ていたことになります。娘を起こして7時半に2階のレストランで朝食。今朝は中華ちまきとスクランブルエッグ、それからお粥を1杯・・・・。なんか無国籍な食事だ。
9時の出発だけど8時半頃ロビーにおりてぼんやりしてました。確か新聞スタンドには数日遅れの日本の新聞もあるはずですがそんなもの読む気にもなりません。それから忘れないうちに娘をロビーの壁の前に立たせて★写真を撮りました。新婚旅行のときに私が写真を撮った同じ場所で、杭州市長と岐阜市長の詩が壁面を飾っています。

9時にホテルを出て今日は最初から浙江儿童艺术中心浙江児童芸術センターに向かいます。もう杭州の町並みにもずいぶん馴染んできました。それに今日はお仕事の1日なのでなんとなく気合が入っています。私だけかな、子供たちは一向にいつもと変わりません。
艺术中心に着いて午前中はメーキャップの時間。舞台では★仕込みの手直しがされています。私は何もすることがなく、艺术中心の中をうろうろしてました。1階客席を後方に出ると★ロビーで、このロビーはガラス張りのエントランスにもなっています。エントランス兼ロビーにしては吹き抜けもなく天井も低くて圧迫感があります。
階段で2階に上ると2階のホワイエ、3階に上がると3階席の入口が(あたりまえだけど)あります。1階のロビーに戻って上手側の舞台袖方向へ行ったら行き止まりでした。下手袖方向は途中にスタッフ控室を通り抜けて舞台とつながっています。
舞台は下手袖が舞台監督の定位置のようだけど、舞台上にあるのは緞帳の操作機械とホリゾントライトの★カラーチェンジャーだけで★吊物の操作は2階に相当する高さのギャラリー通路のようです。今回の公演では★PAは客席の上手隅、★照明操作と中国語字幕操作は客席の下手隅という具合に全くバラバラの配置なのでうまく連携がとれるのか心配です。
舞台の上手袖から客席方向へ向かうとトイレ脇を通り抜けて貴賓室応接室があります。舞台の裏側には楽屋、楽屋の2階はミーティングルーム、それから“英语室英語室”(と読んだんだけど、劇場にある部屋とは思えないので、見間違えたのかも)という部屋がいくつか並んでいました。なんの部屋なんでしょう。それから上は管理系の部屋とか稽古室とかあるようです。
外へ出ると下手側に隣り合っているのは診療所みたいな施設。上手側の隣はなにかのビル、裏側は普通の民家です。民家はレンガ造りで、壁には文化大革命時代のものらしいスローガンが書かれた跡が残っています。楽屋の下は半地下になっているようで機械室や受電室があります。
これでだいたい艺术中心の建物は理解できました。でもこれだけ時間があるのなら艺术中心から外へ出て、街の中を歩いたほうがよかったかな。

11時30分くらいに作業を終わってわざわざホテルまで戻って昼食を摂ります。キャストが★舞台化粧したままで出歩くのは見ててヘンだけど50人もいれば★見慣れるものですねぇ。2階のレストランで出てきた昼食は中華のコースでしたが夕食のときほどたっぷりではなく、仕事前でビールも飲めずにあっさりとすませたあと、13時の出発まで★部屋で休憩しました。

また艺术中心に出勤(?)して★メーキャップの手直しをして、★衣裳を着けて14時過ぎから西湖小学の児童と一緒に登場する★カーテンコールの部分を練習しました。そのあと14時30分から★ゲネプロの始まり。日本での本公演はすませているもののこのメンバーになってたった4回の稽古でよくここまでできるようになったものです。特に★テント虫は山アリから選抜した新メンバーだし、蝶々、ホタルや★ベッコウ蜂はメンバーの入れ替えがあって動きが変わっているのに、4回の通し稽古とは別にレッスンしたとはいえたいしたものです。
西湖小学の児童たちはゲネプロを全部見て、★最後のカーテンコールには本番と同じ手順で登場します。なんの問題もなくスムーズにできたと思います。私の担当したワイヤレスマイクも要領がわかったのでスムーズでした。
16時30分頃にゲネプロが終わって19時15分の本番開演まで★休憩。その間にお弁当が配られました。メニューはおにぎり2コにタクアンと唐揚がついた日式弁当、お茶は500mLのPETボトルに入った乌龙茶烏龍茶で、昨日の昼食の焼鯖&カレーライスのようなちぐはぐさもなく見事に組み合わされた仕出弁当でした。

18時30分の開場時間を迎える頃、駐車場の通用口前にテレビの中継車が止まり、おもむろにカメラなどをおろしはじめました。どうやらテレビ中継が入るようですが訪華団スタッフには何も知らされておらず現地スタッフも打合せ済みなのかどうなのかただ見守るうちに30分ほどでカメラを2~3台客席に据え付けてケーブルをつなぎ、準備はできたようです。
19時を過ぎて開演スタンバイする頃にどこからかこのテレビ映像が日本の衛星放送に生中継されるという噂が流れてきました。役員もキャストもどうやって留守宅全員への連絡をとるか大騒ぎになりかけましたがどうやら生中継するというのは間違いだったようです。
こんどは客席からトラブルの連絡。昨日の西湖小学交流がテレビニュースで流れたため予想外の一般観客が来場して、訪華団家族の座席まで埋まってしまったということです。満員はとてもうれしいのだけどパイプ椅子で補助席を作ることで現地側との交渉に手間取っているようです。これも開演直前には解決したようで楽屋のパイプ椅子を運び出していきました。

開演間際にドタバタしたものほぼ予定どおりに開演しました。舞台は順調に進んでいきます。開演しても客席はざわざわしているのですが曲が終わるたびに拍手があるし、★テント虫の登場のときは歓声があがるし、美濃市の本番と同じような反応が返ってきます。けして舞台に集中していなくてざわついているわけではないようです。あとで聞いたところによると観客の習慣の違いで、日本でテレビを見ているときのように字幕を読んだり次の展開などを話したりしてざわざわしているらしく、集中できないつまらない舞台だったら遠慮しないで帰っていくそうです。日本でテレビのチャンネルを替えるようなものですね。
20時05分に無事に★1幕が終わりました。よいできの舞台だと思いますが子どもたちのテンションがまだ低いように見えます。2幕は舞台袖でもっと気合を入れなければなどと考えながらロビーのすみへ煙草を吸いに出てみると、外はいつのまにかかなり強い雨が降っていて雷鳴も聞こえます。そういえば1幕の終わりに関係ない場面で雷の音がしたのは、SEのミスじゃなくて本物の雷だったんだ。

とか考えていたら落雷の音とともに館内が停電してしまいました。えらいことです。ちゃんとバッテリーによる非常照明がついて最低限の明るさはあるので、客席もパニックにはなっていませんが、電気がなければ音響、照明はもちろん、幕さえ動きません。自宅周辺なら数分のうちに復旧するのだけど杭州の電気事情がよくわかりません。でも現地スタッフもそれほどドタバタしていないのでそんなに長い時間かからないで復旧するのでしょう。
ふと楽屋のことが気になって行ってみると子どもたちが騒いで動き回っていました。じきに電気がくるからそしたらすぐ始めるし、よそへ行っていると連絡がとれないから部屋で待つように落ちつかせてこっちもOK。とにかく電気がこなければ2幕は始められないので待つしかありません。
腰を落ちつけようかと思ったらこんどは舞台に雨が降っているとスタッフが慌てだしました。舞台に戻ってみると確かに小雨程度の雨が舞台に降り注いでいます。屋根はあったはずだし(あたりまえ)、雨漏りなら壁伝いに水が落ちるはずだと思ったら、強い風のせいで横なぐりになった雨が舞台の天井近くにある換気窓から降りこんでいるらしいのです。外はどしゃ降りだから風で降りこんだ雨がちょうど小雨くらい。ありゃありゃとしばらくは呆然としてしまいました。するとどこにいたんだと思うくらい大勢の現地スタッフが舞台にやってきてタオル、雑巾やモップで舞台上に降った雨を拭き取りはじめました。舞台の雨は降り続いていますが、人海戦術というのはすごいものですね。降るそばから拭き取られていきます。私もここでやっと仕事を思い出して預かっているワイヤレスマイクが濡れないようにアタッシュケースの中に入れて蓋をしました。水に濡れて怖いのはPAなどの電子機器です(キーボードにコーヒーをこぼした人ならわかるでしょう)。照明器具はさっきまで点灯していた熱が残っているのでほとんど心配ありません。

じきに電気が復旧しました。文章にすると長いけど、停電してから10分ほどしかたっていません。順に舞台の照明を点灯してみても漏電もなくOKのようです(あとで聞いたら1回路だけ2幕の途中まで復旧しなかった照明があったらしい)。風が弱まったのか窓を閉めたのかわかりませんがもう舞台に雨も降ってこないので、照明を全部つけて熱で舞台を乾かそうとしているようです。
舞台袖へPAチーフがやってきて、PA機器はOKだからワイヤレスマイクも2幕のスタンバイをするよう指示がありました。スタンバイが終わって舞台に戻ってみると訪華団の舞台監督と現地側の舞台監督が2幕の開演時間を相談しています。分刻みの交渉の結果2幕の予ベルは20時22分、開演が20時25分と決まったのが20時18分のことでした。急いで楽屋へ走り、手分けして各部屋へ連絡をしました。大人のキャストだけでなく子どもたちも指示を守って部屋にいてくれたので予ベルの時刻には2幕の開演スタンバイが完了していました。

20時25分に★2幕が開演。予定では10分間の休憩のあと20時15分に2幕が始まるはずだったので結局10分間の遅れということになります。中日2か国のスタッフで混成された舞台で停電と雨漏りというトラブルがあったというのに実にスムーズに対応できたと思います。スタッフもキャストも臨機応変に自分のすべきことをしたということでしょうか。このトラブルが休憩時間に発生したというのも奇跡的なことで、★演出上になんの影響もありませんでした。もし上演中にたとえどちらか片方でも起こっていたら、きっともっと面倒なことになっていたことでしょう。
2幕も★よいできの舞台だったと思います。停電事件で子どもたちのテンションが上がったようで、舞台袖で気合を入れるまでもなくただ見守っていました。

21時10分頃に★終演してスタッフの人たちと“辛苦了しんくぅら!(お疲れさま!)”とあいさつを交わしながらワイヤレスマイクを現地PAのさんに返したあと、舞台のバラしを手伝って21時50分にホテルへ戻るバスに間に合いました。実はこのバラし手伝いは本番直前に頼まれたことで、たぶんバラしてるとキャストたちがホテルに帰るバスには間に合わないということだったのです。ということはうちの娘だけ先に帰ることになるため、あわてて役員の女性に部屋の鍵やら着替えの入れてあるスーツケースの鍵やら預けておいたのですが、取り越し苦労に終わりました。2幕が10分遅れたせいで猛スピードのバラしだったことと、雨が降り続いていたために帰りのバスへの乗車に手間取っていたことが幸い(?)したようです。
バスに乗ろうと外へ出てみると、相変わらずものすごいどしゃ降りが続いていて、艺术中心前の湖墅南路は排水が追いつかず20cmくらい冠水した状態になっていました。次の日にわかったことですがこの雷雨で杭州市内で4人の死者が出たんだそうです。それと艺术中心付近の停電は実は深夜2時過ぎまで続いたらしい。艺术中心はもう1回線、別ルートから電気がひいてあって、そちらは運よく停電しなかったので切り替えて舞台が続けられたとか。とんでもない日に上演したものです。

舞台の興奮を残したままホテルに着いて、部屋に舞台衣裳を置いてから2階のレストランで打上げパーティーをしました。私も納得できる舞台だったので気分よくビールを飲むことができました。子どもたちは★Tシャツにキャストのサインを集めています。打上げの席上で参加者全員に杭州市長からの纪念状記念賞状が配られました。
打上げパーティの最後は流れ解散のような形になりましたが私はけっこう最後まで飲み食いしていて、部屋に戻ったのは24時近かったと思います。今朝ランドリーサービスを頼んでおいた長袖Tシャツもちゃんと届いていました。明日の朝、友好饭店をチェックアウトしなければならないので娘がシャワーを浴びている間に荷造りをして眠りました。

子どものパワー
 この公演以前から子どもたちのミュージカル活動に関わっていて、自由奔放というか、指導者の思うようにいかないこと、逆に本番に見せるとんでもない対応力などを目撃していたのですが、この日の停電事件でいざという場面での子どもたちのパワーを再認識しました。この時は外国のホールで停電というきっかけがあったせいで私でもわかる変化でした。たぶん学校の先生って運動会の時や授業参観の時、研究発表会の時に子どもたちを変化させるヒミツを会得していらっしゃるのでしょうね。
 それから、数年後にこの時の現地舞台監督、来さんとお会いして話をしていたら、児童芸術センターに2つ目の電源が引き込んであったのは、何かの工事のための仮設電源で、工事中でなかったら停電が復旧できなくて小虫的故事公演は中止になっていたかもということでした。「仮設電源があって、そっちは生きていた」「休憩中の停電だった」など、いくつかのラッキーが重なった公演だったと思います。
 私自身にとっても舞台に関わるときの姿勢についてメンタルな面もテクニカルな面もいっぱい勉強になりました。この後いくつもの舞台でPAを担当し、仕事でも舞台進行係(舞台監督というほどの重責でもないけど)を務めるのに役に立ちました。

前日ボタン戻るボタントップページへのボタン翌日ボタン