10月14日(日)

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この日の朝食は大酒店グランドホテルの3階にある竹园竹園というレストランでした。でてきた朝食は中華で、献立は杭州友好饭店と大差ありません。日本でいうところのごはん+生卵+のりみたいに朝食の定番なんでしょうね。レストランのつくりはかなり日本を意識した感じで、夜には「卡羅OKカラオケ」の歌えるスナックみたいな営業をするようです。
★今朝は荷物の整理もしなくていいし、朝9時に空港へ行くだけなので★ゆっくりできました。でも上海にたった1泊なのはなんとももったいないです。そもそも私は滞在型の旅が好きなので、たった1泊でまた出発するのは苦手です。7日間ヨーロッパ9ヶ国めぐりなんてツアーはとてもじゃないけどついていけません。
チェックアウトをしてロビーで待っていたら予定どおりさんが来てくれて、ついでに飛行機に乗れなかったときのためにホテルも今夜の仮予約をしてから出発しました。

空港へ向かう道路の途中に上海动物园上海動物園があって、今日は日曜日なのでずいぶん大勢の人が門の前に並んでいました。市内からのバスはこの动物园までしか走っておらず、さらに数km離れた空港へはタクシーを利用するしかないとか。

9時30分頃上海虹桥国际机场上海虹橋国際空港に到着して、まずは税関。入国の時に提出した持込み品のコピーを提出してフリーパス。バッゲージチェックも誰も止められてはいませんでした。
チェックインカウンターまでさんがついてきてくれて、キャンセル待ちであることを説明してくれました。ツアー客がどんどん流れ作業で荷物を預けてデパーチャーロビーのほうへ向かうのを眺めながら、ずーっとその横で待っていました。11時出発予定ですから10時30分にチェックインを締め切って、その時に座席が余っていれば乗れるわけです(説明するまでもない)。だんだんツアー客が少なくなると、当然のことですがカウンターに置いてあるボーディングパスも少なくなります。そして気がつくとどうやら私たちの他に4人ほどのキャンセル待ち客がいるようです。10時25分頃にツアー客のチェックインが終わってみると、ボーディングパスもなくなってしまったようです。ダメかなぁと思っていたらカウンターの奥のほうにビジネスクラスの分が残っていました。その時点でもうチェックインを締め切り、私たちのほうにチケットを回してくれました。
さんの説明によると、エコノミークラスは見たとおり残っていないけど差額を払ってビジネスクラスにすればまだ座席があるそうです。すぐに横のカウンターで差額の112元×2人を払ってビジネスクラスのチケットにしてもらい、無事に予定どおりの便に乗ることができました。さらに日本で最初からビジネスクラスのチケットを買うより安くすみました(たぶん)。キャンセル待ちをしていたほかの人たちもビジネスに乗り換えたようです。
帰りの便は、中国国际航空公司中国国際航空CA921便。ボーイング747combi(らしい)です。ゆっくりはしていられません、もう時間は10時45分。急いでセキュリティチェックとイミグレーションを通らないと飛行機のドアが閉まってしまいます(ンなわけはない)。急いで向かおうとしたのですがキャンセル待ち客の中でも私たちがいちばん最後だったので、もう空港税(20元×2)を払う窓口が閉まっていて誰もいませんでした。さんがカウンターの人や横で掃除をしている人に聞いてくれて、もう担当者がいないから機内で払えばよいと教えてくれました。あとは急ぎ足で、ここでもさんに充分なお礼もいえないまま別れてしまいました。

団体客はもう通過しているのでセキュリティチェックもイミグレーションもスムーズに通ることができて10時50分過ぎにはもうデパーチャーロビーに入ることができました。ちょっと落ちついて、中国銀行のカウンターで元を円に再両替して(空港税用の40元だけ残して)からボーディングゲートのほうへ向かいました。ところがまだどういうわけか搭乗が始まっていません。うーん、やっぱり中国のペースなんだぁと感心してしまいました。こんなことならもっとゆっくりさんにお礼を言ってくればよかったのに。
あらためて★ボーディングパスを見ると、自動改札ではなくコンサートチケットのように半券をちぎる方式のものです。行き先や座席番号も手書きです。14Jと14Kの座席でどうやらまた右側のようです。

少しデパーチャーロビーをうろうろしていたら、出発予定時刻の11時を少し過ぎた頃にようやく搭乗が始まりました。ゲートを通ってボーディングブリッジを歩きながら外を見ると、まだ荷物を積み込んでいる最中でした。私たちの荷物を待ってそれからコンテナを運んできたのでしょうか。座席は14列目ですから747のちょうど喉元のあたりになります。ビジネスの座席はエコノミーより格段に幅もあって、2-4-2と並んだ右の窓側でした。席数は少ないけど、エコノミーと記号を揃えるために右の窓側がJとKになっているようです。
回りを見ると、私たちのすぐ前の席には杭州から同じ列車に乗ってきた岐阜の先生らしき人がいました。飛行機の中でもよく喋っています。やっと日本へ帰る目途がついてホッとしてこんどはどのくらい遅れるのか気になりだしました。出発予定時刻を30分過ぎてもドアが閉まる気配がありません。中国って飛行機までこんなもんかいな。エアチャイナの飛行機ではヘッドフォンからも私好みの音楽(とか芸能)は流れてきません。しかたないのでただひたすらボケーッとしていると、なんと食事がでてくるではありませんか。いくらなんでも食事をしながら離陸する習慣はないでしょうからヘンだなぁと思っていたら、しばらくして「この飛行機は機械の故障のため、出発が5時間ほど遅れますので、先に食事をしてから一度ロビーへ戻っていただきます。」とアナウンスがありました。最初中国語と英語で、それから日本語でアナウンスがありましたが、日本語アナウンスの時のほうが機内のどよめきが大きかったので乗客のほとんどは日本人のようです。
食事メニューは往路のJALとほぼ同じ・・・ただ、その味はかなり差がありました。ケーキ大好き人間の妻もケーキを半分残すほど私たちの口には合いませんでした。やっぱり上海のケータリングだからなのでしょうか。

食事が終わってしばらくすると「どうぞロビーへ戻ってください。貴重品はお持ちください。」というアナウンスがあって、みんなぞろぞろとデパーチャーロビーまで戻りました。機内で日本語のアナウンスがあったのはこの2回、そして大阪空港に着いて誘導路をタキシングしてるときに「まだ席を立たないでください。」の合計3回だけで、あとは全て中国語と英語でした(あたりまえか)。
機外へ出るときにトランジットカードをくれました。これが再搭乗のチケットになるようです。11時から5時間遅れるとなると16時出発、2時間かかって時差が1時間ある大阪には19時過ぎに着くわけで、これならなんとか今日じゅうに自宅に着くことができます。しかし・・・しかし相手は中国国际航空公司。5時間遅れですめばよいのですけど、それ以上遅れるとここで足留めかもしれません。なんのために差額の112元払って今日の便を確保したやら。上海で足留めならまだしも、大阪へ着いてそこから岐阜に帰れなかったら大阪に泊まらなければなりません(あとで気付いたのですが、大阪空港は夜間離着陸規制があるので、そんな深夜に到着することはないはず)。とにかくデパーチャーインフォメーションのモニター画面を見ても搭乗予定時刻が16:00と表示されているだけで、それ以上のことはわかりません。国際直通のできる電話ボックスの前には数十人の人が並んでいました。ニッポンのビジネスマンですね。私たちは仕事の心配はないのでデパーチャーロビーの免税店で買い物をすることにしました。

いくらせっかちな妻がせかしたとしても、ここからほかへ行けないので、私のペースでのんびり買い物ができます。円を元に再々両替してそこそこの買い物ができました。それでもそんなに広い免税店じゃないので1時間とはもちません。あとはロビーの椅子に座ってただひたすら時間をやり過ごします。ボーッとしてると近くに座っているおばあさんの会話が聞こえてきます。“もう何べんか中国へは来てんですけど、こいでまぁ中国旅行はヤンピですわ”。そいでも時間がまだ余ってるのでロビー内の喫茶店でコーラを飲んで、またさらにボケーッとしています。
やっと15時を過ぎてあと1時間だなぁと再び免税店を歩いていたら、近くを通りかかった空港職員(らしい人)が座ってるおじさんに向かって日本語で「よかったね、もう乗れますよ」と声をかけていきました。へ?と思って搭乗ゲートのほうへ歩いていくと、もうなんだか人が集まっていて、じきに再搭乗が始まりました。予定より40分も早いのでびっくりしました。

最初の時と同じくボーディングブリッジを歩いていくと途中からブリッジの外へでていく係員専用階段に列ができていました。ボーディングブリッジにはちゃんと飛行機がつながっていて、そっちにも人がいます。どっちかいなと迷って、ちょうどそこを通りかかったグランドスタッフらしい女性に大阪にいく飛行機に乗るにはどっちですかときいてみました。といっても妻は(すごい度胸なので)いきなり日本語で聞くし、私だとてせいぜい“うぃーうぉんととぅごーとぅおーさか、ふぃっちうぇい”ぐらい喋るだけです。相手もどうやって説明するか困惑したようですが(通じなかったのかも)、ま、そこの階段を降りてバスに乗れば大阪行きの機に乗ることができるらしいことは理解できました。
時間つぶしの間ロビーから見ていたら、バスで飛行機のところまで行くのは国内線の方法なのでけっこう不安でした。階段を降りてバスに乗ったところ、飛行機の前の席にいたよく喋る教師らしき人も一緒に乗っていたのでホッとしました。バスは杭州上海でよく見かけた(どこか日本の博覧会でもシャトルバスに使っていたけど)2両連結式のバスです。飛行場の中を1分足らず走って飛行機の下に着きました。
ここからタラップでジャンボジェットに乗り込むわけで、タラップから乗るなんてまるでVIPにでもなったような気分で少しうれしくなりました。ついでにタラップの最上段で振り向いて手を振ってやろうかと思い、妻に話したら“やってみればぁ”という冷たい返事だったので、おとなしくそのまま機内に入りました。でも最上段で少し振り返ってみました。VIPの気分というより思ったより高いのに驚きました。それにタラップってけっこう揺れるんですね。トラックの上に階段がついているんだから当然ですが。

座席について、前の席の教師らしき人が頭の上のラゲッジスペースに荷物を入れて閉じたらロックのかかりが悪くて開いてしまいました。今度はその先生が力を入れてバチンと閉めたところ、ラゲッジスペースが閉まったかわりに、すぐ奥にある読書灯のついているパネルがパコンと落ちてきました。先生は「おいおい、本当に故障直ったんか」といいながらパネルをはめなおしていました。点検用にちゃんと開くようになっている部分なのではずれても構わないけど、あまりのことに思わずウケてしまいました。
本当に全員乗ったのを確認したのかいなと思えるぐらいすぐにドアが閉まり、タキシングが始まりました。1機離陸するのを待って滑走路に入り、ローリングスタートで離陸しました。とうとう中国を離れてしまいます。15時30分から約2時間のフライトですが、食事がもうすんでいるのでまるまる2時間飛行機の中で退屈してました。
飛び立ったときはまだ太陽も高くいい天気だったのに(太陽と逆に飛んでいるせいもあるのか?)、どんどん外が暗くなります。海上に出たあたりからは天気も良くないみたいで、シートベルト着用のサインが何度も出ました。でも少しガタガタと揺れた程度でなんともありませんでした。日本上空はほとんど完全に雲でおおわれていました。

大阪に近づいてディセントを始める頃にはもうまっ暗です。雲を抜けて地上が見えたら、大阪(宝塚か伊丹?)の夜景がブワッと見えてきました。都会ですねぇ。妻を窓際に座らせておいたのでけっこう喜んでいたようです。2時間少々飛んで、1時間の時差を加えて、18時40分(以降は日本時間で書きます)に大阪国際空港に到着しました。大阪は雨でした。濡れた滑走路やタキシングウェイにいろんな色の表示灯が映って、タキシング中も景色が楽しめました。
私の記憶によれば最初に出発したときと同じボーディングブリッジに到着して、トコトコと歩いてイミグレーションに向かいました。でも往路の時より通路がずいぶん長いように感じました。
健康申告ゲート(体調に異常がなければ通過するだけ)からイミグレーションを通ってバッゲージクレイムのベルトコンベアの所に行きました。なんとなく空いている場所へいったら、壁の向う側から荷物がでてくるすぐ前の場所でした。反射神経との勝負になります。私たちの荷物は私のスーツケースと布バッグ(肩からかける大きなもの)、妻の布バッグ(同じくらい大きなもの)の3つで、たぶん積み込みが一番最後だったからでてくるのは最初だろうと単純に考えて身構えていたら、いくら待ってもでてきません。CA921便にはあまり若い乗客はいなくて大きな布バッグの荷物は少ないので大丈夫。スーツケースは似たようなのがいくつもでてきてそのたびにピクリとしていました。スーツケースにベルトを巻くのは保護だけじゃなく目印の役割のほうが大きいんですね。

相当待ったような気がしましたがそれでも20分くらいなものでしょうか、無事に私たちの荷物が出てきて税関に向かいました。ほとんどの人は関税なしの緑のゲートに向かう中で、私たちはなにしろ紹興酒を9本も買ってきていたので正直に赤いゲートに向かいました。とにかく帰りには私のスーツケースには紹興酒しか入ってなかったのですから・・・・
で、そのスーツケースを開いて書類と照合確認してもらいました。“他には何かありませんか”“はい、こいだけです”“じゃ、これをそこの窓口で払ってください”とプリントアウトされた書類を手渡されて、関税がいくらかなぁと思ったらなんと300円でした。これじゃ書類作成料にもならないよ。税関ってもうかってるのかな? ということで、布バッグ2つはまるでチェックなしでした。こんなことならなにか隠しておけばよかった(ってか)。本当に何も、煙草さえも買ってこなかったんですから。杭州で買った4個だけ。大阪空港に着いてからイミグレーション出るまえに免税分買っておくんだった(それはできないけど)。といってもマジメな公務員でもありませんね、往路じゃ使い捨てライターを隠し持ってたんですから。
税関を通過してドアを開けると、そこは出発するときに最初に迷い込んだアライバルロビーでした。なんだかとってもホッとしました。ホッとしたところで記憶力のいい方はすでにお気付きかもしれませんね、結局私の手元には上海空港の空港税2人分の40元が残ってしまいました。ま、こういうところも中国なんでしょうか。

建物を出てタクシーに乗ったのが19時30分頃だったと思います。よく喋る運転手にあたってしまい、新大阪駅までの15分から20分間ほどほとんど喋りっぱなしでした。なんだかかえって疲れて新大阪駅に着きました。
駅に着いてまず壁の時刻表を見てこだまを探したら、20時24分まで待たなければなりません。こりゃゆっくりできるかなと思ってさらに時刻表をたどってみると、20時08分の名古屋止まりひかり60号が岐阜羽島にも止まります。これだともう15分くらいしか余裕がありません。重い荷物を持ち直して切符を買い、エスカレーターで新幹線ホームまで上り、自由席の停車位置まで歩きました。しんどかったですがあと少しで家に着くかと思うとつい足が速くなってしまいます。ふと気がつくと妻を置いてきぼりにするところでした。でも改札口で思わず“謝謝”と言ってしまったのを妻に聞かれていたので置いてきぼりにしたほうがよかったのかも。
普通のひかり(京都から名古屋まで止まらない)を2~3列車やりすごして(この時はまだのぞみがなかった)待っていましたが、島式ホームの両側の25番線と26番線を交互に使ってものすごい密度で正確に列車が走っていきます。4時間遅れの飛行機から降り立ったところなので、日本のJRの時間管理技術に改めて感動してしまいました。ここでやっと時間にゆとりができたので、それぞれ家に連絡の電話をかけることにしました。予定どおりならもう家に着いている時間だったので、まだ新大阪駅だといったら少し驚いていました。
妻が電話をしたら、また妻のご両親が岐阜羽島駅に迎えに来るといいだして困ってしまいました。今日はご両親に迎えに来てもらったとしても私の家へ来なければなりません。それは大変だからと一旦は断わったのですが、どうしても来るというのでお願いしました。一刻も早く娘の無事な顔を見たいんですよね、やっぱり。それに新大阪駅から岐阜羽島駅までほぼ1時間、妻の実家から岐阜羽島駅までもこの時間帯なら1時間程度なのでちょうどいいでしょう。

正確に20時06分にひかり60号が入ってきて乗り込みました。往路のひかり61号よりすいていて私たちも無事に座ることができました。またもや正確に(もうええって)20時08分に出発しました。疲れているので座ると眠いはずなのですが、まだ興奮しているのか眠ることはできませんでした。

岐阜羽島駅に着いて自由席の車両から改札まで延々と歩きます。改札をでてご両親が来てないかと見回しましたが、まだ来てませんでした。そのかわり杭州からずっと同じ交通機関だった喋りっぱなしの教師らしき人が、同じように岐阜羽島駅で降りていました。本当に杭州からずっと同じだったんですね。駅の外にでてじっと待っていましたが、ちっとも迎えが来ません。駐車場も探しにいったりもう1度改札口まで探しにいったりしましたが、やっぱりまだ来ていないようです。21時30分になったのでもう待ちきれずにタクシーで帰ることにして、伝言板に書いておこうと立ち上がったところへご両親が到着しました。2人で予想していたとおり、途中で道を間違えたのだそうです。そこからは私の道案内で美濃へ向かいました。案内といっても駅前からまっすぐ走って県庁横の薮田交差点で右折すればまたまっすぐ走って岐阜各務原ICに行けます。
22時少し過ぎに私の家に着きました。そしてご両親はすぐに帰っていきました。娘の顔を見たとはいうものの、やっぱり寂しいことでしょうね。

なんといっても最後の1日がいっぱいいろんなことがありましたが、無事に帰ってくることができました。たった1週間でしたが、2人とも初めての海外旅行でいろんな経験ができました。私なぞは国内さえも四国や九州と日光より北は行ったことがないのですけどね。

中国国際航空
 偶然とはいえ初めての海外旅行でJALやANAではない会社の飛行機に乗ることができました。いや、そのおかげで4時間のデパーチャーディレイになってしまったのですけど。チェックイン時に追加支払いをしてアップグレードしたビジネスクラスも特別なミールサービスがあるわけでもなく、やや座席が広いかな、といった程度の違いでした。搭乗後にオリジナルデザインのクラッチバッグとボストンバッグが配られました。ただし、中国で開かれた「第11回アジア競技大会記念」のバッグだったので、ディレイのお詫びなのかビジネスクラスのアメニティがわりなのか、搭乗者全員への記念品なのかわからずじまいです。
 あと、紛らわしいのが中国大陸にあるナショナルフラッグキャリアの「中国国際航空股份有限公司=エアチャイナ」と台湾にあるフラッグキャリアの「中華航空公司=チャイナエアー」。私たちが乗ったのは前者のエアチャイナで、名古屋空港で大事故を起こしたのは後者のチャイナエアーです。

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