Harmonie Uniberselleに描かれたバス
1636年に出版されたMarin Mersenne著のHarmonie Universelleにはバスの歴史研究に欠くことのできない3台のバスについての記述がある。
Ruhlmannはこれら3台のうちで最初の物は16世紀後半のものとしている。この楽器は、テールピース、駒、横から差し込む糸巻き、荒削りの渦巻き、鋭い角のある短い中胴を備え、Kontrabass Ganassiに似ている。しかしGanassiの様な指板は備えておらず、音孔も非常に風変わりな物となっている。手の凝った装飾がほどこされ、エッジの周囲には3重のパフリングがなされている。

2番目の楽器は、4弦でフレットは無い。調弦は現在と等しくE−2,A−2,D−3,G−3となされる。糸巻き箱の上部にはライオンの頭の彫刻がなされ、角は鋭くなっているため、上胴は非常に短い様に目に映る。この角の形はVirdungやAgricola等の古楽器の名残といえるが、この楽器になって初めて、現在用いられている、f形の音孔(f字孔)が登場したのである。

第3のバスは、4弦で外形も現在のヴァイオリンと全く同じである。また、1618年、Praetoriusによって初めて描かれた、Gross Quint Bassともただ弦の数が異なるだけで外形は等しい。
Violの変遷
Viol製造は16世紀1世紀の間に数多くの変化を経たが、その変化は、arm violよりもgross geigeの方が遙かに多くなされた。VirdungのGross geigeの様な大きな楽器の場合、ボウイングをたやすくする為に中胴のくびれが出来た。Agricolaのbass geigeには、後方に反った糸巻き箱、その横から差し込まれる糸巻き、渦巻きが備わった。Kontrabass Ganassiでは音孔が胴の中心向きになったが、またすぐに中胴のカーブに沿う様に変えられた。それに続いてf字孔の様に変化していった。この楽器改良に対する熱意は激しく、Ganassiのバスのようにグロテスクなまでに過度の修正も成し得たのである。
 PanumはSachsの言葉を引用し、次のように述べている。
「1500年頃、弦楽器製造にいろいろな大変革が起こった。すなわち従来の原則にあくまでも固執するという習慣が突如としてやめられたのである。何百年もの間1つの形のみを守りとおしてきたものが、そのような偏狭な考えを一切捨て去り、互いに混ぜ合わせた雑種のような楽器を創り上げようとしたのであった。従って、Lira,Viola da braccio,Viola da gamba 等の楽器は、このようにgeige, fiddle, lute 等の混合により出現したのである。」
今日の ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、そしてバスの直接の祖先は、まさにこれら、Lira, Viola da braccio, viola da gambaたちなのである。
Gamba
1532年には、Hans Gerleが Musica Teuschの中で3つのサイズのgamba(Leg viol)を紹介している。treble gamba, alto−tenor gamba, bass gambaである。
16世紀末にはgamba族はさらに、klein bass gamba, gross bass gamba, subbass gambaを加え6種に増えていた。

Besseraboffはこう述べる。
「この当時viol族はその外形のみならず、構造上においても数多くの試行錯誤が行われ、そして標準形と呼ばれる viol が現れるに至ったのである。」
この標準型violは、以下の様な特徴を持つ。@フラットバック、Aアーチドトップ、B内側に曲がった中胴、C後方に反った糸巻き箱とその横についた糸巻き、D渦巻きよりも人、動物の頭ガオおいヘッド、E中心線に平行にあるC字孔、Fフレットを有し幅の広い指板、G表・裏板と同高に接する横板、Hなで肩等。
Bessereboffはさらに、1575年頃までに fiddle type, guitar−fiddle type, slopping rib type の3種が存在するようになったとしている。

 しかしCurt Sachsはこの点に「関して Besseraboff と異なった見解を示し、17世紀以前にはviol の定まった形は無かったと述べる。かれによれば、16世紀までは、いわゆる標準形 viol は、他の様々な形の viol と同列におかれた存在でしかなく、17世紀初めから最も広く受け入れられるようになったに過ぎないものなのである。