弓(BOGEN)
コントラバスの形・構造が長い間画一化しなかった為に、様々な形の弓が生まれている。
最も初期に用いられた弓は、ほぼ全弓に渡り、凸型に曲がっており、棹は西洋ブナなどが用いられ、毛の張りを調節する装置はついていなかった。Praetorius当時の弓は、彼がその著書の中に示している。(23図,a,b)しかし、弓においうても時と共に修正が蔵得られた。特筆すべきは偉大なコントラバシストDomenico Dragonetti( 1763−1846)による改良である。23図のc.d.e.はドラゴネッティの弓として広く知られている物であるが、これらの弓は20世紀に入っても世界中で使用されたのである。彼の弓は棹がまっすぐ伸び、棹と毛の間隔は広く、大きなフロッシュは毛の張りが調節出来るようにスライドする。この弓は現在では全く廃れてしまったが、75年程前には当時のトップの演奏家達も用いていたのである。
1887年高名なイギリスのコントラバシストA.C.Whiteはドラゴネッティの弓に対して「彼が残し、今我々が用いているこの弓は完璧である。」とまで言っているのである。これらの初期の弓はイタリアを中心に作られていたようである(Warnecke)。
(上の写真はミラノスカラ座の首席コントラバス奏者エツィオ・ペデルツァーニ氏所有の名器、本物のジョヴァンニ・パオロ・マッジーニです。)
ジャーマン・ボウ
今日ジャーマン・ボウとして用いられている弓はイタリアで完成された物である。ドラゴネッティの弓に似てはいるが、それより遙かに洗練された物で、毛の方向に向かって内側に反った棹には新たに別個のチップが着けられ、可動するフロッシュは手のひらに上手く収まるようにさらに大きくなっている。フロッシュのスクリューのカバーも長くなり、弓そのものを長くスマートに見せている(毛の長さは標準22インチ)。手のひらの立った奏法は奏者の弦に加える圧力を大きくさせ、ボウイングは極めて容易になったのである。ジャーマン・ボウは、Butler modelとも呼ばれるが、これはライプツィヒのStorch(コントラバス奏者・作曲家)の門下生であり、1881年ボストン交響楽団が組織されたときの首席奏者となったコントラバシストH.J.Butlerが用いた事による。
Lois Winzel,Frederich Wernecke,Serge Koussevitzky,Fred Zimmermann,Gaston Brohan等も用いていた。
フレンチ・ボウ
ヴァイオリン、チェロの弓を修正した物でフランスで完成されている。トルテがそれらの弓を完成させたのについで、これにならいバスの弓も作られたのであるが、当時評判がよくなかったことは前述のとおりで、1827年にはWarnecke、Chenier、Sorne,Gelnick等が集まりパリのコンセルで、より優れた新しいデザインの弓を作ろうとのゼミナールが開かれている。しかし、この弓をBottesiniが巧みに使いこなしてから世界に広まっていき、ボッテジーニとフレンチボウとの結びつきは、バトラーとジャーマンボウの結びつきに例えられよう。
今世紀初期の代表的フレンチ奏者は、Anton Torello(フィラデルフィア首席),Jacques Posell(クリーブランド首席),Roger Scott(フィラデルフィア首席)等がいる。
フレンチ・ボウは全長28インチ(毛の長さは22インチ)程であるが、ボッテジーニはソロ用にはオケより長い弓が好ましいとしている。