2003年8月26日 

----見えない力に誘われるように深いヤブを掻き分け進んでいくと、突然その木は姿を現した。
そこに無言で潜んだまま、訪れる人を突然驚かす「守り神」のように…。
深い樹皮の隙間から滴り落ちる樹液に午後の陽光が反射し、キラキラと輝いている。
平常心のままミニライトを奥に向け、樹皮にぐっと顔を寄せて覗き込んだ。
重量感のある黒い体が浮かび上がり、湾曲した顎と内歯が一瞬にしてその正体を明らかにする。
「こ、これは・・・!」
騒々しいセミの合唱がフェードアウトし、あたりは水を打ったような静寂に包まれた。

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あれは小学5年生の夏だった。
ヒラタやノコを満喫していた私は、憧れと欲望が入リ混じったような気持ちで、
昆虫図鑑の簡潔な説明文を何度も読み返していた。
「ミズナラなどの樹液にくるがすくない」
ミズナラが高い山に生えていることを知り、自分とは別世界のクワガタと諦めていたが、
その年の夏休みに「草津温泉」へ行くことになったおかげで、一筋の光明が射してきた。
温泉近くの道路際の斜面は、見事なまでのミズナラ林。
車を運転する伯父は中学の理科教諭で、「この木がそうだよ」と同定してくれたのだった。
ところが見渡せど、樹液を出している木が見つからない。
胸の高まりを感じながら、移植ゴテで片っ端から根元を掘り始める少年。
当然のことながら幸運の女神が微笑むことはなく、温泉宿で卓球や射的をして過ごし東京へ戻った。
それ以降、オオクワに対して積極的なアクションを起こすこともなく、数年前に採集活動を再開するまで
長い年月が流れた。

近隣のフィールドでヒラタを狙い満足しつつも、”潜在意識という名の洞”にオオクワは棲息し続けていたらしい。
----風景は自宅近くの雑木林。
いつもコクワしかいないはずの洞に、オオクワが数匹かたまって樹液を吸っている。
「なあんだ、こんな近くにいるんじゃないか!!」 と思わず声が出て目が覚める。
そんな夢を何回か見た。
この4年間で、オオクワ狙いの開拓も含め、採集回数は約200回に達しようとしていた。

そして今日、県内某所に仕事で出かけ、午後早めに解散となった。
いつものフィールドをじっくり回ってもいいのだが、先日の「めくれはがし」の一件などで、どうも気乗りがしない。
日も長いし、心機一転、ぶらっと開拓でもしていこうかと思い、雰囲気の良さそうなポイントを探して里山を走り回る。
なんでも、このエリアはオオクワの記録があるらしいのだが、本格的な探索は来年から始動しようと、
気楽な気持ちでいたのがかえって功を奏したのかもしれない。

【幸運の女神登場!】
カンだけを頼りに、くねくねとした山道と農道をたどるうち、いつしかクヌギの多い別天地に出くわした。
なんと、クヌギ樹液には、オオムラサキの♀が陣取っているではないか!
オオムラサキ→エノキ→産卵木→オオクワ という図式も連想したが、まだ現実味は帯びなかった。
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----そして探索は続き、導かれるようにたどり着いたクヌギの前で、実物を目の当たりにして大きく深呼吸をする
自分が信じられなかった。
この林に採集者が入った形跡はまったく認められない。ゴミひとつ落ちていない。
先祖代々、村人たちがしっかり維持管理してきた里山には、それを包み込むような”見えないバリア”がある。
よそ者が立ち入り難い雰囲気をかもし出している。これが、オオクワを守ってきた一番の要因だろう。

オオクワは50ミリほどか。すかさずめくれの奥へ逃げ込む。
めくれは頭上、手を伸ばしてやっと届く高さだ。
ここで、”もし取り逃がすとしたらどんなケースがあるか”について考えてみる。
@下のヤブに落として見失う←十分ありうる
Aめくれ奥に深い洞があり入り込んでしまう←見たところ心配なさそうだ
B飛んでいってしまう←ないない
C目の前で鳥に食べられてしまう←そんな殺生な〜

▲中央の隙間に尻が見える。この後さらに奥へ移動してしまう。

手持ちの掻き出し棒が短くギリギリ届く程度なので、オオクワが角度を変えると、なかなかその動きに
追随できない。あせってばかりいて時間ばかり過ぎていく。
全身に汗が噴き出し、のどがカラカラになる。無理な姿勢を続けるので、首が痛くなりふくらはぎが
つりそうになった。
30分ほど経過したときうまく顎がひっかかり、オオクワが真下へ滑り落ちる。緊張が走る。
左手で受けようとしたが、今度は下側のめくれにストンと入ってしまった。

▲下のめくれは覗き込めないので、死角だらけ。

【水入り】
手探りで棒を入れてみるものの、奥まで届かず途方にくれる。
やむなくヤブを脱出し、いったん車まで戻ることにする。
針金をペンチで切り、長い掻き出し棒を作るのだ。
ペットボトルのお茶をがぶ飲みして、文字通り「水入り」って感じで休憩する。
ミラーに映った顔を見ると、サウナに入ったように真っ赤に上気している。
頭を冷やしながら、再出陣。
こんどはどんな奥でも自由自在に追えそうで、心理的に優位に立ったような気がした。
バトル開始後、ほどなく出口にオオクワを誘導することができ、左手でがっちり掴む。
やった! 正真正銘、埼玉の里山にひっそりと生き残っているオオクワだ!

▲47ミリだが、とても元気で顎の力が強い。

その後もヤブをこぎながら有望な木を探したが、カブト、ノコ、スジ、コのみ。
棲息環境は極めてナチュラルであり、市街地に隣接した採集圧の高いポイントを見慣れている身にとって、
放虫の疑念は微塵も感じられなかった。
来年の6月が楽しみだ。”樹液に集まる複数のオオクワ”という夢のようなシーンが見られるだろうか。
しかしその前に、スズメバチがいなくなった時期を見計らって、さらなる探索をしなければ。
オオクワが生き延びる環境には、どのような条件が必要なのか、そして本当にそれはピンポイント
でしか残っていないのか、棲息密度は? 発生源は? など、気になることはたくさんある。
埼玉のオオクワ探索は、まだ始まったばかりだ。