2002年11月9日 山梨県
毛無山中腹、標高1300mにある金山遺跡をたずねた。
甲斐の国は、いたるところに金山の採掘跡が残っている。武田信玄の隠し金山として、戦国時代から江戸時代にかけて
掘られたものだ。最初は沢で砂金を採っていたが、それでは需要に追いつかない。砂金は上流の鉱脈から削られて
流れて来るので、山師(金山衆と呼ぶ)は沢を遡り金鉱脈のある露頭を探し当て、坑道を掘っていった。
強引な比較だが、オオクワを探す現代の山師たちとどこか似ているかもしれない。
▲正面奥の尾根近くに鉱山跡が点在する。
▲毛無山へ登山道を登る。西側には南アルプスの前衛峰が見える。
▲坑道の入り口。台場クヌギのでっかい洞とさほど変わらぬ
大きさしかない。懐中電灯を持ち、膝をついて潜入。
▲坑道は20mほど続いているが、一番高いところで
天井まで1.2m程しかない。当時はろうそくの灯りだけで
黙々とノミを振るったのだろう。
▲ブナも混じる樹林帯のくぼ地に、数十人が小屋を建て
集落を作り、採掘生活をしていたという。炭焼き小屋の跡や
墓も残っていた。
▲下部町の「湯之奥金山博物館」では、砂金採り体験をやっていて、御土産に持ち帰ることができる。
一見、クワガタとは何の関係もなさそうだが、戦国時代は農具だけでなく武器や武具が大量に作られ流通した。
鉄砲の伝来はそれに拍車をかける。金属の精錬用に炭の需要が増大したことは間違いない。そして良質の炭ができ、
萌芽の早いクヌギ・コナラの植樹がいっそう進んだ。台場クヌギの起源と鉱山開発は決して無関係ではないと思う。
棲息に適した環境が増えてほくそえんだオオクワの姿を、戦国武将は知る由もなかったであろう。