4月3日(水)
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美濃市文化会館を11時30分出発の予定に仕事は終日の休暇を取ったのでけっこうのんびりとした朝のはずでしたが、実は出発準備が完了していませんでした。9時30分頃スーツケースを車に積んで家を出て、まず銀行を2つ回って預金残高ぎりぎりまでお金をおろし、もう1つの銀行でトラベラーズチェックを5万円購入しました。それからフィルムとカメラの予備電池、昼食のおにぎりなどを買い込み、スーツケースを文化会館におろして一旦自宅に戻りました。だって、車を5日間文化会館に置いたままにできないから。
11時を過ぎたので娘と徒歩で出かけました。10分ほどで着いた美濃市文化会館には、出発までまだ20分ほどあるのにもう子どもたちが何人か集まって走りまわっています。この騒々しい子どもたちを連れて無事に団体行動ができるのでしょうか。
11時20分頃にバスも到着し、11時35分頃出発。東海北陸道~名神高速と走ってどういうわけか一宮ICでR22に降りてしまいました。昼時なのにR22はそこそこ混んでいて、R155経由で名古屋空港に13時頃到着しました。まぁ名古屋空港の集合予定時刻が13時30分なので韓国へ出かけたときのようなことはなく余裕の到着、だから一宮ICで降りたのかな。
バスを降りて集合場所までの引率はなぜか私が担当することになって、3階のチェックインロビーまでぞろぞろと歩きます。とりあえずひとかたまりになれる場所を確保して、13時30分の集合時刻まで休憩となりました。しばらくすると岐阜市メンバーを乗せたバスも到着して約100人のメンバー(109人のうち、数人は先発隊として前日に出発している)が揃いました。あらためて見渡してみるととんでもない人数です。本当にこれだけの人数が出かけて無事に帰ってこられるんでしょうか。
13時30分になったのでまず3グループに分かれて番号順に整列をします。これは中国のビザを団体で一括して取得したために、その名簿順が決められているからです。中国のイミグレーション以外では実質的な制限は受けないのだけど、中国でのバス移動もこのグループに分かれて3台に分乗するし、人員の管理上ことあるごとに整列しないと100人は管理できません。そのために大人と子どもを交互に並べて、グループの先頭と中間と最後尾に役員を配置しています。私は3番目のCグループの最後尾、つまり全体の最後尾を確認する担当でした。
整列したところでツアー会社の担当者からボーディングパスが配られました。ボーディングパスを列の順に配ったということは機内での座席がこの順番ということになります。一旦列を崩して機内預け荷物のセキュリティチェックとクレイムタグ付けをしてから、ボディチェックとイミグレーションを通ってデパーチャーロビーに入ったのが14時20分頃かな、大勢にしてはわりとスムーズだったようです。
おかげでロビーでの待ち時間に余裕ができたので、自動機で娘の旅行保険に入り(自分はクレジットカードのがあるから大丈夫)、自分用の煙草を買ってうろうろしていると14時50分頃ボーディングブリッジに中国西北航空のエアバスA300-600Rがやってきました。15時35分発のWH292便にしては忙しいなと思ったら“15時35分の中国西北航空上海・西安行きは機材の到着が遅れたため15時25分に搭乗のご案内をするまでお待ちください”とのアナウンスがありました。30分くらいのデパーチャディレイになりそうで、そうすると杭州への到着も30分遅れ。機内食で腹つなぎはするけど夕食が遅くなるよぉ。到着後に先発メンバーから聞いた話では、この便は1日で西安-上海-名古屋を往復する便で、黄砂の影響で西安から上海まで来るときにすでに遅れが出ていたそうです。そのまま名古屋へ向かったために、折り返し便が遅れることが最初からわかっていて、バスや夕食の手配をあわててやり直したらしい。
15時30分くらいから搭乗が始まり15時55分離陸、ということは20分遅れで、予想よりは早かったので一安心です。席についてみると私の
★39Jという席は2-3-2と並んだ窓側2席の
★最後尾(中央だけはもう1列、40まである)、そりゃ、団体客の最後尾だから最後でしょうねぇ。
機内では離陸のときに子どもたちが騒いでいましたが通常のクライムに移ったら
★おとなしくなりました。今のほうが高いところにいるのにね。外は雲が多くてクライムを始めて何分もしないうちに地上が全く見えなくなり、おもしろくありません。機内誌を見ても、日本との間を飛んでいる国際線なのに日本語のページがない!イヤホンもないから音楽も聴けない!タイクツです。
しばらくするとおしぼりサービスが始まりました。平たくたたんだおしぼりをトングで渡されます。確かに衛生的なんだけど、手渡しのほうがやっぱりうれしいなぁ。次にドリンクサービス。私はもちろんビールを選びました。こんどは紙おしぼりと豆菓子がついてきます。なんて銘柄だったっけな、アルコール3.7%の軽めのビールです。それを飲み終わるくらいの時間に
★機内食。パンとスモークしたような肉にサラダなどがついて、さらにもう1個パンがついてきました。ちょっとずつ食べてみたらあんまり自分好みの味付けではなかったので、パンを割って肉とサラダとサウザンアイランドドレッシングをはさんでハンバーガーのようにして食べました。これならけっこうイケる。全部食べちゃったよ。もちろんこのときも飲み物はビール。こんな時間から2本も飲んでていいのか?
2時間15分の飛行で17時10分(日本時間18時10分、以降は現地時間で表記)、上海虹桥国际机场に着きました。12年前より滑走路もスムーズになっていて、タキシングしててもガタガタいいません。空港ビルも確か改築されたと思います。でもボーディングブリッジからビルに入って階段を下りた正面がもう検疫とイミグレーションというレイアウトは変わっていないんじゃなかったかな。
検疫は今では日本からの客に対しては関係ありませんでした。入国カードも団体ビザなので関係ないらしい。いよいよ整列の一番大切な場所、イミグレーションに並びます。なんだか私たちの団体の前に並んだ人たちがずいぶん時間をくっていたので、長いこと待たされました。待ちくたびれたのと、私たちもなにか手間くうかとドキドキしていたらグループのメンバーはスムーズに通過していきました。
といってもなにしろ私が最後尾なので団体ビザのリストに1人、直前になって都合がつかなくなった人があって、そこを示しながら“Cancel?”と聞かれてしまいました。油断してた。“是・・・キャンセルド”と(ドタキャンって中国語でどう言うか調べてなかった。直前辞退…じゃないよね)答えたら、無事に通してくれました。最近になって改めて調べたら、「是,取消了.」でいいみたい。だとしたら私の返事も中英混在だったけど、模範解答だったのかも。
イミグレーションを通過してバッゲージクレームにたどりついたときには他のメンバーによって荷物はひとまとめにされていました。自分のスーツケースを見つけてそれを持って税関を通ったはずですが、係員がいるわけでなく、ゲートを通ったかどうかも記憶がありません。たぶん通ったと思います。外に出てしばらく待っていると浙江外事旅游公司のバスが3台やってきました。グループごとにそれぞれのバスにスーツケースを積んで出発したのは18時30分。ということは虹橋空港で1時間20分もかかったのか?
空港からすぐのところから高架道路に入り、そのまま沪杭高速公路(“沪”とは上海の略称)を走ります。こんな高速道路は12年前にはありませんでした。鉄道に4時間乗って(それでも特急)杭州へ行ったんだ。高速道路なら杭州まで2時間。窓から見える景色も上海の郊外に向かっているのでよくわかりませんが12年前とは全く違う雰囲気です。
眠れるようにという配慮なのでしょうか、バスの車内灯を消しているのでタイクツしました。外を見ても田舎の風景だし、暗くなってくるとなんにもすることがありません。路肩の看板を見て、杭州まであとどれくらいか考えるくらいです。
それにしても暗いせいでそう見えるのかもしれませんがバスはやたらとばします。追越車線で左ウインカー(右側通行だから)を出したりパッシングをしたりして前のトラックをどかしながら、まるで飛行機の遅れを取り戻すかのように走ります。制限速度は、と外を見ると110という標識に気がつきました。まさか110mph(≒176km/h)ではないでしょうねぇ。
途中で1回のトイレ休憩をはさんで1時間30分ほどで杭州市に入りました。でも私の記憶の中の杭州とはまったく違う。高層ビルは林立してるし高架道路ばっかりだし、看板の派手なネオンサインが夜の街を明るくしてる。上海どころか香港なみの賑やかさで、これが歴史的な観光都市杭州だとは信じられません。市街地に入ってから30分くらい走って高架道路を降りたと思ったらじきに滞在ホテルの杭州友好饭店でした。
友好饭店はロビーの内装が少し変わっていましたが玄関もカウンターも
★ロビーの椅子も12年前と同じで懐かしかったです。スーツケースは
服务员が降ろしてくれるのでとりあえず手荷物だけ持って2階のレストランに行き夕食をとりました。料理は中華のコース料理。好き嫌いの多いメンバーは食べられなかったものがあるようですが私は中華(江南料理)ならほぼなんでも大丈夫なのでビールとともにおいしくいただきました。娘は…どうだったのでしょう、私とは違うテーブルになったのでどのくらい食べたのかわかりません。隣に座った上級生にいろいろ取ってもらっていたようなので満足する程度には食べたと思います。
食事の間にチェックイン手続きをしてもらってルームキーを受け取りました。私と娘の部屋は
★1115室。ルームキーも普通の鍵ではなくてカードでした。それもICカード。食事が終わって部屋に入ったのが23時近かったかな、荷物はポーターサービスがあるはずなのにまだ届いていなかったので、ロビーへ行って自分で運びました。まだ部屋ごとに仕分けをしているようでした。
スーツケースから娘の着替えだけ出して入浴させている間にテレビを見ていたら眠くなってしまいました。とりあえず娘がパジャマを着てベッドに入るまでは起きていましたがその後自分は入浴もしないで眠ってしまいました。明日はモーニングコールが6時30分、それまでに身支度できるかな?
小学生を含む百人余
小学生を含む100人余りの団体で海外に行くなんて初めての経験でした。いや、普通の人は一生のうちにほとんど経験しないでしょうね。制作スタッフによる準備はほとんど岐阜市のメンバーによるものだったので、私はその指示で動くだけでしたけど、この経験のおかげで美濃市のメンバーが美濃子どもミュージカルによる北海道士幌公演や杭州大劇院歌劇院での創作音楽劇公演もできるスキルを身につけられたと思います。
小学生も最初に美濃市文化会館に集まった時点まではただ勝手に騒いで走り回るだけでしたが、やはり目的を持って行動すると大人の思いもしなかったような行動力を発揮してくれます。それを痛感したのが3日目の公演本番中に起きた停電事件でした。