インドネシア選挙 現場から

旧秩序打破目指す「社会革命」の起点
政党トップの指導力がカギ

読売新聞夕刊: 1999年(平成11年)6月17日 木曜日

白鳥 令

 私がジャカルタに着いた6月3日木曜日、ジャカルタの中心部はまるで革命前夜といった雰囲気であった。横町の小さな路地まで、通りという通りはすべて闘争民主党(PDI-P)の赤い旗と牡牛のマークで埋め尽くされていた。それは、先進国の常識で考える選挙運動とは違って、街中総出のお祭りといった感じであった。

1.政治変革以上のもの

 イスラム教国であり、決して女性の地位は高くない筈なのに、バスからトラック、それにバイクから自転車まで、考えつく限りの乗り物に鈴なりになっている市民の半分以上が女性であった。子供の数の多さも目を見張るものだった。明らかに、大人より多くの子供たちが、街中を行進していた。行進に参加している乗用車には、家族全員が乗っていた。多くの場合、乗用車のトランクはふたを開けたままになっており、そこは妻と子供たちのスペースになっていた。この日の選挙運動は、今回の選挙が、スハルトの軍事独裁とゴルカル党の一党支配から多党制下の選挙による民主主義へという、政治における体制変革以上のものであることを示していた。
 6月7日に投票が行われたインドネシア総選挙は、新しい指導者を選出する「政治体制の変換」というより、女性から子供まで、軍事独裁と貧しさ、旧態依然とした社会秩序とイスラム教といった旧体制の下で抑圧されて来た社会のあらゆる構成分子を解放して行く「社会革命の始まり」を意味すると考えるべきなのかも知れない。


 こう考えれば、今回の選挙で、「各党が政策をほとんど打ち出していない」との批判に対する解答も見いだすことが出来る。先進国の専門家から見れば、インドネシアにとって経済問題は最大の問題なのだが、インドネシアの民衆は、「現在の社会体制を継続するか変革するか」を今回の選挙で問題にしているということになる。
 アメリカの中立系のシンクタンクIFESが昨年12月から今年2月にかけて行った全国調査では、「あなたの周辺では経済状況はどうですか」との質問に対して、「非常によい」が1%、「かなりよい」が40%、「かなり悪い」が47%、「非常に悪い」が8%と、ほぼ拮抗した数字が出ている。同じ調査では、また、「あなたもしくは配偶者が、金銭を支給される仕事に就いていますか」との問いに対して、「金銭を支給される仕事に就いている」と答えた人は全国で24%である。インドネシアの民衆の中で、近代的な貨幣経済に組み込まれている人は予想以上に少ないのである。

2.民主化支援と国際監視

 今回の選挙で、外国の援助が果たした役割は非常に大きかった。選挙の総費用は概算で3億ドル、その内1億ドルが外国からの支援でまかなわれた。日本は米国とほぼ同じ3200万ドルを分担した。外国からの支援は、金額の大きさよりも、民主的選挙のノウハウを伝える点で大きな役割を果たした。日本も含め各国の専門家が、民主的選挙のために新たに設立された総選挙委員会(KPU)と早くから協議し、「多様性の中の統一」を目指すこの国の政治再生に取り組んだ。
 インドネシアは東西5千キロの範囲に散らばる約1万4千の島から成立し、国土面積は日本の5.1倍にもなる。ここに2億1千3百万の人々が住んでいるのだが、民族の数は3000,主要な言語だけでも250の言語が使われている。この複雑な国に、3万2千の投票所を設置し、多党制下の自由で公正な選挙を初めて行うというのが、今度の選挙であった。今回公認された政党は48,州ごとの比例代表制を採用、政党のシンボルマークに釘で穴を開ける方式で投票が行われた。
 選挙の公正さと自由を保持するために、最大限の配慮がなされた。投票用紙が不正に使用されないために、投票用紙は投票所で投票者に渡される寸前に選挙管理責任者や立会人が署名をし、ホログラムのシールを貼ることになっていた。また、すべての投票所で、各党から1名の代表と住民代表とが立ち会うことになった。開票に際しても、一票一票立会人に示しながら数える方式が採用された。
 集計の段階でも、不正が行われないように2系列の集計作業が採用された。投票所から市町村→県→州→国と官僚機構を通して集計が行われると同時に、投票所から地方銀行のラインを通して直接中央のメディアセンターに開票結果を知らせる方式が実施された。両者の集計結果が一致すれば、不正が行われなかったという訳だ。この結果は、また、インターネットで常時公開され、世界中のどこからでもいつでも見ることが出来るようになっている。
 外国支援で今回特に感じたのは、民主化支援の専門家グループとでも呼べる人々が、国際的に育っているという現実であった。米国のIFES財団をはじめ、スウェーデンのIDEAや日本のJAICA等に、アフリカやカンボジアなどで選挙支援を行った経験を持つ専門家が育っており、これらの人々が、今回見事なチームワークを組んでいた。
 問題は、日本の場合、これら経験豊富な専門家たちが、その場限りの契約で働いており、恒常的な安定した雇用関係にないということである。日本がアジアに位置するという点からも、これから先民主化支援で日本が果たす役割はさらに大きなものになるであろうから、これら国際経験豊かな人々を恒常的な安定的雇用環境の中に置くことを、政府は真剣に考えるべきだと思う。

3.期待担う闘争民主党

 本年10月末に開かれる国民協議会(MPR)で、故スカルノ大統領の娘のメガワティ女史が大統領になる確率は高い。国民評議会は、今回選出された国会(DPR)議員500名の他に、地方代表議員135名(各州5名×27州)と国会に代表されていない団体代表65名を加えた700名から構成されるが、そこで、民主的選挙で第一党となった政党の党首を退けて、他の候補を選出することは、国内の雰囲気から考えて可能性は低い。
 しかし、メガワティ女史が大統領に選出されるとしても、民衆の変化への期待があまりに大きく、また、民衆自身は強く意識していないとしても、民衆の期待は政治体制の変換だけでなく社会体制の変革をも志向しているだけに、選挙で40%近い得票を得て第一党になった闘争民主党(PDI-P)と党首メガワティ女史には、大きな負担がかかることになる。
 しかも、現在の開票結果から見ると闘争民主党は過半数を獲得出来ない見通しであるから、選挙前の公約に従い、メガワティ女史は、否応なくイスラム系の国民覚醒党(KPB)のワヒド氏および国民信託党(PAN)のライス党首と連立政権を組まざるを得ない。
 1945年にインドネシアが国家として独立した際の基本原理=パンチャシラを基本理念とする民族主義政党である闘争民主党にとっては、政治体制の変換のみならず社会体制の近代化まで進むことはそれほど困難なことではない。パンチャシラは、「絶対宗教」「人道主義」「統一」「民主主義」「社会正義」といった項目を含んでおり、各項目は現在ではかなり柔軟に解釈されている。たとえば、絶対宗教を示す最高神の項目にしても、これは無神論者でなければよいとされ、共産党非合法化の理由にされているのが現実である。
 だが、今回の選挙に登場した48政党のうち19政党を占めるイスラム系の政党は、強硬にイスラム教の教えに忠実であることを主張する政党が多い。これらの政党が、たとえば開かれた宗教政党を目指す国民信託党(PAN)のライス党首を、イスラム宗教を裏切るものだと激しく非難しているために、国民信託党(PAN)および民族覚醒党(PKB)は、連立に際して非宗教色を打ち出しにくくなっている。この隘路を突破するには、ライス、ワヒッド両氏の現実政治家としてのリーダーシップに期待する他はない。
 だが、メガワティ女史にも、強みがある。それは、彼女が、スハルト時代の体制内野党であった民主党(Partai Demokrasi Indonesia, PDI)総裁の地位を1996年に追われたという事実である。この事実によって、メガワティ女史は体制内野党の指導者から、体制を変える指導者として国民の支持を獲得することになったのである。メガワティ女史とすれば、政治指導者として、体制を維持しながら単に政策を変える政治指導者ではなく、体制そのものを変える指導者として国民に期待されている現実を、自己の権力基盤として利用することが出来よう。さらに、世界最大の回教国で、女性として大統領になること自体が、自然にメガワティ女史を政治体制の変換から社会革命へと向かわせるかも知れない。

4.独立受け入れるのか

 民族系すべての政党の基本理念になっているパンチャシラに「絶対宗教」「統一」といった項目が含まれているために、8月に行われる東ティモール独立問題をめぐる住民投票の結果は、インドネシア政府にとって非常に扱いにくい問題となろう。住民投票の結果は、ほぼ確実に東ティモールの独立の方向に向かったものとなるであろうから、それを寛容の精神をもって受け入れることが出来るかどうかが、問題となるのである。東ティモールの宗教がイスラムでないのは、東ティモールの場合に旧植民地支配国がオランダではなくポルトガルであったからなのだが、それを議論しても仕方がない。
 最良の解決方法が、東ティモールの完全な自治の承認と、インドネシアおよび東ティモール両者間の緩やかな連邦制の樹立であることは間違いないが、そのための準備をするには、少し時間が足りないように思う。ここでも、メガワティ女史だけでなく、アミン、ワヒド両氏をはじめとするイスラム政党の指導者の現実政治家としてのリーダーシップが期待されるといえよう。

有力政党獲得議席および得票率
(現地6月16日午後10時、開票率63%)

政党略称 議席割当数 各党得票率(%)
闘争民主党(PDI-P) 140 35.7
ゴルカル党(GOLKAR) 99 20.9
国民覚醒党(PKB) 37 12.0
開発統一党(PPP) 40 10.6
国民信託党(PAN) 27 7.8
月星党(PBB) 3 2.0
正義党(PK) 1 1.5

(東海大学教授、日本政治総合研究所会長・政治学 1993年台北生まれ。今回のインドネシア選挙では、アジア選挙管理者連盟の一員として選挙監視にあたった。著書に「政治発展論」「選挙と投票行動の理論」など。)