ヒラタVS.ノコ「川中島の戦い」(6000年前)

環境考古学事始(安田善憲著)より作成
植生 生息したと思われるクワ・カブ
亜寒帯針葉樹林
生息しない
冷温帯落葉広葉樹林(ブナ・ミズナラなど)と針葉樹林
オオ、ヒメオオ、ミヤマ、ノコ、アカアシ、スジ、コ、カブトなど
暖温帯落葉広葉樹
(クヌギ・コナラ・クリなど)
オオミヤマ、ノコ、ヒラタ、スジ、コ、カブトなど
常緑広葉樹林(照葉樹林)
(シイ、カシ、タブなど)
オオ、ヒラタ、ミヤマ、ノコ、スジ、コ、
カブト
など
 6000年前は、年間の平均気温が現在よりも約2℃高かった時代です。常緑広葉樹は東北地方北部の海岸沿いまで広がったと考えられます。ブナ林も北上してついに北海道まで達しました。
このころは、ちょうど縄文時代。人々は広葉樹の恵みのなかでクリやドングリを採取し、縄文土器で煮たり炊いたりして食べていました。人口も増えてきたので、クワガタやカブトムシの幼虫も重要なタンパク源になったかもしれませんね。ドングリを拾いながら石斧で材割している姿を想像すると楽しいですね。
▲白神山地(秋田・青森県)のブナ原生林は、このころ完成したといわれる。 樹齢200年以上の巨大なブナ。
武蔵野や北関東などの内陸部は、ベイ・エリアだった!
 では、この時代の関東地方をくわしく見てみます。気候が温暖なために海面が上昇して、左図の水色の部分まで東京湾が広がっていました。はじめ、ヒラタ・ネブトなど南方系のクワガタは、海岸沿いの低地をメインルートとして北上していったのではないでしょうか?(太い赤の矢印)
 現在群馬・栃木南部に生息するこれらの種は、この時代に繁栄し定着した子孫に違いありません。特にヒラタの場合は、海岸沿いから河川敷を上流に向かって遡っていったと考えられます。(赤い点線の矢印)
現在でも河川沿いではヒラタが優勢ですから、温暖な当時はヒラタにとってはさらに有利な環境だったことでしょう。そして、河川沿いから乾燥した台地に分布を広げようと一歩踏み出したとき、おそらくノコ(ミヤマ)との激しい勢力争いがあったことでしょう。これを「川中島の戦い」と勝手に命名してしまったわけですが…(笑)。
現在、武蔵野台地ではノコの数が圧倒的に優勢ですが、この時代はいったいどうだったのでしょうか? 現在の西日本のようにヒラタが多かったのでしょうか? 疑問はまだまだあります。この温暖な時代、関東に到達したヒラタはすでに小型化していたのか? もしそうだとすると「小型ヒラタVS.大歯型ノコ」でノコの勝利が濃厚となり、ヒラタの生息可能な気候(植生)がせっかく東北地方北部まで広がったのに、ノコなどにブロックされたおかげで満足に分布を拡大できなかったということにもなります。あるいは、再び気候が寒冷化する過程(6000年間)で小型化したのか? 「クワガタムシ飼育のスーパーテクニック」(小島啓史著)によると「ヒラタは羽化までに必要な積算温度を減らすことで、凍死する危険性の高い終令幼虫で越冬する危険を回避し、比較的短期間に北上をはたした」そうです。なるほど!と思い実験してみたのが本土ヒラタの積算温度レースですが、なにぶんサンプル数が少ないので、まだなんともいえない状況です(笑)。
では、いまから約2000年前の弥生時代はどうだったのでしょうか?
次回…「里山のはじまり〜常緑樹が切られ田畑に」につづく