4月7日(日)

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今朝も6時頃に目が覚めてしまった。疲れてないのかなぁ、私は。昨日のバス移動中にもほとんど寝てないし、日本での日常生活にこれだけ元気があったらいいんだけど。シャワーを浴びたり窓から★朝の上海を眺めたり荷物の最終整理をしたりしてモーニングコールを待ちました。でも予定の7時になっても電話が鳴らない。まわりの部屋では順に電話の鳴る音がしているのに、どうしたことでしょう、起きてるからいいようなものの。
娘を起こして身支度をさせたりしているとドアがノックされました。覗いてみるとホテルの服务员(若い女性!)で、もうスーツケースを持ちに来たのかとドアを開けたら“モーニングコールです”だとさ。マシンのモーニングコールが設定してなかったのかな。それとも私への特別なサービス?(ンなはずがない)今朝も8時までにスーツケースをドアの外に出しておけばポーターサービスがあるので、7時半に食事におりるついでに出しておきました。

ここのホテルの朝食もバイキングでした。今日も私は中華でまとめてゆっくりと楽しみました。中国最後の食事ですから、そそくさと食べちゃもったいない、40分くらいねばってたかな。こののんびり感がチャイニーズ・ペース、私にピッタリです。
レストランを出て娘は年上の友達とホテルの中をあちこち行ってみるというので私だけ部屋に戻り、自宅に電話してみました。しかし誰も出ません。きっと私のいない週末だから実家で泊まっているのでしょう。娘が部屋に戻ってきたので手荷物を持ってロビーにおり、チェックアウトして★2回目の両替をして9時の出発を待ちます。
今朝は早めにスーツケースも集まり、ちゃんとバスごとに正しく仕分けをして積みこんでもらいました。出発時間の9時に無事にメンバーも揃いさぁ出発かと思ったらガイドさんが“Yさん、まだチェックアウトしてないですね”“あ!忘れてた!”という爆笑コントの時間があって、少し遅れて出発しました。

宾馆から上海虹桥国际机场上海虹橋国際空港まではあっという間でした。20分とはかかっていないと思います。そりゃぁ名前に虹桥って入ってるんだから、日本でいえば「ホテル日航羽田」みたいな感じで、空港の近くにありますよね。バスから降ろされた自分のスーツケースを持ち、机场建设費空港税のチケットを受け取ってチェックインロビーへ入りバッゲージチェックを受けます。
ツアー会社の添乗員さんもずっと一緒だったので事前のチェックインではなく、これから109人のチェックインをしてくれます。ずいぶんと時間がかかっていました。機内預け荷物は個々でクレイムタグをつけてもらっていてはさらに時間がかかると考えたのか、全部まとめて処理してしまいました。といってもタグはもちろんそれぞれにつけるんだけど、どの番号のタグが誰の荷物かは区別せず、100個ほどのタグ半券をひとまとめに添乗員さんが預かるようです。空港に着いてからほぼ1時間、10時半近くになっていました。
さてこれからイミグレーションなので番号順にきちんと整列して★ボーディングパスを受け取り、イミグレーションに進みます。中国に到着したときよりはゲートの数も多く、スムーズな感じです。私たちがずっと並んでいると隣のゲートに係員がやってきたようで、なにか叫んでいました。きっとここがあいたから来い、とでも言っているのでしょう。ちょうど私たちの後ろに(私が最後尾だから)白系の人がいたので“Excuse me, this row is empty.”と教えてあげたら半信半疑のようすで進んでいき、そのグループはスムーズに通過しました。次に私たちの後ろに来たグループはアジアンな見た目だったので何語で話しかけていいかわからず(日本人じゃなかったので韓国語か北京語か広東語となると話しかけられない)、そのままほかっておきました。
イミグレーションではまた団体ビザなので何の問題もなく、ボディチェックも無事に通過してデパーチャーロビーに入れたのが10時40分くらい、11時のボーディングゲート前集合まであとわずかしかありません。娘を小走りにさせて自分は急ぎ足で11番ゲートの近くまで行って、それから最後の買物をしました。とりあえずチョコレートやら煙草やら、あまり考えないで財布の中の人民幣人民元を使いきるまで買物をして(といっても600元くらい)、ちょっと遅刻をして11時05分くらいにゲート前に着きました。

もう中国西北航空WH291は搭乗が始まっていました。けっこう並んでいるので一旦ロビーの椅子に座って、妙に重くなった財布を調べてみたら、まだコインで10元余り入っていました。これだけあればもうちょっと買物ができたのに。
搭乗の列も短くなってきたので私たちも★機内に向かいました。帰路の私の席は往路とまったく同じ39J、機種も同じA300-600だったのでスターボードサイドの通路を最後尾まで行って座ってみると、シートカバーの具合とか、シートバックポケットの古び方まで往路と同じです。どうやら往路と同じ機体のようです。もしかしてたった1機で西安上海―名古屋を運行してるのかな?そうすると機内誌・★機内紙も往路で一度手にした物かも。
定刻の11時15分、無事に出発しました。私にピッタリのチャイニーズ・ペースももう終わりです。そして、財布の中のにはコインで10元、バッグの中には使いきれなかったT/Cが3万円……ゼッタイ近いうちにまた来てやるぞ、と思いつつ、中国を離れていきます。

機内では往路と同じくおしぼりサービス、ドリンクサービスのあと★食事。メニューは寿司と蕎麦、日本に向かう機内ならではのサービスですね。もちろん、上海のケータリングなのでそれほど期待をしないで食べてみたらけっこうおいしい日本食でした。もちろん、ビールも2本飲んで満足。
名古屋空港への到着時刻が近くなってディセントが始まりましたが、3日に出発した時と同じく雲が多くてどこを飛んでいるのかわかりません。ぐるっと旋回しているので北からの進入ならここが千鳥橋のへんなんだけど、まだまったく雲の中でした。やっと地上が見えたときには、南からの進入で東名阪道(現名二環)あたりを飛んでいることがわかりました。ほぼ14時30分(日本時間、以降は日本時間で書きます)の到着予定時刻どおりに名古屋空港に着きました。

例によって中国からの入国には検疫は関係なく、イミグレーションも無事に通過して日本国内に戻ってきたことになります。でも、団体一括ビザなのでビザも中国のイミグレーションスタンプもパスポートに残っていません。名古屋空港の★出入国スタンプだけじゃパスポートもスッキリしたものです。
バッゲージクレイムから税関を通ってアライバルロビーに出てから、再度2階のチェックインロビーに集まって★訪中団解散式をしました。といってもロビーの片隅で細野団長のあいさつがあっただけ、あっけないくらいに解散となって岐阜と美濃に分かれて帰路につきました。こんどはR41を北上したあと小牧ICから名神~東海北陸道と走って、17時前に美濃市文化会館到着。
ところが自宅に電話をしても誰も出ません。まだ実家から戻ってないのか?仕方なく、同じ方向の人の車に乗っけてもらってどうにか帰りつきました。

4泊5日、事故もなくトラブルはあったけどうまくかわして、全てのスケジュールが終わりました。娘も母親と離れて5日間、そのほとんどは父親とも別のグループで行動してたのにホームシックにもならず、以外にタフなことを発見しました。これで松岡氏の言うように中国に興味を持って、いずれは日中友好に役立っていくのかなぁ・・・

黄砂の空
 この当時はまだ中国での公害が大きな問題にはなっておらず、PM2.5などという言葉も知りませんでした。ただ昔からの「黄砂」という大気現象だけ。本文中にいくつか景色の写真も載せましたがどれも遠景は写っていません。
 そんな黄砂でつまんない写真しか撮れなくて帰国したところ、各務原市で大規模な山火事があったらしいという話にでっくわしました。原因不明ということでしたが、美濃市でも煙による影響があったようです。原因不明の山火事でびっくりするより、原因の判明している黄砂のほうがよっぽどまし、ということですかね。

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