10月11日(木)

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今朝は8時半に出発しなければならないので、時間がなくて朝食が食べられませんでした。今日は車で1時間半くらいかかる绍兴紹興の町を訪れるため朝少し早いのです。
いつものように(!)ホテルにさんが迎えに来てくれました。昨日眺めた钱塘江大桥銭塘江大橋を渡り、蕭山市へ入りました。この橋は有料になっていて、蕭山側を1kmぐらい走ったところに料金所がありました。そのための渋滞が橋の杭州側入口まで続いています。橋を渡ってしばらくの間は自動車専用道路のようで、生活道路とは並木で境がついています。とはいっても別に★立体交差になってるわけではないので、道を横切る人や荷車もあります。
杭州市をでて気付いたのはやたらに貨物車が多いことです。蕭山市からさらに目的地の绍兴市紹興市に近付くと、もっと貨物車が増えます。ここでなぜトラックと書かないかというと、貨物車の半分くらいは日本でいうテーラー(耕運機の後ろにリヤカーをくっつけたもの)が走っているからです。残りの半分がトラックと日本のダイハツミゼットに似た三輪軽トラックです。テーラー(と日本流に呼んでおきます)にもいろいろなグレードがあって、観察してみるとけっこうおもしろかったです。
いちばん簡単なのは日本のテーラーそのものです。次のグレードのものは荷台から運転台の上へ屋根(ひさしというべきか)がかぶさっています。★いちばんちゃんとしたものは、フロントウィンドウもついていてハンドルが自動車と同じ丸いものになっています。ただ丸いハンドルを使ってもエンジンのついた耕運機部分全体が向きを変えて曲がっていくために、フロントパネルの足元はすきまがあいています。中には丸いハンドルでありながら運転席が丸見えのものもありましたが、こういうのは最初はついていたフロントパネルや屋根が★とれてしまったものだと思います。

途中、工事で片側交互通行をしてたりで、結局2時間近くかかって绍兴市に着きました。まずは绍兴饭店紹興ホテルに寄って、绍兴市人民政府外事办公室紹興市役所外務部さんという女性と会いました。今日1日绍兴を案内してくれる人です。なかなかきれいな女性でした。あとでわかったことですが、まだ19才だそうです。うーーーん・・・このまま中国に留まるかぁ・・なんてこと、たとえ考えたとしても口には出せませんね。
最初に市街地にある绍兴魯迅纪念馆紹興魯迅記念館に入りました。上海に「魯迅纪念馆」があるために、生地に建てられたものには「绍兴~」と地名が入っているようです。魯迅といえばご存じのように(ご存じですよね?)「阿Q正伝」とか「故郷」などの作品で有名な大作家です。明治期の日本に留学していて、中国に戻ってからも自分の著作と並行してたくさんの日本文学を中国へ紹介した人です。というようなことは绍兴魯迅纪念馆の展示を見て知ったことで、私個人は中学生の頃に「阿Q正伝」を読んで理解できないままほかってあったという程度の人間です。妻は・・・どうかなぁ・・・魯迅という名前を知ってたかどうか・・
それからすぐ横にある魯迅の生まれた家魯迅故居魯迅生家に行き(生家のすぐ横に纪念馆を作ったと言ったほうが理にかなっている)、彼の★生まれた部屋をのぞいてきました。魯迅の生まれた頃は名家だったのに、時代の中でだんだん没落していったようです。詳しくはご自分で魯迅の伝記を買って読んでくださいね。私も決して正確に理解しているわけじゃないのです。あはは。
次に魯迅が幼い頃勉強した私塾の三味書屋に入りました。このあたりは家が建て込んでいて奥に細長くなっています。その途中に中庭などをはさんで台所とか離れがあったりするのですが、隣家との間はすべて白い塗り壁ですきまなく仕切られています。なんでもこれが★防火壁の役目をはたしているそうで、日本にある(美濃市が観光のウリにしている)「卯建うだつ」の原形だそうです。
绍兴の市街地はごく小さなもので、ゴミゴミした感じです。杭州のように観光を全面に押しだしているんじゃなく、これが中国のわりと普通の街なんじゃないかな、と思いました。

この三ヵ所を回って午前の部は終わり、绍兴饭店で昼食をとりました。杭州では見なかった料理が豆腐の揚物でした。1口サイズに切った豆腐がから揚げにしてあって、チョコレート色をしています。クサヤに似た匂いがして、さんは“クサい豆腐といいます”と解説してくれましたが、中国語で何というのか聞きそびれました。あとで調べたら“臭豆腐”だそうな。そのまんまでした。私はちょっと苦手で1つしか食べませんでした。妻はなんだか気に入ったようでいくつも食べていました。この豆腐は中国人でも大丈夫な人と苦手な人がいるようです。あたりまえですね、日本人でも納豆やクサヤは食べられない人がいますからね。
昼食をすませてからトイレにいったら、ここのトイレも密室ではありませんでした。小便器が並んでいるのは日本と同じで、その背後に小さな扉(西部劇にでてくる、腰から胸までの部分しかない扉)に仕切られただけの洋式のがありました。私はそっちの用事はなかったので日本と同じように用をすませましたが、考えてみれば日本人のほうが不思議なのかもしれません。西洋だって扉が膝から上ぐらいしかないトイレでしょ。日本では男の小用は屋外でも平気でするのに(いわゆる立ちション)、大のほうだけは妙に密室にこだわっているわけです。夜、田舎道や繁華街の裏通りを歩いていると、けっこう立ちションのおじさんを見かけるのに、野グソをしているおじさんは滅多にいません・・・よね。
話がそれますが、かなり以前のこと、朝、出勤したら、職場の駐車場にあきらかに人間のものと思われる排泄物が積まれていて、ぶっとんだことがあります。大型犬なら人間と同じくらいの量をするかもしれませんが、犬はほとんど紙でふいたりしませんからねぇ。だから人間のものと思ったわけです。

閑話休題、昼食も終わって绍兴饭店から車でしばらく走って东湖東湖に着きました。隋や唐の時代から石垣をつくるための石を切り出していたところで、そこに水がたまって湖になった人工湖だそうです。水面から上へ20m、下へ18m(だそうな)、垂直に岩壁が切り立っています。どういうわけかところどころに壁が残してあります。またその壁がくりぬいてあって、門に見立てたような箇所もあります。
ここの水は透きとおっていました。杭州西湖の水がきれいだといっても中国のことです、水面の下1mも見通すことはできませんが、东湖の水は信じられないくらい透きとおっています。そしてその水面下が18mもあると聞いては少し怖くなってきます。そんなことを知ってか知らずか、ここでも★小舟に乗って漕ぎだしました。切り立った岩壁のすぐ下までいくと、おおいかぶさってくるように感じます。残してある壁のせいでごく狭い部屋に区切られているようです。★岩壁の上へ登る道もあります。さすがに私たちはパスして、东湖を離れました。
东湖と駐車場との間の道端には“臭豆腐”を売っているおばさんが何人もいました。绍兴名物なんですね、この豆腐は。

そして車でまたしばらく走って着いたのは大禹陵でした。4,000年前、治水を行なって人々を水害から守った王朝皇帝のという英雄のお墓です。王朝といえば中国史上最古の王朝のそのまた前の(現在のところ)伝説上の王朝。墓が作られたのが1,000年以上前ということでその墓だけでも価値があるわけだけど、墓を作った時にはすでに3,000年たっていたわけで、実在したのかどうか。中国は本当に奥の深い国です。
大禹陵の中心となる建物(本殿というか、本堂)は禹庙禹廟といい、屋根にしゃちほこのように龍が飾られています。しゃちほこと違うのは剣で刺され屋根にはりつけになっていることで、龍があばれて水害を起こすという考えからその龍を封じ込めているという意味だそうです。日本のしゃちほこは城にもしものことがあった時に水をまいて守ってくれるという意味なので、どちらも水に関連したものを屋根にのせているということは、やっぱり関連が深いのでしょうね。
禹庙の脇の少し高いところに「窆石」という人間より少し大きいぐらいの石があります。の遺体を埋める時に使った石だそうで、表面に何か文字が刻んでありますがほとんどわかりません。でもせいぜい1~2,000年程度の古さだと思います。普段この石はアクリルのカバーでおおわれているみたいだけど、ちょうど研究のための拓本をとるのか、カバーがはずしてあって3人ほどで石をなで回していました。

そこから今度は绍兴酒紹興酒の製造工場を訪れました。工場の敷地に入ると米麹の匂いが鼻にツンときます。うん、さすがに製造元だと感心しました。敷地の中にはあちこちに★熟成中の酒壷が積み上げてあります。ブランデーやウイスキーは温度や湿度が一定の倉庫で保管されているのに、绍兴酒の酒壷はむしろをかぶせたまま雨ざらしです。空の壷が置いてあるのかと思って近付いてみたら、蓋がしてあって泥で密閉してありました。中には绍兴酒が入っているようです。工場の門にもガードマンがいるわけじゃなく、ずいぶん不用心なものです。
最初に会議室に案内されて、少し説明を受けました。広い会議室のテーブルに私たちだけで座って工場の人が説明してくれるのを聞いていましたが、しばらくするともう3人、客らしい人が入ってきました。そこでまた工場の人は最初から説明をやり直します。绍兴酒の説明の前半は2回聞くことができました。どうやら後から入ってきた人の一人は日本人、もう一人は中国人、そしてもう一人は通訳の人でした。会話を聞いていると、観光客ではなく商談にやってきているようです。でも説明の内容は私たちの時と同じでした。
そのあと工場内の建物をひとつ見て回りました。回るといっても绍兴酒を入れる壷をきれいに彩色する行程しか見せてもらえませんでした。ま、仕込みのところなんか見せられてもしょうがないか。
さいごにお決まりの直売店でお買い物。瓶入りのものは日本でも簡単に手に入るので、さっき彩色行程を見た陶器の甕(といっても900mLくらいの小さなもの)に入ったものを9本買いました。荷物に入れるときのクッション材は昨日買ってあるのでなんとかなるでしょう。

そして工場をでてもう1回绍兴饭店に寄り、さんと別れました。さんが饭店の中へ入ってしばらくして車へ戻ってきたら、コカコーラの350mL缶を4本、手に持っていました。中国ではめずらしくちゃんと冷えていました。そのコーラをストローで吸いながら、来たときと同じ道を2時間弱かけて杭州市へ戻りました。

友好饭店に着いた時にはもう17時を過ぎていたので、そのまま夕食にしました。今日はもうさんの手も借りないで、注文から自分たちだけでやりましたが、やっぱりつい少なめに注文してしまいます。自分たちで注文したといっても服务员従業員の半分くらいは(程度の差はありますが)日本語がわかるので、別にいばって書くことはないですけど。西湖ビールを注文するのに“シーフーピーチュウ”といったら、“せいこびーる・ですね”と復唱されてしまったくらいです。
夜、風呂に入って顔や手をこすったら、タオルが黒くなってしまいました。やっぱり蕭山市绍兴市は空気中のほこりがすごいんですねぇ。これで4日目も終わりです。もう旅行の半分以上の行程が終わってしまいました。

訪れた場所について
 当時は「地球の歩き方」くらいしか中国旅行の参考になる書籍がなく、杭州市内の移動も紹興市へのおでかけもただホテル前で車に乗せられて連れていかれただけで、自分で同じところへ行けといわれても路頭に迷ってしまいます。
 令和の時代になってグーグルマップで一応検索できますが、中国国内に関してはマップと衛星写真が大きくずれているし、ストリートビューもありません。旅行のパック商品はJTBでもHISでも豊富に出ていても、フリープランで好きな観光地を勝手に巡ることはできないみたいです。もうちょっとフリーのツーリストにも優しい国策を取ってくれないものかと思います。
 そうしてみると人民政府招待となった私たちの新婚旅行は、ある程度こちらの希望も聞いて行先を決めてもらえたので、とても貴重な体験だったようです。

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