不随意筆ふあんの外面 その3(1977年9月)
またまたしつこく登場です。自分でもエエカゲン食傷気味ながら、――なにせ、この稿のために所有の手塚マンガ本はほとんど再読三読しているのですからして――それでも書き続けるその執念に免じてつきあってやってくださいませ。
7 どろろろん(承前)
C 陶酔
「無残帖」――どろろの生い立ちを語るこの巻は、作品冒頭の「百鬼丸の巻」と並んで、『どろろ』全体でも最も重要で、悲しく、美しい部分である。アニメーション『どろろ』は原作を忠実に再現していた…。しんしんと降り積もる雪の中で息絶えてゆく、どろろの母お自夜。泣き叫ぶどろろ。雪はいつしか二つの影をも白く塗り込めてゆく…。画面が非常に美しかったために、余計に悲しさが増して…。私はもっぱら情に流されて、このアニメーションにひきこまれていったのでした。
D 同化
こうして、アニメーション『どろろ』に魅せられた私は、続く「妖刀似蛭の巻」「白面不動の巻」をテレビにかじりつくようにして見たのでした。妖刀似蛭に取りつかれた仁木田之介を倒した百鬼丸。勝った彼が何故こんなに悲しそうな顔をしなければならないのだろう。何故こんなに美しく、そして苦しいのだろう。当時、私は自分自身が何に苦しめられているのか、ほとんど理解しえなかった。百鬼丸のどこに共感しているのか、ほとんど理解しえなかった。否、理解しようとしなかったのかもしれない。妖怪を一つ倒すごとに奪われた体の一部が還ってくる。まともな人間になるために、百鬼丸は闘っていた。それは目前に立ちふさがる障害を突き破って一歩でも進もうとする人間の姿を映しているのにほかならないのではないか。障害になるようなものは全てかわして生きようとしていた私としては、百鬼丸に拍手を送らざるをえず、あるいはともに苦しむことによって少しでも自己弁護をしようとしなければならなかったわけで…。百鬼丸が万人から拍手を送られるヒーローならば、臍を曲げて顔を背けてしまうことも可能だったのでしょうが…彼はいつも不当な差別を受けて村を追われたのでした。どれだけ功を成し遂げても…。
ほんとうはもっと続きを書きたいところですし、原稿もあるのですが、非常にややこしくなりますので「どろろろん」は一応ちょん切らせていただきます。
しかし、この『どろろ』という物語はすばらしくもすさまじい話です。どろろと百鬼丸の人間的成長、親子兄弟の葛藤をテーマにした手塚治虫作品中屈指の傑作…。
8 スタア名鑑
(※ この章は手塚治虫作品のスタアたちをイラスト入りで解説したもの。著作権に抵触すると考えられるのでカット。本当は載せたいんです。どうやったら許可が得られるんでしょう?…手塚スタアについては以前に紹介した石上三登志による評論『手塚治虫の奇妙な世界』あるいは『手塚治虫の時代』を参照されたい。)
(※ 末尾にあった仮想会話だけは載せてもよさそうなので以下に掲げます。)
「オイ、おまえの描く百鬼丸はチットモ百鬼丸に似てねえぞ。」
「そりゃそうさ、長年付き合っているうちに、手塚百鬼丸とは全く別の西村百鬼丸ができてきたのさ。」
「なるほど…。じゃ聞くが、おまえはなぜ手塚マンガの女性スタアを描かないんだ?」
「それはだ、要するに描けへんのじゃ!デモこれだけは言えると思うんだ。手塚マンガの女性には二つのパターンしかないんだよ。つまり『シュマリ』の妙の系列と、『リボンの騎士』のサファイアや『三つ目がとおる』の和登さんのそれと…。というわけで、手塚マンガの女性は誰を描いてもほとんど同じになってしまう、と。」
「ヨウワカラヘンガ、マアいいや。いや、でもなんか、ヘンだぞ。手塚マンガにはもっと女が出てる気がする…。」
「それそれ、それなんだよ。俺も常々そのことを考えてきたんだが、最近漸くコタエを得たんだ。手塚マンガの主人公は、みんな女ではないか、と。」
「え?」
「つまり、アダルトものの主人公、あるいは中心人物はほとんど女であるわけだ。『ばるぼら』『奇子』『人間昆虫記』『地球を呑む』…その他の少年向けのものでも、主人公は一見ひ弱そうな中性的な顔や体つきなのが多いんだ。アトムがそうだし、百鬼丸がそうだし、ロックもケン一も、七郎も、大助も、猫も杓子もみ〜〜〜んな女性的な部分を持っている。それにあのアセチレン・ランプですら女で出てきたことがあるんだぜ。」
「なに?」
「『ザ・クレーター/鈴の音』を見てみろよ。」
「よ〜〜〜し、さっそく見てこようっと。」
「あ〜〜〜あ、ヨーヤク帰っていきやがった。参るよなぁああいう手合いは。それにしても、手塚治虫のマンガはわけわからんなぁ。」
次回に続く。