Profile
幼少時代について・・・
1956年東京に生まれる。3歳になっても言葉をろくに喋らず親が心配したがどうにか5歳で普通の幼稚園に入ったが早生まれのため(3月18日)周囲に追いていかれず、小学校2年生まで給食をいつも残してパン(まずい!)を机の中に突っ込んでパン粉のもとを大量に作っていた。その後野球に熱中したが、ほどなくして女に興味を持ちスカートめくりに熱意を燃やしながらもビートルズに凝り出して小学校を優秀な成績で卒業しなかった。中学ではハムに凝って(食べ物ではない)学校の連中と遊ばず変人扱いされた。小学校高学年時代から続いた髪型へのこだわりが高じてリージェントとオールバックにこだわり、結局髪型へのこだわりは毛髪への悪影響となって現れいわゆる遅めの若はげになやまされつつ、最終的とは言い難いが結構持っていると本人はかってに思っているが周囲は完全にはげおやじだと思っている。高校入学後、つっぱっていると言われながらもまじめに通学せず、一学期の半分をサボりかつ遅刻し映画巡りをして時間を費やし現在に至る。高校からエスカレーターで獨協大学へ入学するも
、中学の担任が予測した通り、大学を中退した。本人はただ女に持てたい一心でピアノを独学で始めそれが高じてかつてのあこがれ作曲家になれるかもしれない!とゆー甘い期待のもとに、あの渡辺真知子と米良なんとかを生み出した偉大なる洗足学園を受けるが受ける前から「おまえは作曲家無理だから声楽科受けろ」といわれ止めりゃいいのに受けてしまったのが運の尽き100年目、フランスまで留学してフランス歌曲しか歌わないのでまったく仕事がないのではいけない!と思い二期会に入り、声楽家の端くれになったが、教える方が面白いので、最近は歌を教えてばかりいる。
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肩書きについて・・・・
S58年、洗足学園声楽科卒。
卒業後2年間パリエコールノルマル音楽院演奏家で声楽を学び、審査員全員一致による一等賞を取得。
またカミーユ・モラーヌ氏に師事してフランス語と声楽との結びつき、いわゆるアーティキュレーションについて研鑽を積み、帰国。
帰国後は二期会オペラ研修所で2年間在学。1年間は文化庁国内研修員として研究した。
日仏声楽コンクール入賞.
村田健司、近藤允弘、カミーユ・モラーヌの各氏に師事。二期会会員