21世紀へ向けて 権力の正統性を高める努力が必要 「国会月報」持論駁論: 2000年(平成12年)3月号 白鳥 令 (東海大学教授・日本政治総合研究所会長) 1.議会制民主主義の基礎が揺らぎ始めている 1989年における東欧社会主義圏の崩壊以来、世界全体を見れば、この世紀末の10年間、自由主義的民主主義体制の将来に関して楽観的な予測が支配的であった。経済における自由市場経済体制の拡大同様に、政治的にも自由主義的な議会制民主主義がやがて世界を覆うであろうと考えられて来た。 しかし、日本の政治の現状を見ていると、むしろ自由主義的民主主義体制は、その基本的な部分で危機的状況を見せ始めているように思う。この自由主義的民主主義体制の危機状況に関してそれを認識し、意識して早期に危機回避の努力を行わないと、東欧の社会主義同様に、日本の自由主義的民主主義もある日突然に崩壊してしまうかも知れない。 自由主義的な議会制民主主義が最良の統治形態として広く民衆に受け入れられるようになったのは、18世紀の市民革命以来政治における議会制民主主義がその権力の正統性を議会改革によって飛躍的に強化し、他方で、議会制民主主義と車の両輪の如き密接な関係にあった経済における自由市場体制が、特に19世紀以降の福祉政策の発達と1930年代以降ケインズの財政政策とによって、その基本的な弱点を克服したからであった。 市民革命は、議会を民意を代表する機関として絶対君主から独立させることで、権力の正統性の基礎を絶対君主の伝統的権威から民衆の同意へと変更し、脆弱な正統性の基盤に立っていた政治権力の基礎を拡大し、安定的な政治運営を可能としたのであった。今日の自由主義的な民主主義は民意を代表する議会なしには存続し得ないし、自由主義的民主主義のもとでは、議会の立法権に代表される政治権力の基礎は国民の同意以外に何もないことを、政治家も国民も改めて理解する必要があるといえよう。 2.政治不信と投票率低下の拡大再生産 問題は、この政治権力の正統性の基礎が揺らぎ始めているという点にある。この現象を最もよくあらわしているのは、投票率の低下である。衆議院選挙を見ても、昭和33年(1958年)には76.9パーセントあった投票率が、多少のアップダウンを示しながらも一貫して下降し、前回平成8年(1996年)には59.7パーセントまで下がって来ている。特に、最近3回の衆議院選挙における投票率の下降は急で、平成2年(1990年)の73.3パーセントから平成5年(1993年)は67.3パーセントへ、平成8年(1996年)には59.7パーセントへと、1回ごとに7ポイント近くも下がっている。すでに、参議院比例区では、1995年の投票率が44.5パーセントと半数を割った記録が出ている。「片肺内閣」という言葉があるが、これでは「片肺国会」になってしまう。 しかも、総理大臣の政治権力に代表される内閣の行政権力は、投票した国民すべての同意を基礎として成立しているものではない。前回平成8年(1996年)の衆議院選挙における自民党の得票は小選挙区部分で38.6パーセント(比例部分では32.8パーセント)であったから、社民党とさきがけが離脱した後の自民党単独政権は、国民の中でわずか23パーセントの意思を基礎とした政権であったということになる。自由主義的民主主義体制のもとでは、政治権力の正統性の根拠は民衆の同意だけなのだから、国民全体の23パーセントの意思の上に成立した国会や内閣に、国民がその権力の正統性を認めない態度に出たとして不思議はない。正統性の脆弱な国会が議決した法律を国民は遵守しないだろうし、四分の一の国民を基礎とする内閣の行政に国民は従わない傾向を示すことになるであろう。現実に、納税率の低下など、国民が法や行政を無視する傾向を示し始めた事実を指摘することが出来る。 投票率低下現象の深刻な点は、それが有権者の政治不信の心理と相互に影響しあって、「政治不信と投票率低下の拡大再生産」とでもいうべき累進的一方向的な変化をもたらす点にある。一般の有権者は、組織票が選挙結果を左右し、選挙結果において組織票が過大に代表され、結果が自分たちが肌で感じている民意とかけ離れているのを見て、もはや選挙に民意は反映されないとして、ますます投票所から遠ざかることになる。 3.自自公の連立政権で権力の正統性の危機を救えるか 現在の小渕内閣は、権力の基礎を拡大し権力の正統性を拡充するために「自自連立」へ、さらには「自自公連立」へと進んだのだとの説明がなされるかも知れない。現在の日本のように高度に発達した産業社会では、有権者の利害が複雑に分裂し対立しあい、有権者の政治や行政に対するニーズも多様化しているために、1950年代のように、それらを二大政党だけで代表し、社会的に問題を解決することは困難である。高度成長期のように、豊富な公共財源を使って国民のさまざまな不満をなだめ、対立する利益相互間を金銭的に和解させてゆくという手法がもはや使えない現状では、政党システムの多党化と連立政権とは必然の傾向ということが出来よう。 現在のような状況の中では、連立政権を構成することによって、政治権力や行政権力は権力の支持基盤を拡大し、権力の正統性の拡充強化をもたらすという点は、その通りだと思う。だが、連立政権を組めば、特に、自自公連立政権のような広範な連立政権を組めばそれですべての問題が解決するかというと、そうはならないと思う。 まず、そのような政権の政治姿勢の問題がある。広範な連立政権が衆参両院で絶対過半数を握り、それ故に反対党の意見を無視する態度に出るとすれば、それは国民を鋭く二分することになり、国民の中の政治的疎外感を増加させ、政治権力の正統性を減少させるという逆の効果を生み出すことになる。その場合には、単に選挙が民意を反映しないということから生ずる政治不信の他に、政治的決定機関としての議会が国民の意見を吸収する機能を果たさないという別の側面からの政治不信が付け加わることになる。 これを書いていた時、自自公連立政権の与党側だけで平成12年度予算を始めとするさまざまな法案の審議が進められているが、これは最悪のケースだといわなければならない。与党側だけ出席の議会という異常事態が、選挙を目前にしての選挙制度の改変という議会制民主主義の基本的ルール作りの問題における与党側の強行審議から生じたことを考え、議会制民主主義において少数党は言論と議事手続きへの働きかけしか多数派に対する対抗手段がないことを考慮すれば、与党側はもっと野党の発言に耳を傾けるべきであったのであり、与党側に反省を促すべきだということになる。 4.変質する政党 −アドホック政党制の出現− 連立政権が権力の正統性の基盤を強化するかどうかを検討する際には、最近における政党の変質の問題も考慮しなければならない。政党は議会制民主主義と共に成長し、議会制民主主義を機能させるアクターとして存在して来た。政党は恒常的に政治システムの中で存在し、政策を立案して公約として提言し、それを議会のシステムの中で実現する。政党が恒常的に存在する機関であるから、国民は後になってその公約の実現を問題とし、政治責任を追及することになる。議会制民主主義における政治責任は、こうして政治の恒常的な機関としての政党と政党の公約の存在によって、現実に担保されると指摘されて来た。 だが、このような恒常的な政治の機関としての政党の存在は、もはや過去のことになったといってよいであろう。現在の政党は、政治システムにおいて、決して恒常的な機関ではない。政党の指導者も国会議員たちも、決して現在の所属政党をこれから先ずっと現在のかたちで存続するものと考えていない。現実には、前回の衆議院選挙で自民党に対する主要な野党として戦った新進党の解散がそのよい例だが、自民党にしても、現在は政権についているので求心力が働いているが、政権から離れればどうなるか分からない。昭和55年(1980年)の選挙に自民党として立候補して当選し、現在も自民党所属の国会議員である割合は全体の77.7パーセントであり、4人に1人は他党へと移っている。組織政党といわれている公明党の場合でも、80年以来同じ公明党に所属している議員は76.9パーセントに過ぎない。政党は、今や選挙のための一時的組織に近くなってきており、政治家たちの意識は完全にそうなっている。選挙のための一時的組織、「アドホック政党」の出現である。 政党がこのように一時的な組織になったのは、かつて自民党の強固な基礎を形成していた農業人口が1950年代の55パーセントから5パーセント弱へと減少していることに見られるように、社会の産業構造の変化が早く、もはや政党の恒常的な基礎となるべきグループが国民の中に見出せなくなった点が最大の理由である。同時に、労働組合や業界団体など、組織による国民への政治的締め付けの無力化もまた、大きな原因となっている。 政党がこうして政治システムにおける恒常的機関でなくなれば、公約は単なる選挙の際のスローガンに堕落してしまう訳で、政治における責任追及の基本的メカニズムの大きな部分が失われてしまうことになる。政党の公約が単なる選挙時のスローガンに過ぎないとすれば、選挙民は政党の公約を基準に投票を行うことは出来なくなるので、現在、選挙民は政治の荒野に無防備で放り出されている状況にあるというのが正直なところである。 5.国民のコントロールをどのようにして取り戻すか 自自公連立政権がさまざまな改革を唱え、どのようなスローガンを掲げようと国民がしっくり来ないと感じるのは、自自公連立政権を構成している自由党と公明党が、前回1996年の衆議院選挙においては自民党と鋭く対立した野党第一党、新進党の中核部分をなしていたからである。前回総選挙時の自社さきがけの連立政権から自民党単独政権、自自連立から自自公連立へという連立政権の組合せの変更は、国会の内部、いわば永田町の中だけで行われたものであって、一般有権者に発言の機会は全くなかった。 このように国民から離れたところで成立した連立政権は、権力の正統性を破壊することはあっても決して回復することがないのは当然であって、権力の正統性を回復するために出来ることは、出来るだけ早い機会に総選挙を行うことだけである。 だが、仮に解散から総選挙となっても、アドホック政党システム下の選挙では国民は政治に長期的な信頼を求めることは出来ないし、選挙の後で再び無原則無節操な連立政権の誕生を阻止することは出来ない。日本を含めて、先進国の政治状況は「連立の時代」にあり、連立政権の誕生は必然的な流れであり、政治権力の正統性の基盤拡大にも役立つとすれば、どのようにしてわれわれは連立政権下で国民の政治権力へのコントロールを回復し、政治責任の原則を再び確立することが出来るであろうか。 そのために出来ることは、国民の側ではひとつしかないと思う。それは、政党や政治家の行動に対する国民の監視を強化することである。そのためには、政治家の行動や政党の資金、行政の実績等、政治情報および行政情報の整備と公開、政治情報や行政情報へのアクセスの方法が飛躍的に改善されなければならない。政治に権力的な手法は伝統的だが、21世紀を迎えようとしている現在、政治の信頼回復と政治権力の正統性強化のために必要なものは、非権力的な情報を通しての改善だといえよう。 政党や政治家の側に求められるのは、みずからの将来の行動や選択に関する情報の提供である。連立の時代の選挙においては、特に、選挙後の連立政権のあり方に関する見解を選挙時にはっきりさせる必要があろう。連立に関しては選挙結果を見てから考えるというのでは、有権者は選択のしようがない。それはまた、政党や政治家としては無責任というべきものであろう。小渕総理大臣は長期にわたり情報議員連盟の会長をつとめた経験があるはずである。情報を通しての議会制民主主義の再建に、本格的に取り組んでみてもよいのではなかろうか。(政治学・しらとり れい)
21世紀へ向けて 権力の正統性を高める努力が必要 「国会月報」持論駁論: 2000年(平成12年)3月号
白鳥 令 (東海大学教授・日本政治総合研究所会長)