税金でまかなう政党交付金

公的機能にのみ助成を
白鳥令東海大教授に聞く

朝日新聞朝刊: 1996年(平成8年)2月5日 月曜日

白鳥 令

 公的資金を政党に出すのがいいのか どうか、政党助成法をつくるときにきちんと議論しておかなければ、いけなかった問題なのに 小選挙区制の導入をやりやすくするための道具として公的助成が使われ、十分に議論されていません。これから先、様々な問題が起こってくると思います。
 政治全体の体系を考えると、国民の意見が集約されて決定の場所としての国会に持ち込まれて、国会で決定されたものが国民に返ってくるというサイクルになています。国民の方に戻ってくる方向には行政機関や裁判所などの公の機関があります。一方、国民の意見を国会に持ち込む方には圧力団体などがあり、政党もその一つなわけです。つまり政党は本質的には私的な領域のものであり、自由な活動が保証されなければなりません。
 だから、私的な結社である政党が公的な資金を使うということは初めから無理があるということになりますが、政党を私的な存在から公的な存在へと見直して公費助成をするという方向に動いたわけです。政党は私的な団体からこを、「オレたちにには自由が必要だ」と言えるわけで、公的な団体だと自由が必要だなどと言えない。にもかかわらず、政治活動は自由でなければいけない、結社の自由、表現の自由は憲法で保障されているという議論が優先して、全くの「つかみ金」として自由に使っていいという話になっているわけです。
 加えて、日本の政治家の行動で非常に特徴的なのは指摘な収入と政治資金との区別がほとんどされていないという点です。公私の金の区別がないのです。
 官官接待批判にも見られるように昔なら見逃すことでも、納税者意識が高まって来ていますから、税金の使途について国民は厳しい目を向けるようになるでしょう。政治かも特別公務員であり、政治家が料亭で飲み食いできるのだったら官僚だって構わないということになる。三権分立論からいっても行政の執行活動より、政治活動の方が尊いものだとはいえないわけです。政治家が勝手なことをやっているではないかと、国民の反発を招くことは目に見えています。政治不信以上に政治家に対する反発と反感が出てくるだろうと思います。
 「つかみ金」的な公的助成はやめ、政党は本来、私的な団体ではあるけれど、公的な機能を行う部分について限定的に助成をしていく形に直すべきでしょう。ドイツでも最初に政党への公的助成を導入した国ですが、憲法違反だという提訴がなされて使用目的を限定していく方向に動いてきています。大きな流れからいえば、そういう方向に向かわざるをえないと思います。使途の検査ですが、基準があってはじめてできることです。モノサシがなければ検査の使用がなく、完全なザル法の検査になるが、あるいは意識的に政的をやっつけるという政治的な監査になってしまう恐れがある。使途の範囲を限定する方向に持っていけば、監査はある程度可能になるのではないでしょうか。(談)