趣味人の放言その1


ようやく…(2001年12月25日)
 12月23日、劇場で『指輪』予告編を見る機会を得た。既にインターネットで確認済みではあったが、やはり大画面と音響の迫力は格別。ちゃっかり前売り券を4枚購入してきてしまったものの、来年3月まで「おあずけ」状態にされるなんて、あまりといえばあんまりである。ただ、日本での公開予定が少しは早まる可能性が残されているようなので――なにしろ、ここに至って公開日がまだ確定していないようなのだ――、そこに一縷の望みを賭けたい気分ではある。
 さて、北米での興行成績のほうは、当然の第1位獲得。1週目としては図抜けた成績ではないようだが、真価を問われるのはこれからであろう。年明けの段階でどの程度まで成績を伸ばしているか、要注目。このあたりがそのまま日本での興行に多大な影響を及ぼすのは間違いないところだろうから。
 あらかじめ覚悟していたこととはいえ、ファン心理は微妙なものがある。受けないのも困るが、受け過ぎてしまうのも嫌なのだ。現在進行形の『ハリー・ポッター』馬鹿騒ぎがあるだけに余計にそんな心配をしてしまう…。
 そうそう、この日鑑賞した『ハリー・ポッターと賢者の石』。安全策を取った内容でいまひとつピンとこなかったのだが、うらやましく思ったことがあった。それは日本語字幕。翻訳者の松岡佑子氏が監修したとのことで、全く違和感なし。それに比べて『指輪』予告編は…(~_~;)。

奇蹟(2001年12月20日 /12月25日追記)
 12月19日は欧米での公開初日。どんな反響があるのか、非常に気にしていたが、海外サイトでの評価は極めて高いようである。12月20日午後11時現在、IMDbでは約3000人の平均が9.7点(10点満点)を記録。更には歴代6位にランクインしている。Yahoo!USAでは約500人の評価平均が4.6(5点満点)という状況である。まずはほっと胸をなでおろす。
 批判的な意見を述べている人の多くは「残酷描写」を問題としているようだ。年齢制限が甘過ぎるため、とても子供には見せられないといったところだろうか。私としては、こういう批判があることは、かえってうれしく感じてしまう。「ファンタジー=お子様向け」という、誤った既成概念に風穴を開けてくれるかもしれないから。

 他にもいろいろ書きたいことがあるのだが、とりあえずこれだけは記しておきたい。
 Amazon.com.jpにおいて、文庫版『指輪』がランキング第1位を獲得しているのだ。限られたユーザーの範囲でのこととはいえ、これは間違いなくひとつの奇蹟である。こんな日が来ようなどとは夢想だにしなかった。この事実を目にした瞬間、不覚にも涙が出てしまった…。

追記
 上の文章を書いた翌日、早くもIMDbのユーザーランクで堂々の歴代1位を獲得。Yahoo!のユーザー・レビューも高い評価を維持している。
 さて、日本国内ではどうかというと、文庫版の『指輪物語』が、品切れ状態に陥ってしまっている模様。評論社の読みの甘さに苦笑い。恰好のビジネス・チャンスをみすみす逃してしまったのではないだろうか?(日本公開時に今一度チャンスが訪れるだろうが…。)

期待しないでおこう(2001年12月15日)
 ヘラルドのHPで「字幕つきの予告」が見られるようになっている。おそらく劇場で流されているものと同じなのだろう。
 飽くまでも予告なので本編では改められる可能性もある(と信じたい)が、原作の日本語訳になじんだ者としては、まあ、なんというか…言葉を濁すしかない。
 そもそも「小さなものたち族」ってなんだ?
 紹介文やチラシと同じく登場する「宇宙」という言葉も心臓に悪い。フロドたちがロケットに乗って宇宙に脱出してしまいそうな気がしてならないからだ。
 フロドが「僕」と言うのは諦めるとしても、サムがフロドにタメぐちをきいたりしたら嫌だ。とはいえ、これは字幕の問題ではなくて、映画そのものの問題である可能性が高い。
 やはり過度の期待はかけないでおこう。そうするに越したことはない…。

 「2ちゃんねる」の掲示板は相変わらずおもしろい。最近の収穫はこういう予告編?の存在を教えてもらえたことだ。ファン必見であると断言する。(ファイルサイズが22Mb以上あるのでブロードバンド環境でない方にはつらいかもしれないが…)

赤い矢(2001年12月10日)
 昨日、非常に重大なメールを頂戴した。差出人は映画「ロード・オブ・ザ・リング」日本語吹き替え版の制作に関わっておられるpipin(エオウィン)さん。吹き替え版における固有名詞の翻訳に関する意見を聞きたい、との内容を主としたものであった。(内容転載の許可を得ていないため今はこの程度しか書けないが、月の塔の掲示板に同氏の書き込みがあるので、ぜひともそちらを参照されたし。)
 いずれにせよ、急を要する事態であることは間違いない。心ある『指輪』ファンの方々に呼びかけたい。ぜひとも上の掲示板に意見の書き込みを!!
 (上のメールに遅れること数時間、デネソール二世侯からも赤い矢が届けられた。まさに「
お急ぎください!なぜなれば、われらの時代の運命が決せられますのは、ミナス・ティリスの城壁の前だからでございます。」といった心境である。)

なんだか(2001年12月7日)
 いつの間にか、こんなサイトができていた。
 いや、おもしろい。日本語狂ってるところもあるけれど。

 ところで、『ハリー・ポッター』映画に関するYahoo!レビューページが凄いことになっている。あまりのバカバカしさに開いた口が塞がらない。『指輪』映画もこんなことになるんだろうか…。あと2週間もしたら嫌というほど賛否両論の批評を目にすることになるだろう。しかし、飽くまでも評価は自分の目で見て、自分で下すしかない。そんな当たり前のことを、今、肝に銘じているところである。

さまざまな話題(2001年11月25日)
 映画公開まで1か月を切り、日本でもさすがに『指輪』に関する話題がいろいろ見つけやすくなった。
 まず、11月21日付けのこのニュース。タイトルには思わず苦笑。内容は『指輪』ファンにとってはうれしくなるようなものも含まれていた。(相も変わらず「RPGゲームの原点」といった紹介の仕方には辟易させられたけれど…)
 また、ぼつぼつ『指輪物語』を平積みする書店が出てきた。今日行った大手の書店では「ハリー・ポッター」関連図書の横に、『指輪物語』がずらりと並べられていた。普及版のほうは表紙が全てアラン・リーのイラストに置き換えられていたため、まさかと思って内容を確認してみた。本文の挿絵は寺島龍一氏のものがそのまま使われていて、ひとまず はほっとした。
 映画のサウンドトラックも輸入版が簡単に手に入る状況だし、来年の2月には、かのラルフ・バクシ版『指輪』のDVDも国内発売されるようだ。
 いよいよカウントダウンである…。

高嶺の花(2001年11月17日)
 11月16日、英国の競売会社「クリスティーズ」で開催されたオークションで、『指輪』初版本及び校正刷り、トールキン書簡14通などが、合計5万7000ポンドで落札されたとのことだ。
 映画公開が近づくにつれて世界的に関心が高まっているようなので、これぐらいのことは当然といえば当然なのだろう。しかし、約1000万か…。すごい値段だなぁ、これは。
 1992年に初めてトールキンの墓参りに行った際、トールキンの直筆手紙がとある本屋の店頭で350ポンドという値をつけて売られていたことを、ついつい思い出してしまった。今にして思えば、あのとき奮発して買っときゃよかった!のかもしれない。持っていれば、きっとそれよりは高い値がついたに違いないから。
 しかし、後悔先に立たずというか、今年の夏に出かけたときには、くだんの本屋はすっかり様変わりしていて、トールキン色は全くなくなっていた。まあ、そんなもんだ。高嶺の花は、手が届かないからこそ強くあこがれられるわけだしね。
 それはともかく、映画公開まであと1か月。海外からどんな反響が聞こえてくるのか、楽しみでもあり、恐ろしくもある、といった心境である。多くのファンが同じような気持ちなのではないだろうか?

映画の公式サイトで(2001年11月3日/11月9日追記)
 エンヤの主題歌が、一部ではあるが聴けるようになっている。その他にもいろいろと更新が行われているので、ファンとしては要チェックである。とはいえ、これは飽くまでもご本家(英語版)での話だ。日本語版公式サイトは「お前ら、やる気あんのか?」というほど低調。公開がまだ先だということで高をくくっているのか、それとも本当にやる気がないのか、どちらなのだろう?私には後者のように思えてならない。というよりも、「全米ナンバーワン」という金看板を掲げられる日が来るまで寝たふりを決め込んでいるに違いない。まあ、興行である以上、回収の見込みのないプロモーションをやるだけ無駄だと考えるのも無理はないだろうが…。
 にしても、もうちょっと本腰を入れてほしいぞ、全く。

追記
 11月9日、上の本家サイトからサウンドトラックのHPへ入ってフルコーラスを聴くことが可能になった。

さまざまな情報(2001年10月28日)
 「2ちゃんねる」という掲示板サイトをご存知であると思う。内容の過激さ・攻撃性など、いろいろと物議を醸していることも周知の事実だろう。
 その「2ちゃんねる」にも『指輪物語』関連の掲示板があって、私もときどき覗いてみているのだが、意外に思われるほどに「まとも」な書き込みが多い。発言者が『指輪』をしっかりと読んでいる人たちばかりのようなので、当然なのではあろうが。
 さて、昨日は『指輪物語』スレッドのほうで新しい情報(やネタ)を得ることができた。
 ひとつは「ひらかたパーク」というところのキャラクターに関する話題。これはもう見ていただくのがいちばんだと思う。こちらへどうぞ。
 続いては、『指輪』映画への不安の余りに出てきたと思われる、パロディ版『のび太の指輪物語』予想(~_~;)…これがなかなか面白くて、大笑いさせてもらった。
 そして、いちばんの衝撃だったのが…。
 寺島龍一画伯死去のニュースである。
 つい最近知ったことなのだが、評論社から出版された邦訳は「世界で最初の挿し絵入り『指輪物語』」だったのだそうだ。私は旧版の挿し絵が非常に好きだった。もちろん、新訳愛蔵版のアラン・リーのイラストは大変魅力的である。それでも、旧訳の「線を生かした絵」の味わいも捨てがたい魅力を持っているように思うのだ。
 いずれにせよ、映画公開の年に寺島氏が逝去されたことに、なにか因縁のようなものを感じてしまう。ご冥福をお祈りしたい。

 もうひとつ、――これは「2ちゃんねる」から得た情報ではないが――映画のサントラが11月に発売されるようだ。噂どおりエンヤによる主題歌も収められているらしい。本当に、「いよいよ」なのである。

中つ国へ(2001年10月15日)
 2001年10月15日、壮大なプロジェクトが正式にスタートした。その名も

中つ国移住計画

 デネソール2世侯が発起人となり、ミナス・ティリスを発信地として精力的に活動なさっている。私も賛同者のひとりとして参加させていただいている。遊び心にあふれたこうした取り組みが『指輪物語』ファンの交流の場となり、さらにはファンの裾野を広げるきっかけとなることを期待したいと思う。
 詳細についてはぜひとも上記URLでご確認いただきたい。

トールキンの伝記(2001年9月30日/10月11日追記)
  井辻朱美訳による「トールキン伝記」の出版が計画されているようだ。出版社は、かの原書房とのこと。予定では9月中に刊行されているはずなのだが、私の掴んだ限りではまだ店頭に並んだとの情報はない。今日現在、原書房のHPにも新刊紹介としては載せられていないところをみると、延期されてしまったものか?
 確かに、まだまだ日本での『指輪』映画の話題の盛り上がりも今ひとつの状態。時期尚早との判断が働いたとしてもやむなし、といったところではある。
 いずれにせよ、今後の動きに注目したい。以下に今回の情報のソースと原書房のHPへのリンクを張っておきたい。
井辻朱美 雑誌記事リスト(SFオンライン書評)
2001年7月23日付け『レイチェルと滅びの呪文』の項
原書房

追記
 
トールキン関連サイトのオーナー様からの情報で、10月10日現在、この本は既に店頭に並んでいることが確認できた。題名は『トールキン『指輪物語』を創った男』とのことである。
 それにしても、肝心の原書房の公式サイトではまだ刊行されたとの情報が載せられていないのだが…。

エンヤが…(2001年9月2日)
 「エンヤがファンタジー映画の主題歌」
 8月28日付けの日刊スポーツ紙に上のような記事が載った。
 その映画というのが
ロード・オブ・ザ・リング(まだ抵抗があるなぁ、この題名…)であるのはいうまでもない。
 
エンヤが『指輪物語』のファンであるというのはよく知られている。「ロスロリエン」と題するインストゥルメンタル曲が彼女のアルバムに収録されているほどなのだから。
 新聞記事によると、映画化の話を聞きつけたエンヤ自身が、デモテープをプロデューサーのピーター・ジャクソンに送ったのが採用のきっかけだったとか。
 私も、映画化の話を知った直後に「ロスロリアンの場面でエンヤの曲が使われたらいいよなぁ。」なんてことを考えたりした人間のひとりだったが、今回の知らせはそれ以上の驚きであり喜びである。
 極端な寡作家として知られるエンヤが、映画のためにどんな曲を紡ぎ出してくれるのか(既に完成している可能性も高いが)、年末にかけての楽しみがまたひとつ増えたといえそうだ。
 でも、まさかガセネタなんてことはないんでしょうね…。

いよいよ…(2001年5月16日)
 昨日。いくつかの朝の情報番組でカンヌ映画祭が話題として取り上げられていたらしい。その中で、ほんのちょっとではあるけれど、『ロード・オブ・ザ・リング』ネタも見ることができたのだそうだ。そんなこととは露知らずに職場へ出かけたら、芸能ネタが好きな若人が珍しく私に近寄ってきて、
「ねえねえ、『指輪物語』って有名だったんだね!」

などとのたまってくれた。どうやら件のテレビを見て、『ロード・オブ・ザ・リング』に興味を抱いたらしい。思わず薀蓄を傾けたくなったが、その衝動を必死で抑え、必要最小限のことを述べるにとどめておいた。(私には珍しいことだ。たった1分で『指輪物語』について語り終えたなんて…)
 去年の今ごろ同じカンヌ映画祭ネタで叶姉妹ばかりが取り上げられていたことなどを思い出してしまって、ちょっとばかり胸が悪くはなったが…(~_~;)。
 オフィシャル・サイトのほうでもカンヌ映画祭をきっかけにして大きな動きが始まっている。
 いよいよなのだな、と感じる。
 公然と、心ゆくまで『指輪』を語れる日も近いのかもしれない。
 うーん、暴走しそうで怖いぞ、自分が(~_~;)

時代劇ぃ?(2001年3月24日)
 これから書くネタは、既にとある「指輪の仲間」の方の掲示板で話題にした事柄である。そちらではかなりウケていただいたのだが、この際、ここにも書いておかないでは気がすまなくなった。
 それほど値打ちがあることかって?いや、とんでもないんですな、これが…。

 今月発売の映画雑誌「ロードショー」に、2001年公開の話題作のひとつとして『ロード・オブ・ザ・リング』が紹介されていた。とはいえ、たった1ページ、それもスチール写真が数枚といった内容。なぜかリヴ・タイラー演ずるアルウェンばかりが目立っていた。
 問題だったのは、ほんの少し載せられていた紹介文のほうだ。なにしろ、原作である『指輪物語』のことをファンタジー時代劇などと定義づけていたのだから。
 いやはや、この感性には脱帽。少なくとも原作を全く知らない人間が書いたコメントであるのは疑いようがない。
 それにしても、「時代劇」というのはどこから出てきた発想なんだろう?確かに、載せられていた写真の多くに剣を構えた登場人物たちが写っていたのは間違いないが。私など、「時代劇」と聞くと、即座に「水戸黄門」とか「暴れん坊将軍」を連想してしまう人間なので、この紹介文を読んで初めて『指輪物語』を知った人たちが大きな勘違いをしてしまわないかと心配で仕方がないのだ。
 ガンダルフが水戸のご老公。
 アラゴルンは庶民に身をやつした徳川吉宗。
 フロドは一心太助…。
 あなおそろしや!!

もうひとつの危惧(2001年3月8日)
 映画「指輪物語」関連の情報をインターネット以外のメディアからも入手できるようになってきた。1月ほど前には『NEWS WEEK JAPAN』でも取り上げられていたし、一般の映画雑誌でも簡単な紹介が載せられていたとの情報もある。
 さて、映画がアメリカで公開されれば間違いなく大きな話題を呼ぶであろうし、そうなれば、日本にもなんらかの波が押し寄せてくる可能性が高い。
 映画の出来が悪いというのが何より恐ろしい――原作を読んだことのない人が映画を見ただけで「『指輪物語』なんてつまらない」と思ってしまう危険性がある――が、私にはもうひとつの危惧がある。映画の影響によって原作を読む人が増えた場合、以下のようなことを声高に叫ぶ人が現れるに違いないと思うからだ。
『指輪物語』は人種差別を助長する作品である
 もちろん、これは昔からいわれている意見である。実際、『指輪』本編から有色人種の下位性の匂いを嗅ぎ分けるのは、ある意味容易だ。そういう読み方もある、と思う。ほんとうに恐ろしいと感じるのは、未読の読者に予断を与えてしまうことである。上のような評価は、『指輪』の面白さを説明しようとするどの言葉よりもはるかに分かりやすい…。
 ある人にとって生涯の作品になりうる魅力を有した傑作が、こうした一言で死んでゆく危険性。読者層が広がることと裏腹の危うさを感じてしまう私なのである。

 と、こんなことを書いてみたものの、『指輪』はすでに半世紀以上の命脈を保っている。「人種差別」の匂いがより明らかな「ナルニア国」シリーズとともにファンタジー文学の傑作としての確固たる地位は揺らいでいない。こうした批判を乗り越えてこそ、真の傑作たりうるのかもしれない。(最近では「ハリポタ」シリーズも同様の批判を受けているようだが、どうなりますことやら…。)

そんなバカな(^_^;)(2001年1月22日)
 「風の塔」のパランティアから伝えられた情報により、映画「指輪物語」公式サイトの日本語バージョンがオープンしていたことを知った。
 最近リニューアルされたばかりの本家サイト。そのかっこよさに陶然としつつも、そこで展開される英語に散々悩まされていた私、「これで英語の恐怖から解放される」と思い、喜び勇んでさっそく
訪問。なるほど、ちゃんと日本語化されている。今後、映画の情報はここからゲットすればいいわけだし、メール・マガジンも発行されているし、これは間違いなく朗報である。
 しかし…。
 しかし…。
 しかし…。
 なんなのだ、このタイトルは?
 なぜ、こうなのだ?
 え?勿体つけるなって。だって、ものすごいショックを受けたのだ、私は。
 この日本語版公式サイト。その名前が、なんと、信じられないことに、

ロード・オブ・ザ・リング

 だったのである。ということは、公開される映画の邦題も同じだってことだよな。
 ゲゲッ。するってぇと、登場人物たちの名前も、私の慣れ親しんだ瀬田貞二訳とは違うってこと。「馳夫」はどうなる?「飛蔭」は?…シシシ、まさか、「ゴクリ」もかよ、いとしいしと!!
 しどいホビットだよ!!!!!!
 いや、取り乱してしまった。当然の話なのである。瀬田訳のとおりになるなんて思い込んでいた自分が愚かだったのだ。でも、題名だけは『指輪物語』であってほしかった。いや、それがかなわないまでも、せめてリングの複数形は残しておいてほしかった…。割り切るまでには少しばかりの時間が必要そうである。
 とはいえ、「指輪の王」などという、某翻訳者が喜んでしまいそうな邦題でなかったことがせめてもの救いではある…(^_^;)

『指輪物語』の世紀(2001年1月1日)
 21世紀。待ち望んでいた2001年である。今年の12月19日、いよいよ、映画『指輪物語』が公開される。まだまだ1年近く――日本公開は2002年だとのこと――待たなければならないのだが、期待は膨らむ一方である。
 周知のごとく映画版も原作同様三部作構成になっており、2001年の第1部を皮切りに2002年に第2部、2003年に第3部が公開される予定になっている。
 海外のサイトを巡っていると分かるのだが、どうやら全作を一気に撮影している様子(まあ、出演者のギャラのことなどを考えてみれば当然なのだけれど…)。先日は、例のHPに「倒れたムーマクらしき物体」の写真などが公開されていた。ムーマクは少なくとも原作の「旅の仲間」には出てきていないはずで、こういうふうに撮影が進んでいれば、かつてのアニメーションのように未完で終わってしまうことはなさそうだ。完結してもらわないことには、できの良し悪しを云々することもできないのだから、ここは素直に喜んでおこう。
 この映画をきっかけに多くの新たな『指輪』ファンが生まれることを、更には21世紀が『指輪物語』の世紀になることを願おう。

『ホビットの冒険』改訳?(2000年10月17日・記/2001年2月3日補筆)
 これから書くことは、例によって受け売りである事実を最初に白状しておきますm(__)m

 先ごろリニューアル発売された岩波少年文庫版『ホビットの冒険』は、単に装丁が変わっただけでなく、翻訳の細部までかなりの見直しが行われた改訳版であるとのこと。――実際には、それ以前に発行されていた「物語セレクション」版が既に「新訳」であったらしいのだが…。
 
私のように翻訳だけが頼りの人間にとってみれば、より正確な訳がなされるのは非常に喜ばしいことだ。だが、単純にうれしがってばかりもいられない事実がある。
 ご存知のとおり、岩波版の翻訳者である瀬田貞二氏はかなり以前に物故されている。ところが、今回の見直しが誰の手によって行われたものであるのか、本のどこにも明記されていない。これは大きな問題なのではなかろうか?
 もしも、別の人間の手が入ったことが瀬田氏の汚点になるとでも考えていられるのであるなら、それは杞憂に過ぎないと申し上げたい。瀬田氏の名訳が土台にあってこその見直しなのである。瀬田氏の訳がなければ、私を含む多くのトールキン・ファンは生まれなかったはずなのである。過ちを正すことになんの恥があろうか?
 岩波書店には、ぜひとも補訳者の名を明らかにするようお願いしたい。

 なお、この改訂内容の詳細については、白の乗手の方々によるまとめが2000年の12月に公開されました。ご参照ください。

予告編公開(2000年4月28日)
 4月7日。ニュー・ライン・シネマ社が『指輪物語』映画の予告編をインターネット上で公開したところ、24時間で170万回に及ぶダウンロードがあったそうだ。日本におけるプレイステーション2予約狂想曲には及ばないかもしれないが、物凄い数字であることに変わりはない。なにしろ、かの『スターウォーズ ファントム・メナス』予告編を遥かに凌ぐ数字――WIRED NEWS日本語版4月12日分の記事による――だったとのことなのだから。
 肝腎の予告編、私もダウンロードを試みたのだが、なぜか失敗。となると、余計に気になるのが人情というもの。2001年クリスマスといわれる公開がますます楽しみになってきた。(悔しかったので、映画のスチールやイメージ画を使用したスクリーンセーバーだけはダウンロードして使ってます(~_~;))
 こういう反響がある以上、いくら知名度が低いとはいえ、日本でも公開されることは間違いがないであろう。それに伴って、評論社や岩波書店、さらには原書房、あるいは「やのまん」といった会社が、今後どのように事業を展開していくのかにも注目したい気分である。……あまり期待できそうにもないですがね(-_-;)

旧聞かつ受け売り…(2000年3月12日)
 ちょっと前に馳夫殿からメールをいただいた。そして、非常に興味深い情報を得ることができた。ここをお読みいただいているような方であれば既にご承知のことだとは思うのだが、あまりにもうれしかったので、恥も忘れて書かせていただく。
 それによれば、かのAmazon.comが、昨年「この1000年間最高の書籍・音楽・ビデオ」を選ぶユーザー投票を催したということなのだ。「この1000年」というあたり、おそらくミレニアム騒ぎの一環だったのだろう。書籍や音楽はともかくとして、ビデオに「この1000年」という冠もないとは思うけれど、いかにもアメリカ的なジョークといったところか。

 さて、肝腎の投票結果である。投票者延べ人数25万人が選んだ第1位は、
書 籍――『指輪物語』!!
音 楽――「サージェント・ペッパーズ」(ビートルズ)
ビデオ――「スター・ウォーズ」
 だったとのこと。
 上の結果、どのように感じられるだろうか?
 インターネットという、まだまだ特殊な環境の中で選ばれたという点を差し引いたとしても、『指輪物語』がアメリカ人――いや、そうとは限りまへんな。それこそワールド・ワイドで投票が行われた可能性は大であろうし…英語圏を中心としたAmazon.comユーザーとでも言い直すべきか?…ともかく、そういった人々の間に絶大な人気を誇る作品であるということが明らかになったわけである。
 それにひきかえ、我が日本での知名度の低さは何とかならんもんかいな?などとも思ったりするのである。

 しかし、ここまで人気がある作品ということになると、逆にますます映画のほうが心配になってしまう。中途半端な作品だったら、それこそファンが許してくれないんじゃなかろうか?
 一昨年の秋ごろ映画化の情報が流れはじめた際に「『指輪物語』の映画化には大きな危険が伴う」というニュアンスの論評を読んだ。『指輪』の人気の高さを知った今、「危険」の意味が分かったような気がしてくるのだ。

『黄金の羅針盤』と『ハリー・ポッターと賢者の石』(2000年1月3日)
 12月31日から今日にかけて、前年終盤に出版された2冊のファンタジー小説を読んだ。
 この2作品が最初に私(たち)をひきつけないではおかないのが、それぞれの本の帯につけられた惹句である。
 まず『黄金の羅針盤』(フィリップ・プルマン著・新潮社刊)にはこう書かれている。
「『指輪物語』『ナルニア国物語』『はてしない物語』に熱中したすべての人に――」
 そして、『ハリー・ポッターと賢者の石』(J.K.ローリング著・静山社刊)の裏表紙側の帯には「ザ・タイムズ」の紹介記事の引用として、次のような文言が見える。
「C.S.ルイスやJ.R.R.トルキン(原文のまま)の現代版」
(ついでに表紙側には「9歳から108歳までのファンタジー」という、確かどこかで見たような言葉が……)

 この手の惹句に警戒的な私は、気になりつつも今日まで読まずにすませてきた。そして、今回はじめて読んでみて…。完璧にハマってしまった。
 両者とも500ページ前後という大冊だが、そういうことなど全く気にならなかった。むしろ、「え?もう終わりなの?」という感じだ。心配せずとも、前者は3部作、後者に至っては7部作だということだから、まだ当分楽しませてもらえることは間違いない。

 さて、『指輪』や『ナルニア』を引き合いに出されるという共通点を持ちながら、両者は全くといってよいほど似ていない。もちろん、ファンタジーというジャンルでくくられるという点や作者がともにイギリス人であるという点は同じだが。

 『黄金の羅針盤』は、全編に重く暗い色調をたたえており、作品世界に吸い込まれるまでにある程度の時間を要する。おそらくこの感覚は私だけのものではないだろう。淡々と描かれるいくつもの死が、「ファンタジー」というものにある種の期待を抱いて読み始めた読者を戸惑わせずにはいない。さらには、作中の最重要人物の冷酷極まりない行動を理解しがたい部分があるのも事実だ。これはシリーズ全体のテーマがまだはっきりと語られていないこととも関係するだろう。3部作全部が出揃ったところで一気に読み通すというのが正しい読み方なのかもしれない。
 しかし、登場人物たちにはたいへん魅力がある。とくにイオレク・バーニソンの圧倒的存在感には心が震えた。彼に会うためだけでも一読の価値があるといえるだろう。(彼が主人公ライラに与えた称号「シルバータン<雄弁>」を見た瞬間、『指輪』のある人物を思い出してしまった。彼女とは似ても似つかない、あの嫌なヤツを…。)

 『ハリー・ポッターと賢者の石』…。この「ハリー・ポッターシリーズ」は、ひょっとすると歴史に残る大ファンタジーになるのではないだろうか。読んでいてこんなにワクワクさせられたのは実に久しぶりだ。登場人物たちの躍動感。ハラハラドキドキのストーリー展開。こんな話を父母に読み聞かせてもらえるチャンスをもらった21世紀の子供たちは、途方もない宝の山にぶち当たっているのかもしれない。全7部作の残りの6編が同一水準――あるいはそれ以上――を保ってくれていることを願おう。2003年までかけて完結予定とのこと。次回作の邦訳が待ち遠しい。
 そうそう。ついついにんまりさせられた『指輪』との共通点をひとつ。『指輪』では西側陣営の人々が冥王サウロンを「名を言うをはばかるかの者」と呼んでいた。『賢者の石』に登場する闇の大魔法使いヴォルデモートにも「名前を言ってはいけないあの人」という呼び名があるのだ。
 で、ローリングが『指輪』のパロディで遊んでいる可能性を感じて原書を比較してみたのだが、結果は大はずれ!!まるで違う言い回しであった。むしろ、邦訳版翻訳者の遊びと見たほうがよいのかもしれない。

 長々と『指輪物語』に直接関わらないネタを書いてしまった。しかし、この2作品、ほんまにお薦めでっせ。

『指輪』映画撮影開始(1999年10月13日)
 この10月11日より、ついに映画『指輪物語』の撮影が始まったとのことである。
 ちょうど1年ほど前に映画化の情報を聞いたときは、正直半信半疑であった。その後しばらくは目立った動きもなく(こちらが情報をキャッチし得なかっただけのことだという説が有力…)、「やっぱり噂は噂で終わってしまうのだろうか」などと思い始めていたこの夏あたりから、海外のサイトからいろいろと情報が入ってくるようになった。
 中でも最も情報量が豊富なのがImladris : Lord of the Rings Movie News(どうやら閉鎖されてしまったらしい。代わって豊富な情報を流し続けているのがこちら)である。映画の撮影が開始されたという話も、このサイトに載せられていた記事で知った。確定情報からゴシップっぽいものまでバラエティに富んでいて、英語が苦手な私でも、ある程度は楽しめる。
 最近の記事で思わず吹き出したのは、「ショーン・コネリー、ニュージーランド入り」というものであった。ご存知のとおり、今回の映画はニュージーランドで撮影されている。そこへ、1年前には「ガンダルフ最有力候補」と噂されていたコネリーがやってきた、というわけだ。既にガンダルフは別の俳優が演じることになっており、コネリー=ガンダルフ説は吹き飛ばされてしまっているのだが、記事を書いた人物はどうしてもコネリーを『指輪』に引っ張り出したいらしく、「コネリーの役はアングマールの魔王か?」などと煽っていた。果たしてコネリーが顔のない役を演じる可能性があるかどうか興味深いものがある。確か、以前「ドラゴンの声」で映画出演をしたことがあるはずなので、ひょっとしてこれも「あり」かもしれない…。

 さて……。「旅の仲間」をはじめとした、主だった配役も正式に決定しているようだ。この際、自分の抱いているイメージはきれいさっぱり捨てることにしよう。『指輪物語』のファンのひとりとして、ただひたすら公開の日を待ちたいと思う。

ちょっとした発見(1999年8月13日)
 この7月末にOffice2000なるビジネスアプリケーションが発売された。それに標準添付されてくるIMEが「IME2000」である。
 それと『指輪物語』にどんな関係があるかって?いや、はっきり言ってありません。たった一つ、これから述べることを除いては。
 このIME、カタカナ語を英語に変換する機能がついたのが今回の売りの一つなのだ。たとえば「はんばーがー」と入力すると「hamburger」と変換可能なのである。
 で――。「とーるきん」と入力して変換すると、「トールキン」というカタカナの後に続いて、「Tolkien」や「TOLKIEN」などが候補として表示されるのだ。
 要するに外国人の人名辞書も登録されているわけで、その辞書が英語版のそれをそのまま日本語版に移植(?)したのではないかというだけのことなのである。それとも、日本語版「IME2000」開発者の中にトールキンのファンがいたのだろうか?(これは、どうもなさそうな気がするけれど…)
 「それがどうした?」と思われる方には申し訳ない。ごめんなさいというしかない。だが、私にとってはちょっとした事件なのであった。
 この発見が嬉しくて、私は何度も「とーるきん」の変換を繰り返してみたのだった。おそらく、ここを読んでいらっしゃる方には、私のこの気持ち、分かっていただけると思うのだ。かつて、この「IME2000」の前身である「IME95」が、カタカナへの変換どころか、「トール金」と一発変換してみせて得意げだったのは、まだ3年ぐらい前のことでしかない。
 たったこれだけのことで、
「日本中にトールキンの名が広まるのもそんなに遠い日のことではない」
 という気がしてしまう私は、中つ国随一の幸せ者――痴れ者ともいう――かもしれない。(「かもしれない」ではないかもしれない…♀(~_~;)♂)

指輪の意思(1999年4月1日・記/4月3日補筆)
 『指輪物語』を読みかえす度、不思議に思うことがある。それは、作中最高の悪の大立て者である冥王サウロンが「指輪戦争」の最中にいったい何をやっていたか、ということである。
 私が読むかぎり、彼はほとんど何もしていないように思える。せいぜい虜にした人物を拷問にかけたり、不注意にもパランティアを覗きこんだ人物たちを自らの毒気に当てたことぐらいが彼の実績なのではないか。あれほど大事な「一つの指輪」捜索を他人任せにして、自らの破滅の日までのほほんと玉座に腰を下ろしていたのだ。
アングマールの魔王たる幽鬼の首領が「一つの指輪」を手にした瞬間、新たな冥王を目指そうとする危険性を考慮しているとは思えぬお人よしぶりには、開いた口がふさがらない。それとも、「九つ」をはめたうえに「一つ」をはめることが不可能なように安全装置でも仕込んであったのであろうか?
 サウロンは、日光の差さぬ夜明けをも演出してみせる実力者なのだ。弱い者いじめとしか思えない愚挙に血道を上げずとも、己が思念のこもった「一つの指輪」を見つけ出し、自らの手に取り戻すことなど掌を返すよりもたやすいことだったはずである。そして、その機会は何度もあった。遠くホビット庄やブリー(粥)村あたりで指輪がビルボやフロドの指にはめられた段階はともかくとして、自らの制圧圏内でサムが指輪をはめたときにそれに気づかないなどとは、信じがたいほどの大間抜けであったとそしられても仕方あるまい。いくらガンダルフやアラゴルンらがサウロンの注意を引きつけるべく最大の努力を払っていたにしても、だ。
 偉大なる魔力を有した「一つの指輪」が、こんな愚か者を自らの主と認めようはずはない。「一つの指輪」鋳造のために自らの魔力を傾注しすぎたサウロンは、その段階で既に主の資格を失っていたのだ。遠い昔イシルドゥアによって指輪を奪われたのも、最終的に彼が滅亡してしまったのも、実は指輪自身の意思であったと考えるのが自然なのではないか。
 そうなのだ。「一つの指輪」は自らの生みの親に絶望し、最終的に自死に至る望みなき彷徨を続けていたのだ。長い間ゴクリのような小悪党に身を任せていたのは、完全に親へのあてつけである。心優しきビルボやフロドでも彼を癒すことはできなかった。超越者トム・ボンバディルでは話しにもならなかった…。やはり彼はオロドルインに向かうしかなかったのだ。
 以上、『指輪物語』は、ろくでなしの父親に育てられた子どもによる父への復讐の物語であったと読み解くことも可能なのだ。(『指輪』ファンの旦那方、お怒りにならねえでくだせえまし。)

実写版映画『指輪物語』の噂(1998年10月3日)
 昨日、たまたま「やのまん」の掲示板を覗いてみたら、驚くべき書き込みがなされていることに気がついた。
 曰く、「2000年公開を目標に『指輪物語』実写版の計画が進められている」!!
 『指輪物語』ファンにとって一大事件。真偽のほどを確かめることもせず、思わずこれを書き始めてしまった。
 あの長い物語をどうやって映画化するというのか?かつてバクシ監督によるアニメーション版が撮られたことがあったが、2時間半で無理矢理物語前半のストーリーをなぞり、「第2部へ続く」となったまま未完。
 どう考えても2時間や3時間で完結したストーリーにできるはずはない。それならば、日本語訳普及版のごとく6部構成にする手もあろうが、原作に忠実にしようとすれば、10時間でもまだ足りないであろう。更にたちの悪いことに、(熱狂的な『指輪物語』ファンでもない限り、)「旅の仲間」の前半部は特に堪えがたい内容になってしまうことが容易に想像できる。(全巻読了してみると、実際には、この部分が非常に面白かったことに気づくのだが…)
 となれば、これはもう思い切った内容のアレンジが必要である。最初からスリルに満ちた展開とするために、冒頭は黒の乗手に追われて逃避行を続けるフロド一行。最初から馳夫を参加させるかどうか――すなわち、ブリー(粥)村に着いているかどうかが問題になるが、ここはやはり非力なホビット4人が必死に逃げ惑う姿で観客を引き込むしかない。黒の乗手は思い切り凶悪な姿(CGを駆使)で彼らを追い回す。(ほとんど「ジュラシック・パーク」のノリ)わずかな安息時間に一行が旅立つまでの経緯をフラッシュバックさせる。そして、ようやく馳夫と合流。原作では剣技の腕を披露する機会に恵まれない彼であるが、ここはいちばん、思い切り暴れてもらおう。風見が丘では黒の乗手5人を相手に獅子奮迅の活躍。いよいよ危うしと見えたそのときグロールフィンデルがアスファロスに乗って、ガンダルフはグワイヒアに跨って救援に駆けつける。エルロンドは地図を月にかざしながら(何故だ?)一行に念を送り、ガラドリエルは鏡に向かって祈りを捧げる…。もうめちゃくちゃ。想像力をたくましくするのは勝手だが、これだけでもすでに1時間は経過していると見なければなるまい。モリアの坑道でガンダルフがバルログとともに奈落に落ち、残された8名が悲しみに沈みつつもロスロリアンに到着するまでを第1部とするにしても、3時間ないしは4時間は必要と見た。――バカな妄想はこれぐらいにしておこう。
 いずれにせよ、今後の映画情報からは目が離せない。
※追記
 一旦アップした後に、下記のURL

http://us.imdb.com/Details?Lord+of+the+Rings%3A+The+Fellowship+of+the+Ring,+The+(2000)(2000年5月26日現在、該当ページはこちらに移動していることを確認)でこの映画の情報が得られることを確認。原作通り、3部作の予定らしい。インターネット上の噂では、ガンダルフのキャスティングが、あのショーン・コネリーになっている模様。(なるほど、結構はまっているかも知れない。コネリーって、ファンタジーやSFに出るのは嫌いじゃなさそうだし…)
 美術関係にジョン・ハウやアラン・リーの名前も見える。興味のある方は是非参照されたし。嗚呼、2000年のクリスマスが待ち遠しい。(日本で公開されるかどうかが心配だが…)

『指輪物語』の主人公…(1998年8月25日)
 1998年の5月に出版された好著『子どもの本の森へ』(長田弘・河合隼雄共著、岩波書店刊)という本に我が『指輪物語』も取り上げられていた。その中で、「主人公が誰なのか、読み手が試される本です」というようなことが書かれていた。
 『指輪物語』については、以前からこうした話題が取り上げられることは少なくなかったように思う。(一歩間違うと、「ご贔屓」に走ることになってしまうのだが、「指輪の仲間」の間ではそうしたミーハー読者の存在を許さない雰囲気があるようにも思える…。)
 正統派ならば「フロド」と答えるだろうし、「ゴクリの物語だ」という意見にも首肯できる。「アラゴルン」や「ガンダルフ」を中心に据えるのも至極当然だ。「サム」の物語とも読み取ることは可能だ。「メリー」や「ピピン」、「ギムリとレゴラス」を忘れてはいけない…。
 私はというと「有限の命を有する者」全てが主人公なのだ、と一括りにして議論を終結させたくなってしまう。
 この物語で最も美しい(と私が感じる)のは、別れの場面である。多くの死が人々を分かつ。死そのものではないにしても、エルフや指輪所持者、ガンダルフらが「西方へ旅立つ」というのは現世を放棄すること、すなわち「死」をイメージさせずには置かない。それら訣別の場面が、美し過ぎるほど美しいのだ。追補編で語られているアルウェンの死(?)の場面は、それ以前、エルロンドが苦渋の末に我が娘を手放す決断を下したときから約束されていたにもかかわらず、狂おしいほど美しく、そして切ないのである。
 断言してしまおう。『指輪物語』は「死すべき定めの人の子」である我々を慰藉するために描かれた救済の書である、と。したがって、登場人物と共に中つ国の旅を続ける読者こそが主人公の物語であるのだ、と。

『UNFINISHED TALES』に関して(1998年8月1日・記/8月25日補筆)
 HP開設時、こちらに、この本について「内容が気になって仕方がない」ということを書いた。その直後からさまざまな方から情報をいただき、内容の一部の翻訳も読む機会を得ながら、ついつい情報を更新しないまま放置していた。今更とは思いつつ、ここに書きとどめておきたい。
 結論的に言えば、私が当初予想したとおり未発表の草稿集といった趣の内容なのであるが、ファンにとっては見過ごせない貴重な情報の宝庫である。本編ではほんの少ししか触れられていない(したがって、「新訳」の文庫版のみの読者の中には見過ごしてしまっている方もあるかもしれない)5人の魔法使い(イスタリ)に関する記述――『指輪』に登場しない2人はパルランドとアラタールという名である――であるとか、イシルドゥアの最期の詳しい様子であるとか、また、そのイシルドゥアの骸に対してサルマンが行ったと思われる忌まわしき辱めであるとかにまで言及されている。ガンダルフがトーリン一行にホビットであるビルボを加えようと苦心するさまやサルマンがガンダルフを憎むきっかけになったできごとなどへの言及も興味深い。パランティアに関する章についても見過ごせないものがあると感じた。ガラドリエルとケレボルンに関する記述もあるのだが、これには翻訳がないようなので、私はまだ未読である。
 以上のように、『指輪』ファン必読の書ともいえる内容であるだけに、是非とも日本語訳が出版されることを期待したい。
 なお、トールキンの残した膨大な量の遺稿については、この『Unfinished Tales』の他に『THE HISTORY OF MIDDLE-EARTH』(クリストファ・トールキン編集)と題するシリーズにまとめられて、12冊ほど出版されているようだ。