論壇

変化求めた「選択」にこたえよ

朝日新聞朝刊: 1998年(平成10年)7月14日 火曜日

白鳥 令

  「景気選挙」といわれた今回の参議院選挙は、自民の惨敗、民主・共産の躍進という結果に終わった。ここに見られたのは、深まる景気の低迷をめぐって二極化しつつある有権者層と、政党間の政権交代にまで進むかもしれない新たな政治の動きであった。
  有権者を二極化させたものは、出口の見えない泥沼の経済状況に対する自民党の対応と、その評価であった。野党の提出した景気対策に人気が集まったというのではなく、自民党の景気対策をどう評価するかで投票態度が決定されたために、選挙は終始自民党ペースで戦われ、目に見える形での野党への風が感じられなかったのである。
   世論調査の推移を見ていると、経済状況がこれほど悪い中での自民党圧勝という選挙前の多くのマスコミ報道に接して、多くの有権者がそれは心外だと、選挙運動の終盤に非自民へ急速にその態度を変えていったのがよくわかる。
  景気と政党支持に関しては、これ迄、日本とヨーロッパにおける有権者の態度の違いが指摘されてきた。戦後の復興から高度成長、さらにエネルギー危機における経済運営の成功が、日本においては経済危機の時代に有権者を保守支持、特に自民党支持に向かわせる。これに対しヨーロッパでは、経済状況が悪くなれば、有権者は社会党や労働党など民主社会主義の政党支持へと傾くというのである。
  今回、この自民党の経済運営に関する神話が、長期にわたる景気の悪化で、有権者の心の中でも崩れたのではないだろうか。政権を担当しており、経済運営に関しては絶対的な自信を持つ自民党だが、そのおごりが経済政策の転換を遅らせ、自民党自身の強固な支持基盤を喪失させる結果となったのである。
 今回の五八・八%という投票率は、確かに前回の四四・五%より一〇ポイント以上高い。しかし、「山が動いた」と当時の土井社会党委員長が形容し、社会党が大勝した九年前の八九年参議院選挙の投票率は六五・〇%であった。今回は、「自民党では駄目だ。政治を変えたい」と考えて投票した有権者が多かったのは事実だが、八九年参院選挙のように、ひとつの政党に無党派層がなだれを打つというところまでは至らなかったようだ。このため、公明、共産両党のように、強固な組織を頼りとする政党も善戦する結果になったといえよう。
  ところで、近年の投票率低下の問題は、政治的無関心と選挙の代表機能不全との循環の中で、生じていた。政治的無関心が低投票率を生み、低投票率の結果として選挙は組織対組織の戦いとなり、そうした選挙の結果では、特定の業界や宗教、さらに労働組合などの、組織された利益だけが優先的に代表されることになった。
  しかし、組織に加入している有権者は国民の中で少数だから、一般国民はそのような選挙結果を国民の意思を正しく代表していないものと考えるようになり、さらに、固定組織に依存した選挙が常に同じ結果をもたらすこともあって、国民は選挙そのものを忌避するようになっていた。これが、低投票率の“拡大再生産”のメカニズムである。
  だが、振り返って見れば、民主政治のもとでは、選挙を通しての国民の信託だけが、すべての政治権力の唯一正統な基盤だといえよう。
 もし国民が、選挙を通して自らの意思を政治リーダーに託し、立法権を含む政治権力を確立して行く、この民主主義のプロセスを承認しないということになれば、政治の安定どころか、日本の民主政治そのものが崩壊してしまう。自らの意思が正当に代表されない選挙結果を国民は拒否し、その選挙の結果成立した国会を国民は承認せず、その国会で成立した法律を国民は無視することになろう。
  そうなれば、遵法(じゅんぽう)精神そのものが失われるので、犯罪は多発し、納税率も低下して、政治の全メカニズムが崩壊していくことになる。大げさではなく、日本の社会そのものが崩壊することになる。 今回の参議院選挙における投票率の回復と政治に変化を求める国民の意思表示は、政治システムが全面崩壊するぎりぎりの瀬戸際で、国民がもう一度政治を動かし、政治に期待をかけて見ようとの選択を行ったのだと見てよいであろう。
  選挙の終わった今、すべての政党と政治家たちは、政治の変化を期待する国民のこの切迫した気持ちを理解し、これにこたえなければならないと思う。(東海大学教授・政治学)