諸聖人の紹介

 ここでは、キリストの証をした人たちを紹介していきます。ここで取り上げる人は、必ずしも聖人、或いは福者でないひともいます。しかし、すばらしい実績をあげた人で、あまり知られていない人を紹介します。

 (1)マリア・ワルトルタについて:

 マリア・ワルトルタ(イタリア:1897年〜1961年)の著作「神と人なるキリストの詩」は、わずか4年間で一気に書かれたものであります。心と体との言い表わし難い苦しみと、全く不利な状況の中で、マリア・ワルトルタは、ノートの1万5千ページにわたる原稿を、非常に不安な時代と事情(戦争や病気など)の中で、何の推敲もなしにしたためたのであります。ただ、聖書と聖ピオ10世の教理の本以外のどんな本も利用せずに書かれたのであります。
 著者は、イタリアから一歩も外に出たことがなく、もちろんパレスチナに旅行したことがないのに、非常に詳しくまた正確にキリストの国の重大なところ、最も専門的ガイドブックにも書かれていない小さいところまで詳細に描かれているのであります。また、著者は、歴史、地理、考古学、人類学、哲学、聖書学、神学などに関して特別な研究は何もしてないのに、これらの分野と関係のあるデータを述べるにいつも正確であります。この本は、ある意味では福音書を補完するものであるといえます。
 マリア・ワルトルタは、「私は、キリストのペンにすぎない。」と言っております。この本は、ナザレトのイエズスの生活についてのヴィジョンとイエズス自身の口述筆記によってできたものであります。この本は9冊に分冊されて日本語に翻訳されています。

参考文献:「聖母マリアの詩(上、下)」、「イエズスに出会った人々(1、2、3)」「マグダラのマリア」「イエズスたそがれの日々」「イエズスの受難」「受難の前日」以上9冊:

マリア・ワルトルタ著:フェデリコ・バルバロ訳編:あかし書房


 (2)テレ−ゼ・ノイマンについて:

  テレ−ゼ・ノイマン(ドイツ:1898年〜1962年)は、ドイツのバイエルンの北部ブファルツのコンネルスロウトで生また。1918年10月19日以来、病床の人となってしまった。1926年、テレ−ゼは、キリストの変容の幻視を見ました。それ以来、聖体を飲み込むための数滴の水しかのどを通らなくなっていました。さらに、1927年9月30日以後は、聖体拝領にも一滴の水も用いず、食物としては、日々拝領する一片のホスチアのみ。これが、テレ−ゼの唯一の栄養でありました。
 テレ−ゼは、「私は全く何も食べずに生きているのではありません。救い主で生きているのです。救い主は、『私の体は、まことの食物である。』とおおせられました。救い主がお望みならば、私が救い主をいただいて生きているのに何の不思議もないではありませんか。」と述べました。
 さらに、テレ−ゼは、体に聖痕ができていた。これは、死ぬまで36年間も続いた。そして、イエズス様のご苦難の全貌の幻視があった。これは、ただの幻視ではなく、キリストの無残なご受難とご死去のすべての苦痛をそのまま身に感受するという「行動的幻視」であった。
 1962年9月18日、テレ−ゼは帰天した。生前、聖体礼拝を目的とする修道院の計画があり、死後1年未満のうちに修道院の定礎式が行なわれた。現在は、カルメル山のマリアの修道女たちが、この修道院で一般信者と交代で、絶えず聖体礼拝をしています。
 ベア枢機卿は、テレ−ゼの死後まもなく、バチカン公会議の席上で列福調査を開始するよう請願しました。

(注)聖痕:キリストが十字架刑の時にできたのと同じ5つの傷(両手と両足と脇腹)が超自然的に体にできること。アッシジの聖フランシスコの聖痕が有名。

参考文献:「受難」の旅人 テレ−ゼ・ノイマン:カ−ル・デンライトネル著:ドンボスコ社


 (3)ピオ神父について:

  ピオ神父(イタリア:1887年5月18日生まれ、1968年9月23日帰天。)も聖痕を受けました。ピオ神父はカプチン会の司祭で、「奇跡の人」と呼ばれました。1918年から聖痕ができて、生涯聖痕を持ち続けた。ピオ神父は、子供のときから、しばしば聖母マリアの御訪問を受けたので、他の人たちも同じように聖母マリアにお会いしているものと思っていた。さらに、ピオ神父は煉獄の霊魂たくさん救った。ここで、いくつかピオ神父の話を紹介します。

「煉獄から天国へ行く途中の何人かの霊魂達は、私の所に立ち寄ります。今朝私のミサでその人達のために祈った事を感謝し、私と話していたのです。」(ピオ神父)

「その霊魂は私の所に現れ、私の祈りを感謝し、そして、煉獄から解き放たれるには一層の祈りが必要であると私に知らせた。」(ピオ神父)

「翌日、その人のためミサを立てようと、私はその死者に話した。」(ピオ神父)

「私は天国の門に佇んでいます。私の霊的子供達全員が天国に入るまで、私は入りません。」(ピオ神父)

「イエズス御自身私の所に来られた。歩くのがとても御難儀であった。イエズスが私の体の上に御腕を置かれたので私は疑いも恐れもなかった。」(ピオ神父)

ピオ神父は地獄の勢力に憎まれ、悪魔に絶え間なく攻撃された。悪魔は、ピオ神父を憎むあまり、正体を暴露してしまった。ピオ神父のおかげで我々は悪魔を再認識でき、悪魔から防御することが容易になった。

 なお1999年5月2日にピオ神父様は列福されました

(注)煉獄:地獄に落ちるほど悪人ではない霊魂が、死後罪の償いをする場所。償いが終わると天国に入れる。

参考文献:

ピオ神父の生涯:ジョン・A・シュグ著:甲斐睦興訳:聖母の騎士社

煉獄の霊魂は叫ぶ!「ピオ神父、万才!」:アレッシオ・パレンテ神父著:甲斐睦興訳:近代文藝社



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