1997年2月9日


 1997年2月9日。
 久しぶりに宝塚の
手塚治虫記念館に出向いた。
 高速道路を使って片道2時間半ほど。
 この日は、言うまでもなく手塚治虫の命日である。

 手塚治虫が、更なる高みへと逝ってしまったのは1989年2月9日のことであった。あのときの衝撃は今でも忘れられない。その前年、手術後の異様にやつれた手塚の姿を雑誌で見た瞬間からある種の覚悟はしていたつもりだったのだが…。私にとっては何年の時を経ても、過去のことにはなり得ないできごとである。
 葬儀の時はもちろん、一周忌にも七回忌にも、私は特別なことができなかった。今回、命日と日曜日が重なったのを機会に、花を手向けるべく記念館を訪れることを決めたのである。(本来は墓参にこそ行くべきだろうが…。)
 10時30分頃に宝塚に到着。運良く(?)宝塚ファミリーランドは休園で、駐車場に苦労することはなかった。記念館の入り口近く、開館からしばらくして建てられた
『火の鳥』のモニュメントの前でお約束の記念撮影。
 いよいよ記念館に入る。そして、入り口の係員の女性に恐る恐る申し出る。
「今日は
手塚先生の命日なので花を持ってきたのですが…。」
 彼女は即座に連絡を取ってくれ、私たちは事務所へと案内された。ちょっとばかり意外な展開…。
 館長は来客中とかで――ことが大袈裟にならなくて正直ホッとした――お話しする機会はなかったが、代わって丁寧に応対してくれた女性が、件の花を適当な場所に飾ると約束してくれた。(後でパートナーから指摘を受けたのだが、「仕事場に飾らせていただきます」と言ってくれたのを、私は緊張の余り聞き逃していたのだった…。)
 しばらく館内を見学し、記念館の中でも私が最も好きな地階に降りた。ここには
鉄腕アトムが誕生した科学省の内部とともに、手塚治虫の仕事場が再現されている。私は、飽くことなく創作に没頭する手塚治虫の後ろ姿を見る度、万感の思いを抱く。同じこの場所で、「アトムの子」たる私たちの、更に次の世代は無邪気にアニメーション作りをしつつ、手塚治虫の息遣いを膚に感じていくのだ。

 そして私は、私の持っていった花束が、まさにその場所に、花瓶に挿されて飾られているのを発見した…。

この日の深夜、我がホームページは記念すべきスタートを切った。