10月8日(月)

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岐阜市で結婚披露宴のあと、そのまま披露宴会場のホテルに泊まり(と書くとエラそうに聞こえるけど、ホテル宿泊は披露宴の無料オプション)、翌朝5時35分に電話で起こされました。モーニングコールは5時45分のはずなのにとちょっとムッとして電話に出たら、妻の家族が迎えに来てくれて、岐阜羽島駅まで送っていってくれるというのです。タクシー代が助かって機嫌も直りました。で、急いで身支度をしてからカローラに乗せてもらって6時15分にホテルを出発、岐阜羽島駅に6時55分到着、7時06分発のひかり61号に乗れば50分少々で新大阪駅です。
名古屋始発のひかりだから余裕だなんて考えていたらとんでもないことで、月曜日のビジネスひかりの自由席はぎっしり埋まっていて、通路にも人が並んでいるのです。伊丹を10時50分発の飛行機に乗るには、2時間前の8時50分には空港に着いていなければならないので、次のこだま号を待つわけにもいかず、荷物も大きいので仕方なくそのまま新大阪駅までデッキで立ったままでした。妻も眠いはずなのですが、一応緊張しているのか、ずっと文句も言わず立ったままでした。

7時58分新大阪駅に着き、そこからタクシーに乗って8時35分頃大阪国際空港に到着しました。ところが大阪国際空港どころか初めての海外旅行、初めての飛行機旅行で何をすればよいのかもわからない状態で、ここで途方に暮れると成田離婚(伊丹だけど)だよなぁとか考えながら妻を待たせておいて案内板を見に行ってみたら、どうやら最初に機内預け荷物のバッゲージチェックを受けないと中に入れないらしいことがわかりました。
さっそくスーツケースをベルトコンベアに乗せてチェックを受けたところ、私の持っていった使い捨てライターがひっかかりました。お世話になる人への簡単なお礼用に20個を2人の荷物のいろんな場所に分散して入れていたうち、7個入れておいた私のスーツケースから4個見つかってしまったのです。係員に“手荷物として2個まで持てますが、残りの2個は持って行けません”と没収され、罫紙に住所・氏名を書かされてしまいました。手荷物として2個といわれても、実は手荷物のバッグの中にはすでに3個入っているのです。セキュリティチェックでまたひっかかるのでは、と不安がわいてきました。妻は“大丈夫。私のは見つからなんだもん”と悠然としています。そうです、私の荷物をチェックしてる間に10個入っている妻の荷物はフリーパスしてしまったのです。
同じことを考える人は他にもいるようで、罫紙にはすでに何人もの住所・氏名が記入されていました。ほとんどが使い捨てライター。中国へのカンタンなお礼には使い捨てライターが流行しているようです。私もそういったアドバイスを受けて、さらに分散して荷物に入れるという知恵まで貸してもらってたので、結果、2人で20個持っていったうちの2個没収されただけ。
さらには、ハワイ旅行のときにも大阪国際空港を使ったのですが、やはりバッゲージチェックの係員の横には大勢の名前が書かれた罫紙がありました。中国行く人がこんなに使い捨てライターを持っていってるんじゃ、係員のチェックも慣れたものになるわけです。そうしてみると通過率18/20というのは大成功だったのかも。しかし、これは禁止されている危険物の持ち込みですから、成功なんて書いている場合ではないのです。ライターをたくさん持って行きたい場合には、船便でどうぞ(いいのかどうか、詳しくは知らないけど)。
次にチェックイン。パッケージツアーじゃないのですでにエアチケットは受け取っていて、JALのカウンターでチェックイン手続きをするだけです。とりあえずこのへんのことは初めてでも大丈夫、順調に自分たちだけですませました。

出発までの2時間(正確には搭乗までの1時間半)、ロビー(というか、国際線ロビーと国内線ロビーの間の通路)にある喫茶店で遅目の朝食を食べてもまだ10時少し前、ヒマだなぁ~とウロウロしていたら妻に“もっと落ち着いて”と怒られました。うぅ・・・・orz
ふとデパーチャーインフォメーションを見たら搭乗予定の便はすでに「搭乗中」、少しあわててデパーチャーロビーに向かいました。心配していたセキュリティチェックでは使い捨てライターのチェックもなく、ボディチェックのチャイムも鳴らず大安心。イミグレーションを通ってパスポートに押された「出国」のスタンプと免税店を見たら、日本を離れることを実感しました。
免税店で煙草を買い、ボーディングパスを見ながら7番ゲートのほうへ行ってみたらまだ「しばらくお待ちください」の表示。そう慌ててデパーチャーロビーに来ることもなかったんだけど、ここなら座って待ってられるしヘンな雑踏もないので割と快適でした。こんなことならもっと早く来るんだったよ。以後は飛行機の旅のときには、可能な限りデパーチャーロビー(制限区域内)へ急ぐことにしています。デパーチャーロビーの窓から外の景色を見ていると何といっても心配なのは台風21号。雨も結構降ってましたし飛べるのかなと不安でしたが、予定どおりの10時20分に搭乗が始まりました。

往路は大阪発10時50分のJL793便、機材はボーイング747、私たちは当然エコノミークラスでしたので、★40Jと40Kの座席でちょうど主翼の後縁の真上、3-4-3に並んだ座席のいちばん右端の窓側の席とその隣でした。3-4-3で座席番号がJとKってのはどういうわけかと思ったら、Iがないからなんですね。初めて知りました。
離陸前に機長から“台風21号の影響で離陸後20分ほどはやや揺れます”とアナウンスがあり、ほぼ予定通りの時刻にボーディングブリッジを離れました。離陸後30分ほどはシートベルト着用のサインが消えず確かに揺れもあったものの、物が飛ぶようなことはなくごく平穏なクライムでした。
揺れがおさまり、雲がきれると下には(たぶん)中国山脈(日本の)が見えました。あとは機内で昼食をとってヘッドフォンでかの「日航寄席」を聞いていたらすぐに上海です。上海は上天気で、中国の家並みがよく見えます。それにしても「日航寄席」に牧野周一が出ていてびっくりしました。いつのテープだろう。

2時間少々のフライトで12時10分(日本時間13時10分、以後は現地時間で書きます)頃上海虹桥国际机场上海虹橋国際空港に着きました。着陸動作の間中、主翼を見ていましたが、私がシミュレーションゲームで操作してるのとほぼ同じ操作だったと思います。でも操縦免許はもらえない。虹桥机场の滑走路のほうが大阪国際空港の滑走路より舗装がよくないみたいで、着地してからタキシングの間も揺れが大きいです。ちゃんとボーディングブリッジがあって、そのままイミグレーションロビーに入りました。
健康申告カードを書いて提出。妻がこのカードの記入にモタモタしてたら、近くにいた女性に“鉛筆を貸してもらえません?”とせかされました。当然まだ書いてる途中なんで無視してたら、こんどは中国語(だと思う)で何か言われました。きっと日本語が通じないと思って同じことを中国語で言ったんだと思います。中国へ来て初めて本物の中国語に出会ったわけで、横にいてちょっと感動しました。健康申告カードは異常のないことを書くだけで、受け取るほうもゴミを集めてるみたいな雑な集め方。まったくのフリーパスでした。
それからイミグレーションを通るために並びました。英語で質問されたらどうしよう、まさか中国語で質問されたら・・・と少し怖かったですが、前のほうの人を見てたらそもそも質疑がないようで安心しました。落ち着いて考えたら、日本からの到着便で日本のパスポートを出した人にそんな無茶はしないでしょう。そんなわけで黙ったままビザを確認して入国のハンコを押してくれるだけですが、なにしろ満席ジャンボ機1機分の乗客を3つのイミグレーションゲートで扱うのですから時間もかかります。おまけに私たちは健康申告カードを書くのに手間取ったために列の後ろのほうになってしまい、ここでたっぷり待たされました。
イミグレーションを出たところに今回の旅行の案内をしてくれる杭州市人民政府外事办公室友好城市处杭州市役所外務部友好都市課吴正山呉正山さんが待っていてくれました。公務員だから税関の中まで入ってこれるのでしょうか、普通の(観光会社などの)出迎えの人はみんな税関から出たところのアライバルロビーで名前を書いた紙を掲げて待っていました。機内預け荷物のピックアップをしてからさんに入国税関の手続きをしてもらって(といってもフリーパス)税関を通り、外へ出たところで上海市の案内をしてくれる上海国际友好旅行社上海国際友好旅行社孙碧野孫碧野さんを紹介されました。

4人でタクシーに乗って、上海市街地に走る途中でレストランに寄って昼食(といっても私たちは機内で済ませているので飲み物だけ)をとりました。私は飲み物と言ってもいきなりアルコールで、「上海ビール」を飲んでみました。苦みが少なくて独特の味があります。「コクがある」というのでしょうか、味があるといったほうがいいのかな。
空港から市街地に向かう間は虹桥开発区虹橋開発特区に指定されていて、道路も整備されているし建物もハイテク化されているらしいです。市街地に入り、まずは上海展览中心上海エキジビジョンセンター★旧中ソ友好記念会館)に登って上海の景色を見た後、タクシーに戻りました。展览中心でなにかイベントが開かれているようなので入場できないかさんが聞いてくれましたが、入ることはできませんでした。それから上海のデートポイント、外灘(バンド)を歩いたりしました。あとは特に何という所へ寄ったわけでなく、タクシーであちこち走りながら窓からいろいろ眺めただけ、列車の発車時間までの時間つぶしのようでした。
16時過ぎに上海新站新上海駅に着いて列車の時間を待ちます。新駅というぐらいで新しく、外国人専用待合室は綺麗で、トイレもちゃんとありました。出発列車案内も電光掲示板できちんと表示されます。跨線橋に出るためにエスカレーターもあり、噂に聞いていた中国とは少し違っていました。

16時50分、さんと別れてさんとの3人で游11次杭州行特快火车杭州行観光特急列車11号に乗り17時18分に発車。杭州まで160~70kmの距離をたっぷり4時間かけて走り(でも特急列車)、21時20分頃に着く予定だそうです。
乗った車両は软座軟座という日本でのグリーン席に相当するもので、椅子はふわふわの腰のないクッション、綺麗なワインレッドの布製シートカバーにレース編みの頭部カバーがかけてあります。中国の線路は標準軌でしたね、そこにやや狭めの通路をはさんで2人並びの座席があるんですからゆったりさ加減はちょうど新幹線のグリーン席なんだけど、4人ずつのボックスシートでリクライニングもできません。とりあえずまだ緊張は続いていて眠ることもできず、4時間直立して座っているのもなかなかつらいものがあります。
発車して間もなく空が暗くなり、線路沿いでは灯りもなく、外の景色も楽しめません。まだ中国に馴染んでないので、席を立ちもしないでじっと4時間を耐えました。妻が“お菓子持ってくればよかった”と言いましたがまったくそのとおりで、お菓子でもゲームでも本でもとにかくヒマのつぶせるものがほしかったです。通路をはさんだボックスのグループはトランプに熱中していました。最初のゲームは日本の花札に似たルールのようでした。そのうちにトランプ占いをしたりしていて、これは日本と同じようなピラミッド型にカードを並べるやつでした。

そんなヒューマンウォッチングをしているうちにやっとのことで杭州站杭州駅に到着して、杭州市人民政府外事办公室友好城市处李焔处长李焔課長が出迎えてくれました。時間が時間だけにさんとはあいさつをしただけでそのまま杭州で滞在するホテル、杭州友好饭店杭州友好ホテルに入り、チェックインをしてから中のレストランで一緒に夕食を食べてさんは帰っていかれました。
これから5泊お世話になるのはこのホテルの1302(13階の2)号室、窓からななめに西湖が見えるスイートルームです。部屋の★ドアという★ドアはもちろん、★ドレッサー★椅子★ベッドの枕元などに10個ほど赤いビニールで双喜のマークがデコレーションしてくれてありました。双喜は写真でわかるようにおめでたいしるし、特に結婚を祝うシンボルらしい。でも日本人の私にとっては、こう部屋中に貼ってあるとまるでラーメンどんぶりの中にいるみたい。あとから聞いた話では、人民政府招待の新婚旅行ということで、副总经理副支配人吴啓元呉啓元さんが手配してくれたのだそうです。だからラーメンどんぶりなんて失礼なことを思っちゃいけないんです。
朝は早かったしずっと緊張してたので疲れ果てて、荷物の整理もしないで寝てしまいました。

食事について
 中国での飲食はまだ2回だけ、それも昼食はビールだけなのでまだ杭州の料理についての判断は下せませんけど、充分においしく食べられました。杭州友好ホテルは日系合弁のホテルで、岐阜グランドホテルと提携して従業員教育に岐阜へも大勢派遣しているような日本的ホテルなので、料理も日本人の口に合うのかもしれません。でも滞在中のほとんどの食事をここでするはずなのでまずは一安心です。
 でも一品がグラタン皿くらいあるお皿にドカッと盛ってあって、3人でそれを5品から6品注文するんです。スープは日本の中華料理店で使うラーメンどんぶりくらいのどんぶりででてきます。この量にはまいりました。けっこう無理をして食べたのですが、毎回どのお皿も3割くらいは残ってしまいました。もったいないことですね。
 お箸は日本のものよりかなり長くて、25cmくらいあります。菜箸くらいの感じ。手で持つところは四角くて先端は丸く、太いままストンと切り落とした形になっています。
 杭州友好ホテルでのビールは地元の鉱泉水で作っている「西湖ビール」で、これも「コクのある」味です。モルツのような感じかな。やっぱり苦みは少し弱いようです。ミネラルの多い水(硬水とかいったな)をお風呂や洗濯に使うと泡の出が悪いそうですが、西湖ビールはちゃんと泡が出ます(洗剤とビールは泡の発生原理が違うから当然か)。なお、「ビール」は「啤酒」と書きます。「ピーチュゥ」と発音するようです。

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