私のおすすめフランス音楽日記

2000年8月31日

今までこのサイトには書かなかった事だけど、家の親父はピアノ弾きだったんです。といってもプロではなく会社勤めをしていた普通のサラリーマンでした。大正10年生まれの戦前〜戦中派としては珍しくピアノを小さい時から習っていたのです。

親父の家というのは仙台市の郊外に広大な農地を持っていた不在地主だったんですね。
祖父という人は、婿養子で歴史の先生をしながら、好きな音楽や趣味の世界に生きていました。
でも戦後の農地解放で無一文になり、親父も祖父も兄弟も皆もみくちゃになり苦労したようです。
それでも、若い頃の生い立ちや育ちは拭えなかったようで、プライドだけは超一流でしたね。

ぼくはそんな気風が嫌でしたが、今になって見ると祖父の風貌や気風は受け継がれているな・・とつくづく思います。浅草オペラや讃美歌をこよなく愛した祖父に自分の歌を聴かせたかったですね。

ぼくがちょうど中学に入る頃に親父はぼくがフランスの作曲家ドビュッシーやラヴェルに興味を持った事を知ってラヴェルの「ソナチネ」を練習して弾いて聞かせてくれました。恐らくぼくにとっては、その音の記憶がなければこれまで音楽を演奏したり、人に教えたりという仕事を続ける事は出来なかったでしょう。
それほどに、その記憶は大きなものです。

ソナチネといっても、第一楽章と第二楽章だけでした。第三楽章はとてもソナチネといえるようなものではなく大変難しい曲だったと思います。だから、文字どおりそこまでは親父も手がまわらなかったのでしょう。(笑)
フランス的というよりはラヴェルの血の中にあるバスクの匂いというかヨーロッパの正統的な音ではない独特の音色と、ラヴェル特有のバロック、古典的な典雅なスタイル感、美しい過去の時代を懐かしむレトロスペクティヴな視点…それらがのないまぜになったラヴェルの音楽は、ドビュッシーの交響曲と共に、ぼくの体にとことん染み込みました。

後年独学でピアノを弾くようになり、親父が弾いて聞かせてくれた、ラヴェルの「ソナチネ」を自分で弾いてみた感動は、下手でもなんでも自分がやってみること、生の演奏を聞く事の大きさを教えてくれましたね。みなさんに、「自分で演奏をやってみること」をすすめるのは、そんな自分の経験が大きいのです。
だって、たった一つの和音の音色の妙だって、絶対に自分で弾かないとわからないことがあります。
例えば、レコードで聞くのと人の演奏を生で聞くのと、自分で弾いて出してみるのとは月とスッポン天と地ほどの違いがありますよ。みなさんにそのことを判って欲しいのです。

実は親父のピアノはドタドタと重くてフランス的とはお世辞にも言えなかったような気がします。でも間違いなくそこからラヴェルのフランスの音が立ち昇っていたのだと思います。
演奏というものは、うまいとか下手とか言う事は確かにあるけれど、それ以前にその演奏を実現しようとする感動に支えられた強固な意志がなければ、どんなにぺらぺら巧く弾いても空しいと思います。

2000年8月4日

当時クラシックそしてフランス音楽の初心者だったぼくが、いろいろ音楽関係の本を読んでいて知ったことに
ドビュッシーやラヴェルの音楽を「印象派」と書いていることでした。なんだかこの言葉は、当時今から30年近く前にはとても新鮮な感じがしたものです。
印象派と聞いただけで確かにとても視覚的な音楽に感じたものです。その印象はいまでも ありますね。

たとえば、それまでのいわゆるクラシック音楽のオーケストラやピアノ曲は、「交響曲第一番へ長調」とか「ピアノソナタケッヒェル第35番」とかって、カエルがゲップしたか屁でもこいたみたいな、色気もへったくれもないタイトルだったので聞く前から嫌になっていましたね。

ああそれなのにそれなのに!印象派の音楽にはたまらないタイトルがついていたのです!「牧神の…」とか「亜麻色の髪の乙女」とかとか・・・タイトルだけで聞く気になりませんか?

「印象派」といえば絵画の世界にモネという作家がいます。モネやスーラ、セザンヌなど光をきれいにまたリアルに取り入れた絵画作家たちを「印象派」と呼んでいますが、ドビュッシーの場合はむしろ詩の世界でヴェルレーヌ、マラルメやボードレールといったフランスの19世紀末に隆盛した「象徴派」の詩人達から強い影響を受けているようです。

象徴派の詩というのは、簡単に言うと言葉(単語)自身が持っている視覚的または音楽的イメージを大切にして、それまでの文脈によって意味を語るような詩に対して少ない語彙で強い印象を与える特徴があるのではないでしょうか?このような詩、あるいは絵画でも音楽でも、それまでのスタイルからある共通したベクトル(単純で自然、象徴的)を持った芸術がフランスに興ってきたのは、日本文化の影響ではないでしょうか?

浮世絵の影響(北斎など)は良く言われていますが、実は文学の世界で俳句や短歌の影響もあったのではないか?と思います。少なくともアポリネールは俳句の影響を受けていたようです。 2000年8月3日

ドビュッシーの牧神の前奏曲を聞いて、新しい音楽の存在、それも窓を開け放って爽やかな風が吹く混むような音楽の存在を知りぼくはフランス音楽にのめり込んで行きました。
父の知り合いにレコードマニアや作曲家がいて、その方々からフランス音楽のレコードをずいぶん貸していただきました。印象に残っているのがギーゼキング弾いたドビュッシーのピアノ全集でした。

ギーゼキングというピアニストは1950年代くらいまで存命のピアニストで、それまでのコルトーなどのようなロマン的な奏法に真っ向から反して即物的に弾くということを売り物にしていたと思います。
ロマン的?というのは、ようするに楽譜に忠実というよりも奏者の主観的な要素の強い演奏ということです。たとえば、なんの指示記号もないのに、テンポをゆっくりしたり早くしたりということです。

即物的というのは、何もロボットのように弾くという意味ではなくそれまでの恣意的なロマン的な奏法に対するアンチテーゼ(反論)の意味があるのです。楽譜に書いてもいないリタルダンド(少しゆっくりするという)をやたらしない…というようなことです。

そんな人ですからモーツアルトが代表的な名演とされています。
このレコードは録音が古くて、独特のピアノの音でしたがこのレコードを通してドビュッシーのピアの曲の薫陶を受けました。今でもそのレコードの音を思い出すことが出来ますが、やや固いそしてダイナミックの幅の大きなピアノの音だったと思います。即物的というよりもニュートラルなのです。フランス人ではないのにフランス的な中庸を重んじた品の良いピアノだったと思います。
後年私が師事したモラーヌ先生の音楽と合わせて私の音楽的趣味を決定付けた演奏家といえます。

ドビュッシーの作品では、前奏曲集第一巻、二巻の「沈める寺」、「テラスに映える月の光」、「亜麻色の髪の乙女」「花火」そして「喜びの島」また、「ラモー礼賛」、「ピアノのために」などに感動した思い出があります。 2000年7月21日

ぼくは中学校の時にドビュッシーを聞き出してからフランスの音楽あるいは俗に言うクラシック音楽に親しむようになりました。きっかけはある人が弾いたピアノを生で聞いた経験でした。その時は何の曲か分かりませんでしたが後でそれがドビュッシーという作曲家の書いたもので「ピアノのためのアラベスク」という曲集の一曲目だったことがわかりました。この音楽は当時中学一年だったぼくにとって目からうろこでした!
まるできらきらと輝く春の光を浴びて輝いている5月の新緑のように感じました。これは本当です!

もっというとそれまで姉が弾いていたブルグミューラーの練習曲なんておしっこ臭くて聞けたもんじゃなくって、それまではそのせいでピアノが大嫌いだったのに、それ以来ピアノが好きになったのですから!

それから機会がある毎にドビュッシーについて調べました、伝記も買って読みました。
そしてレコードで最初に買って聞いたのが「牧神の午後への前奏曲」でした。

これは管弦楽曲でした、オーケストラのことです。曲の冒頭にフルートが不思議な旋律、どこの国のものとも思えない不思議な旋律をひとしきり奏でると、バイオリンの合奏がさ〜〜っと風が吹いたように、まさに!一陣の風が吹いたように、それも北風ではなく暖かでさわやかな南国風の風が吹いたかのごとく奏でられる瞬間は驚きでした。だって、それまで聞いたどんなクラシックの音楽、えら〜〜いバッハさんや立派なベートーベンさんの音楽とは全然違う音楽だったのです。

こうしてぼくのクラシック音楽体験が始りました。


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