4月4日(木)

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朝、5時頃に目が覚めてしまいました。外は薄明るくなっていたようです。とりあえずテレビをつけてぼんやりしたりあらためて服务案内業務案内を読んだりしながらしばらく過ごしてからシャワーを浴びて身支度にかかりました。6時30分に電話が鳴ってモーニングコール、娘を起こして着替えさせてどうにか指定時間の7時に朝食会場の2階のレストランに降りていくことができました。朝食はバイキング、新婚旅行の時の中華朝定食がこぢんまりしててよかったのに、ちょっと残念。といいつつフレンチトースト2枚、ベーコン少し、中華ちまき2コなどをおいしく食べました。最後にコーヒーを飲んでおしまい。
8時15分にロビーにおりて8時30分の出発を待つ間にまず1万円分を中国元に★両替したり★歓迎看板の前で写真を撮ったりしました。

予定どおり8時30分にホテルを出て昨日と同じバスで出かけます。今日の午前中は西湖小学西湖小学校との交流というスケジュールです。西湖畔の湖濱路から北山路に回って岳飞庙岳飛廟前を通りすぎてすぐのところにある西湖小学を訪問しました。9時少し前に着いて校門を入ると校舎までの通路の両側に★鼓笛隊★揃いの服の子どもたちが並んで歓迎してくれました。校舎には★歓迎の横断幕が張ってあります。
全員そのまま健身室屋内体育室に入って待っていると★さっきの揃いの服の子供たちが入ってきました。交流会の開会式といったセレモニーが始まりました。副校長や日本側の団長のあいさつの後西湖小学の子どもたちの歌を聞きます。人数の割にボリュームはなかったと思いますが通常の(音楽専門でない)小学校の合唱部にしては充分かな、ハーモニーもちゃんとしてたし。さらには日本語の歌もほぼ完璧な発音で歌ってくれました。“小さな虫の物語”のテーマである“さあ飛び立とう!”と“心の懸橋”(中国タイトルは“心桥心橋”)。どうやって覚えたんでしょう。
次は★訪華団のステージ。美濃のメンバーは赤トレーナーで揃えてたんだけど岐阜メンバーは私服のままでちょっとしまらない感じ。中国へ出かける岐阜メンバーにもユニクロの赤トレーナーを買わせたほうがよかったかもしれません。西湖小学のお手本となるように“さあ飛び立とう!”をソロパート入りで歌ってみました。本番バージョンは楽譜に指定されたテンポよりかなり速くなっているので、西湖小学の歌とはまるで違って聞こえます。
それから両方のメンバーが勢揃いして再度“さあ飛び立とう!”の★大合唱をしました。日本側のテンポだったので西湖小学のメンバーはさすがに日本語についてこられなかったかもしれません。
最後に全員で★記念撮影をして合唱交流はおしまい。この合唱交流のようすは★地元テレビ局が取材に来ていて、その日の夕方と深夜、杭州电視台杭州テレビ西湖明珠というチャンネルのニュースで放映されるということです。

西湖小学の合唱団が去っていき、こんどは低学年の子どもたちが入ってきました。1年生と、2年生もいたのかな、200人近い児童が日本の子どもたちを囲むように座り、10時から★“小猪的故事子ブタの物語という人形劇を見ました。といっても中国語の人形劇だからただ見てるだけ。1時間けっこうタイクツしました。
11時過ぎに終了して健身室から屋外に出たら、体育の授業をやってるクラスがありました。でも都会の学校のせいかグラウンドというものがほとんどありません。★1周100mくらいのトラックがアンツーカーになっている小さな校庭があるだけで、児童たちは★人工芝の広場で整列の練習をしたり、校舎周囲の★犬走りにマットをひいて柔軟体操をしていました。もしかして、こういう体操は普段は健身室でやってるのかも。

バスに戻ってこんどは保俶塔のある宝云山宝雲山宝石山を回って一旦ホテルに帰り、18階の日本食レストランで12時から昼食となりました。
メニューはまず焼鯖と付出しが少しあって、ビールがほしかったんだけど午後からは本業(?)のホールスタッフを勤めなければならないので我慢しました。子どもたちが“スプライトの味がヘン”とか言っていたので飲んでみましたが日本と変わりません。冷えていなかったのでヘンな味に感じたのでしょう。こういった飲物もPETボトル全盛です。飛行機の中でもレストランでもPETボトルのまま出てくるのがちょっと日本と違うだけかな。ただ時折冷やしてないものが出てくるところは12年前とあんまり変わってないかもしれません。
しばらくするとカレーライスが配られました。子どもには少しつらいくらいの辛口カレーです。でも中国の日本食レストランでもサシミ・テンプラ・スシ…なんてものじゃなくカレーライスがちゃんとできるようになったんだからすごい、と松岡氏が説明してくれました。
一旦部屋に戻って本番衣裳などを持ち(私はスタッフだから関係ないけど)、13時に友好饭店を出発します。いよいよ本番ホールとの対面でドキドキします。

15分から20分かかって着いた浙江儿童艺术中心浙江児童芸術センターは、あっけないくらい小ぢんまりした建物でした。出発前に配られた★写真では艺术中心だけが写っていたので大きさのイメージが湧かなかったけど、両側をもっと高いビルに挟まれて、小さく見えました。ホール下手側の通用口から入ると、中もやっぱり小ぢんまりしてる。3階席まで合計して800余席、平面図的には1階席500席で正方形より横長な感じの★客席だからどの客席からでも舞台がとても近く見えます。PAしなくても今回のメンバーの歌声なら生でいけそうなくらいです。
客席の隅ではもうPAも照明もほぼ仕込みおわっているようで、各自で本番衣裳などを楽屋に運んだあとはさっそく主な場面の場当たり(実際の舞台でどこに立ってどう動くかという確認)に1時間ほどかけて、14時30分から★通し稽古になります。

私はキャストが★場当たりをしているうちに現地PAスタッフのさんからワイヤレスマイクを受け取り、PAチーフの指示でチェックをして1から12までの番号をつけました。私の仕事は「音響助手」、舞台下手袖に待機して、キャストがワイヤレスマイクをつけたり外したりする補助と確認をします。日本にいるときには中国のワイヤレスマイクはどんなだろう、もしかして昔のドリフターズみたいに長いアンテナのついた棒状マイクが袋に入っていて、それを首からぶら下げるんじゃないだろうかなどと心配していたのですがまったくの杞憂でした。SHUREのタイピン型ワイヤレスマイクが15本揃っていて、ミキサーの関係でそのうちの12本を使うことになったのです。
通し稽古でも装着してもらって、これはPAするというより、私の取扱訓練だったみたいなものですね。★キャストはすでに日本で4公演やっているので、舞台袖にスタンバイしていれば受け取りに来て返却してくれます。私が受け渡しのタイミングを間違えると教えてくれるし、早変わりの時もちゃんと手伝うペアが決まっていてヘタに手出しができません。ま、女性キャストがほとんどなので着替えの手伝いなんかできっこないんだけど。

16時30分に★通し稽古を終わってワイヤレスマイクをさんに返却したあと、ホテルに帰ってきたのが17時過ぎ。娘は赤のトレーナー、私はネクタイ姿に着替えをして18時にまた出発しました。今夜は杭州市人民政府杭州市役所杭州市对外友好协会杭州市対外友好協会主催の欢迎宴会歓迎晩餐会という公式パーティなのです。バスの中で全員にそれぞれ★招待状が配られ、マジに賓客になった気分。
18時30分少し前にバスはレセプション会場の世界貿易中心大饭店世界貿易センターグランドホテルに到着しました。浙江世界貿易中心にある5つ星ホテルです(ちなみに杭州友好饭店は3つ星)。この大饭店最大のバンケットホール、世貿庁が宴会場になります。
入っていくと美濃の子どもたちのトレーナー姿が場違いになるほど立派なパーティ会場でした。主要メンバーの椅子には真紅のカバーがかけてあり、背もたれの部分を巻くように金色のリボンがかかっています。私たち一般メンバーの椅子にもピンクのカバーに金色のリボン、★見るからに豪華ですねぇ。私のテーブルは4番、ステージスタッフが集められていました。

全員が席についたところでレセプションが始まりました。杭州市副市長★訪中団団長★杭州市名誉市民の松岡氏などのあいさつ、記念品の交換、その他一応のセレモニーのあと食事が始まりました。豪華な食事なのでしょう、でも私には友好饭店の料理との違いはよくわかりませんでした。いずれにしてもおいしくいただきました。
ステージでは杭州歌舞团杭州歌舞団の女性歌手による歌があったり、★日本の子供たちがアカペラで“さあ飛び立とう!”を歌ったりして時間が過ぎていきます。杭州歌舞团の歌手は私と同じテーブルにいた浙江儿童艺术中心经理浙江児童芸術センター館長の奥さまだそうで、“館長になると美しい女性と結婚できるんですか?”と聞いたら真面目に“結婚したのは经理になる前です”って答えられてしまいました。他に私のテーブルには現地美術スタッフと訪華団のスタッフがいましたが舞台監督の先生の通訳で煙草を交換したりしてなんとか★コミュニケーションがとれました。
さらに、私がテーブルのビール瓶を見ていると艺术中心经理芸術センター館長(名前を聞いたと思うんだけど忘れてしまった)が“イッキ”と声をかけてきました。どこで覚えたのか、それとも日本語の“一気飲み”はそんなにまで国際語になったのか、軽めの“中華啤酒中華ビール”という銘柄だったので“干杯乾杯”とお付き合いすることにして、結局現地スタッフ全員と数回“イッキ”したかな、私が一番たくさん飲んだんじゃないかと思います。思わぬコミュニケーションが成立したものです。でもビールでよかった、老酒白酒だったら倒れてるよ。
おかげで翌日艺术中心を歩いていても“你好ニーハオ”と声をかけてもらえました。
そんなふうに私が日中交流(?)に励んでいたころ、ジュニアキャストのテーブルにいた娘は★キャスト同士★交流を深めていたようです。
おひらきの時間近くなって杭州市からの記念品が配られました。箱に納められた陶磁器で、もしかしたら景德镇景徳鎮?と思いましたが美濃焼にも似た浙江龙泉浙江龍泉の陶器が入っていました。高さ105mmくらいの一輪差しには一緒に“迎春小花瓶迎春一輪挿”というカードがついていました。

21時頃にレセプションが終わり、現地スタッフの人たちに“じゃ、明天再見みんてぃぇんつぁいちぇん!(あしたまた!)”とあいさつをして(“じゃ”は日本語だけど)バスに乗り、21時30分くらいに友好饭店に戻ってきました。部屋に入ってまずちょっと遅いんだけど自宅に電話。昨夜はもっと遅くって電話できなかった。これでも日本では夜の10時半、あんまり電話のかかる時間じゃないけどね。ダイヤルだけして娘に受話器を渡し、無事の報告などをさせました。
それから娘にシャワーを浴びさせ、今朝の西湖小学との交流会が放映される西湖明珠にチャンネルを合わせていましたが、わけのわからない中国語を聞いているうちにウトウトと眠ってしまったようです。娘の“テレビでやってるよ”という声でふと目が覚めると確かに西湖小学でのようすが流れていました。娘はちゃんと起きてテレビを見ていたようです。訪華団のステージや松岡氏のインタビューなどが流れていましたが、なにしろニュースなので原語の日本語は聞き取れなくて中国語ナレーションしか聞こえてきません。やっぱり眠かったのでニュースが終わったあとはこの夜もそのまま眠ってしまいました。

中国のテレビ
 中国のテレビは当時自宅でも共同アンテナによってNHK-BS1を見ることができたので、中国中央電視台の新聞聯播などなじみはありました。でもそれはまるでNHK総合テレビの7時のニュースを見ていただけのこと、上海にはランドマークになっているテレビ塔があるくらいで北京の中央テレビとは違う放送局があります。この夜見ていたのは、杭州テレビの西湖明珠というチャンネル、例えていえばぎふチャンまたはケーブルテレビCCNのサブチャンネルみたいなイメージでしょうか。ただし共産党1党支配の社会主義国のマスコミだということは覚えておきたいところです。
 とは書いたものの、最近は日本でもちょっとアヤしい空気になってきてるような、そうでもないような・・・・

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