大工 おーい、早よしんかぁ、今月中にこの建物を作ってまわんとあかんのやで、急いでやらなあかんぞ。
村瀬藤城 やぁやぁ、大工さん、わっちの頼んだ建物はまぁできあがるかな。
大 これはこれは村瀬藤城先生、おまはんから頼まれた梅花村舎という塾の建物やけどなも、みてもらったとおり順調に進んどるで、まぁじっきできるなも。
藤 そうかな。4月からこの梅花村舎にも生徒が大勢やってくるで、それまでにちゃんと校舎ができあがるよう、よろしく頼むんな。
大 大丈夫やて、まかしておいてくんせぇ。ところで藤城先生はこの塾で何を教えんさるんやな。
藤 おまはんはわっちのことをあんまり知らんようやで、この際詳しく教えたろうと思ったんやけど、あんまりむつかしい話をするとおまはんもわからんやろうし、仁輪加を見ちょんさる人も寝てまうとあかんで、簡単に説明するんな。
大 藤城先生、そんなこと言わっせるけど、本当は自分がむつかしいセリフをよう覚えんのやねぇかな。
藤 たわけたことを言え。わっちは大丈夫やけど、きっと仁輪加の台本作者があんまり知らんのやなも。
大 そうかな。東市場ももうちょっとかしこい人に仁輪加の台本を書いてもらわなあかんのやねぇかな。
藤 そうかもしれん。来年は考えることにするなも。
内木茂 ちょっとちょっとおまはんた、何を仁輪加の悪口を言っちょんさるんや。
大 別に仁輪加の悪口を言っちょったわけやないけど、おまはんは誰やな。
内 わっちは美濃町の文化財を守る会の内木茂という者やなも。
藤 あ、おまはんが有名な内木茂先生かな。美濃町の歴史の話をさせたら右にでる者はおらんてって、江戸時代でも有名やったなも。
内 わっちゃ大正4年の生まれやで江戸時代に有名なわけはねぇやねぇかな。そんなデホなことを言うおまはんは一体誰やな。
藤 わっちは漢学者の村瀬藤城といってなも、今この大工さんに梅花村舎という塾の建物を作ってもらっちょるところなんやなも。
内 何な!そうするとここは江戸時代かな。今は平成5年やと思っちょったら、いつのまに江戸時代へ来てまったんやろう。困ったなも。
大 そんな平成と江戸の区別もつかんような人に仁輪加を書いてもらうようではあかんてってさっきも話しておったところなんやて。ところでおまはんは美濃町の歴史について詳しいみたいやで聞くんやけど、この村瀬藤城という先生は一体何をした人なんやな。
内 この人は有名な漢学者で、頼山陽という人の弟子やなも。
大 何やなそのサンヨーとかいう人は。テレビやビデオを作っておったんかな。
藤 おまはんに一から説明しておると仁輪加コンクールに間に合わへんようになってまうで、黙って聞いちょんせぇ。
内 それから美濃町に塾を作ってたくさんの人に学問を教えたんやなも。
大 塾というとやっぱり公文式かな。
藤 ええで黙っちょんせぇ。
内 さらに曽代用水の裁判をしたり、飢饉の時にみんなを助けたり、とにかく美濃町の英雄なんやなも。
大 そうかな、ほんで今わっちが作っておるのが藤城先生の塾というわけやなも。これでやっとわかったなも。
藤 ほんなら今まで何にもわからずにやっちょったんか。そんなことやでちょっともできあがらへんのやねぇかな。それから大工さん、わっちゃ建て前の時からずっと気になっておったんやが、あそこの壁のところがすきまだらけなんやけど、あれで大丈夫かな。
大 教室の中が明るくなるように壁にすきまをあけたんやけど、言われてみやちょっとあけすぎたかもしれんなも。
藤 あんだけすきまだらけでは、ちょっとした風が吹いても建物がつぶれてまうような気がするんやなも。
内 素人のわっちが口を出してはおかしいかもしれんけど、そんなことはちょっとも気にしんでもええんやねぇかな。
藤 ほんでも大工さんも心配しとんさるのに、おまはんに気にするなといわれても気になるなも。
内 建物は大丈夫やで、おまはんは学問に熱中しなあかんなも。
大 本当にあんなすきまだらけで大丈夫かな。
内 ほかの家ならともかく村瀬藤城先生の梅花村舎なら、すきまがあればあるほど建物は丈夫になるなも。
大藤 そらまたどうしてやな。
内 さぁ、村瀬藤城のことならなぁ。
大藤 どうじゃな。
内 漢学(間隔)で郷土(強度)が大きくなるわな。
エッキョー!
作者のつぶやき これはちょっと高級な地元ネタという感じ。練習は梅花村舎(ばいかそんしゃ)とか頼山陽(らいさんよう)とか、固有名詞を覚えてもらうことから始まりました。