(A)概略:
1973年日本の秋田でも、聖母の御出現がありました。秋田の聖体奉仕会において、シスタ−笹川にマリア様からメッセ−ジがありました。シスタ−笹川は、大変美しいマリア様の声を聞きました。この秋田のメッセ−ジは、ファチマのメッセ−ジの焼直しとも言えるでしょう。このメッセ−ジの内容は、ファチマと同様、人類に対する警告であります。比較してみて下さい。このメッセ−ジの2年後に、今度は聖母像から血や涙が流れました。特に、涙は101回も流れました。これは、シスタ−たちはもちろん、安田神父様(当時の指導司祭)や伊藤司教様(当時)をはじめ、多くの人たちに目撃されました。さらに、テレビ局の取材も来て、涙が流れるところを映像にも収められました。また、雑誌にも掲載されたりもしました。鑑定の結果、これは人間の血や涙であることが判明しました。秋田の出来事について詳しく知りたいかたは下記の参考文献をお読み下さい。
秋田の聖母マリア:安田貞治著:聖体奉仕会発行
聖母像から血と涙:志村辰弥編著:
(B)秋田の聖母像のメッセージ:
(1)第1のメッセージ:1973年7月6日(初金)
教皇、司教、司祭のためにたくさん祈って下さい。
(2)第2のメッセージ:1973年8月3日(初金)
世の多くの人は、主を悲しませています。私は主を慰める者を望んでおります。天の御父のお怒りをやわらげるために、罪人や忘恩者に代わって苦しみ、貧しさをもってこれ償う霊魂を、御子と共に望んでおります。
祈り、苦業、貧しさ、勇気ある犠牲的行為は、御父のお怒りをやわらげることができます。
貧しさを尊び、貧しさの中にあって、多くの人々の忘恩、侮辱の償いのために、改心して、祈って下さい。
(3)第3のメッセージ:1973年10月13日(ファチマ太陽の奇跡の日)
前にも伝えたように、もし人々が悔い改めないなら、御父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしております。
そのとき、大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって、人類の多くが死に、司祭も信者と共に死ぬでしょう。生き残った人々には、死んだ人々を羨むほどの苦難があるでしょう。その時、私たちに残る武器は、ロザリオと御子の残された印だけです。
毎日ロザリオの祈りを唱えてください。
ロザリオの祈りをもって、司教、司祭のために祈ってください。
悪魔の働きが、教会の中までは入り込み、枢機卿は枢機卿、司教は司教に対立するでしょう。私を敬う司祭は同僚から軽蔑され、攻撃されるでしょう。祭壇、教会が荒らされて、教会は妥協する者で一杯になり、悪魔によって、多くの司祭、修道者がやめるでしょう。特に、悪魔は、御子に捧げられた霊魂に働きかけております。たくさんの霊魂が失われることが私の悲しみです。これ以上罪が続くなら、罪のゆるしはなくなるでしょう。
ロザリオの祈りをたくさん唱えてください。
迫っている災難から助けることができるのは、私だけです。
私によりすがる者は助けられるでしょう。
(C)聖体奉仕会の祈:
御聖体のうちにまことにましますイエズスの聖心よ、一瞬の休みもなく全世界の祭壇の上に犠牲(いけにえ)となられ、御父を賛美し、み国の来たらんことをこいねがう至聖なる聖心に心を合わせ、わが身も心も全くおんみに捧げ奉る。願わくは、わがまずしき捧げを受け取り、御父の光栄と霊魂の救いのために、み旨のままに使用したまわんことを。
幸いなる御母よ、おんみの御子より引き離さるるを許したまわざれ、おんみのものとして守りたまえ。
ア−メン。
(D)最近の秋田の聖体奉仕会:
今では、年間10000人もの人が秋田のマリア様の所を訪問します。新しい修道院の建物もでき、奇跡の起きた当時とはだいぶ様変わりしています。(もっとも、私自身当時の様子は知りません。)
聖体奉仕会の敷地内には、「マリア庭園」という日本風の庭園があり、訪問者の心をなごませます。さらに、「小羊の園」という所があり、そこで「十字架の道行き」をして祈ることもできます。そのなかに栗の木がたくさんあり、秋になると巡礼者たちが栗拾いなどをすることもあります。
現在、更地に大聖堂建設の計画があります。完成は、2、3年先になるとのこと。この計画のために前指導司祭の安田貞治神父様が、大変な努力をなさっています。時々、秋田に訪問なさって、ミサを捧げます。なお、安田神父様のミサは一度は与ってみる価値があります。(もちろん、どのミサも価値はありますが、安田神父様のミサは見応えあります。)
最近、秋田新幹線開通によって秋田に行きやすくなりました。
2002年5月1日新しい大聖堂の献堂式が行われるました。
(このホームページと聖体奉仕会とは直接関係ありません。)