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お名前: 小牧 瑞夫(こまき みつお)
【 神性と人性とをもたれた神の子イエスの肉体 】(ルカ福音書4:1−13)
(そのとき、)イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の
中を、“(神の)霊”によって≪引き回され≫、【四十日間、(神から遣わされた)悪魔から
誘惑を受けられた】。その間、何も食べず、その期間が終わると≪空腹を覚えられた≫。
そこで、(神の使いの)悪魔はイエスに言った。『神の子なら、この石にパンになるように
命じたらどうだ。』イエスは、『「人はパンだけで生きるものではない(物欲だけで生きる
ものではない)」と書いてある』とお答えになった。更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、
【“一瞬のうちに”世界のすべての国々を見せた】。そして悪魔は言った。『この国々の
≪一切の権力と繁栄とを与えよう≫(イスラムのマホメットは権力と繁栄を求めて、神から
精神病にされた)。それはわたしに(神から)任されていて、これと思う人に与えることが
できるからだ。だから、もしわたしを≪拝(おが)む(礼拝する)≫なら、みんなあなたの
ものになる。』イエスはお答えになった。
『「あなたの神である主を拝み、ただ【主に仕えよ】」
と書いてある。』悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、(エルサレムの)神殿の屋根の
端に立たせて言った。『神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。と言うのは、こう(
聖書に)書いてあるからだ。
「神はあなたのために天使たちに命じて、
あなたをしっかり守らせる。」(詩篇91・11−12)
また、あなたの足が石に打ち当たることのないように、
天使たちは手であなたを支える。」』
イエスは、『「あなたの神である主を試してはならない」(申命記6・16)と
言われている』とお答えになった。(神の使いの)悪魔はあらゆる誘惑を終えて、
≪時が来るまで(サタンがイスカリオテのユダに入った)≫イエスを離れた。・・・
・・・そのときイエスはすべてを≪成し遂げた≫と知り、【聖書(真理:神のみことば)】
を実現するために、『私は渇く』と言われた。酢を満たした器(うつわ)がそこにあった
ので、彼らは酢に浸した海綿(女性器の代わり:罪の形式)を投げ槍(やり)につけて、
イエスの口に近寄せた。イエスは酢を飲んで、『すべては成し遂げられた(人は罪から死に
至る(アダムとイブ))』と言い、頭(こうべ)を垂れて息を引き取られた。
その日は用意日(過ぎ越しの祭りの前日)だったので、安息日に体を十字架の上に残して
おかぬように・・・この安息日は≪大祭日≫であったから・・・ユダヤ人たちは(総督)
ピラトに、彼ら(十字架刑の三人)のすねを折って取り除くようにと願ったので、兵隊たちが
来て、まず共に十字架に付けられた一人、そしてもう一人のすねを折った。
しかしイエスの所に来ると≪もう死んでおられた≫ので、そのすねを折らなかった。
そのとき一人の兵士が槍で脇を突いたので、(心臓から)すぐ血と水(聖水)が流れ出た。
これを見た者(使徒ヨハネ)が証明する・・・この証明は真実である。自分のことばが真実
であることをその者(使徒ヨハネ)は知っている・・・。それはあなたたちを信じさせる
ためである。こういうことが起こったのは、「その骨は一つも折られないであろう」という
聖書のことばを実現するためであった(脱出12・46)。また、「彼らは自分たちが刺し
貫いた人を仰ぎ見る」という聖書の他のことばもある。(ヨハネによる福音書19:28−
37)
大祭司はまた、『おまえはキリストか、祝された者の子か(ユダヤ人は神(ヤベ)の名を
口にするのを避け、こう呼んでいた)』と尋ねた。イエスは、『そのとおりである。
あなたたちは人の子が力ある者(神)の右に座し、天の雲に乗り来るのを見る』と言われた
。(神の右の座にイエスが座し、天国を納め、天国と地獄の審判者となっている。神の左の
座にサタン(悪魔)が座し、この世と地獄を納めている。)
そのとき、大祭司(カヤファ)は(紫色の、縫い目のある、偽物の)自分の服を裂き、
『どうしてこれ以上証人がいろうか。あなたたちも冒涜(ぼうとく)のことばを聞いたろう
。【どう思うか】』と言った。彼ら一同は、それは死刑に値すると決定した。
ある者は、『当てて見ろ』と言いながらイエスに唾をかけ、あるいは顔を隠しておいて、
≪拳(こぶし)≫で打ち始めた。(大祭司の)下男たちもイエスを打ち叩いた。・・・
( マルコによる福音書14:61−65 )
また下着も取ったが、その下着は【縫い目無しで上から一枚に織った布(大祭司の服)】
であった。(ヨハネ福音書19:23)・・・(十字架刑のイエスの下着)・・・
[2007年2月25日 13時14分5秒]
お名前: 小牧 瑞夫(こまき みつお)
【 神性と人性をもたれた人間の肉体のあるイエス・キリスト 】
十二時ごろから三時ごろまで地上一帯が≪薄暗くなった≫。三時ごろイエスは『エリ、
エリ、レマ、サバクタニ』と≪声高く“叫ばれた”≫。それは『神よ、神よ、なぜ私を
見捨てられるのですか』と言う意味である。そのあたりに立っていた人々のうち、その
≪ことば≫を聞いて、『彼は(火の車と火の馬に乗って、生きたまま、竜巻にのって≪
開いた≫天に昇って行った)エリアを呼んでいるのだ』と言った人もあった。やがて
そのうちの一人が≪走り寄り≫、海綿に酢を含ませ、葦(あし)につけてイエスに飲ませ
ようとしたけれども、他の者は『待て、エリアが救いにくるのかどうか見よう』と言った。
イエスは再び大声で叫び、そして【息を引き取られた】。実にそのとき≪神殿の幕は
上から下に二つに裂け、地は震い、岩は割れ、墓は開き、【眠っていた≪聖徒の屍(
しかばね)は数多く“生き返り”イエス復活の後、墓を出て、聖なる町(エルサレム)に
入り、≪多くの人々に現れた≫。百夫長とともにイエスを≪見張っていた人々≫は、
【この地震と発生した事件】を見て驚き、『ほんとうにこの人は神の子だった』と言い
合った。
そこにはまた離れて様子を見ていた何人かの女がいた。それは≪イエスに仕えて
ガリラヤからついてきていた人たち≫で、そのうちには≪マグダラのマリア≫、
【ヤコボとヨゼフの母マリア(クレオファ(アルフェオ)の妻マリアの義理の姉である
(?))】、ゼベデオの子らの母(大祭司の知り合いの使徒ヨハネの母:マリアサロメ)
などもいた。 (マテオによる福音書27:45−56)
イエスは神性と人性とをもたれ、人間の肉体をもたれていた。・・・
【 姦通の石殺しの女 】
イエスはオリーブ山に行き、【夜明けごろ】再び神殿に戻られると、人々はみなみもとに
来たので、座って教えをのべられた。そのとき、律法学士とファリサイ人が、≪姦通の場で
捕らえられた女≫を連れて来て、皆の前に立て、イエスに向かって尋ねた、『先生(ラビ)
、この女は【姦通の最中に捕まった者】です。モーゼはこういう者を石殺しにせよと律法で
命じていますが、あなたはどう思いますか』。そう言ったのは、イエスにわなをかけ、
訴えようと≪考え≫てのことだった。イエスは身をかがめて(人々の心を透視して)地面に
指で何か書き始められた(ヒエロニムスによると、そこにいる人々の姦淫の女の名を、
姦淫の罪の数を書き始められた)。彼らが問い続けるので身を起こし、『あなたたちの中で
(姦淫の)罪のない人々が“まづこの女に【石を投げよ】”』と言われ、また身をかがめて
地面に書き続けられた。これを聞いた人々は【老人(長老)をはじめ】一人一人去って行き
、やがてイエスと中に立っている女だけが残った。イエスは身を起こして、『婦人よ(
イエスは処女の女性には娘よ、と言われる。処女でない女性には婦人よ、と言われる。
聖母マリアは出産で処女で無くなっているから、婦人よ、と呼ばれた)、彼らはどこに
行ったのか。あなたを罰した人はいなかったか』と言われた。女は『主よ、一人も』と
答えた。そこで、イエスは、『【私もあなたを罰しない】(『知ってのとおり、<姦通
するな>と今まで教えられている。だが私は言う、【色情(しきじょう)をもって女を
見れば、その人は“心の中で姦通している”】(マテオ5:27−28)。イエスは
神性と人性とをもたれ、本能のある人間の肉体をもたれていた。)。行け、これからは
もう(姦淫の)罪を犯さぬように』と言われた。
イエスはまた人々に、私は【世の光】である。私に従う人は闇(やみ)の中を歩かず、
【命の光(真理:みことば:聖書)】をもつであろう』と話された。・・・
( ヨハネによる福音書8:1−12 )
[2007年2月25日 5時47分23秒]
お名前: 小牧 瑞夫(こまき みつお)
【 ベタニアのマリアとマグダラのマリア 】
ベタニアのマリアはマルタとマリアのマリアで、生活のために兄ラザロとともに、売春し
ていたかもしれない。このマリアはイエス・キリストが聖地エルサレムで十字架刑に行かれ
るそのエルサレムの近くのベタニアで、ライ病での死人のラザロを復活させ、そのとき、
このマリアは売春を決別したのである。ヨハネによる福音書では、≪過ぎ越しの祭りの六日
前≫(ヨハネ12:1)と記されている。
『イエスのために、食事の席が設けられると、マルタが給仕し、ラザロはイエスとともに
食卓についた人々の中にいた。そのとき、マリアは高価な純粋のナルドの香油一斤(きん)
を持ってきてイエスの御足に塗り、自分の髪の毛でそれを拭いたので、香油の香りは家中に
漂った。弟子の一人で、のちにイエスをわたすイスカリオトのユダが(瞬時に)、「なぜ、
この香油を三百デナリオに売って、貧しい人に施さないのか」と言った。そう言ったのは、
貧しい人のことを思い遣ったからではなくて、≪彼(ユダ)は盗人≫であり、(イエスから
)預かっている財布の中身を盗んでいたからである。イエスは、「この≪婦人≫のするよう
にさせておけ。この人は私の葬り(十字架刑)の日のためにこの香料を取っておいたのだ。
貧しい人はいつもあなたたちとともにいるが、私はいつもあなたたちとともにいるわけでは
ない」と言われた。(ヨハネによる福音書12:1−8)
このように、ベタニアのマリアとマグダラのマリアは別人である。マグダラのマリアは
ガリラヤからイエスに従っているヘブライ語の話せる婦人である。聖書学者の誤謬である。
ちなみに、石殺しの女(婦人)はエルサレムの女である。・・・
[2007年1月28日 21時45分27秒]
お名前: 小牧 瑞夫(こまき みつお)
事実が知りたい者様、マグダラのマリアが妊娠して、サラと言う女の子を出産したと言う
のは事実(真理)かも知れません。生涯、童貞のイエス・キリストの種の子を出産したかも
知れません。
『父よ、み旨ならば、≪“この”杯(さかずき)≫を≪私から遠ざけて下さい≫。しかし
、私の意のままにではなく、あなたのみ旨のままに』と言われた。≪そのとき≫、天から(
天国は開いた天にある:使徒行録)使いが現れ、イエスを力づけた。
イエスは≪もだえて≫、いよいよ切に祈られたので、【“御汗(おんあせ)”は血のしずく
のように地に落ちた】。(ルカによる福音書22:42−44)
≪この杯≫と指示代名詞で言われている。死を直前に、指示代名詞で擬人化、比喩を語る
だろうか? 私はゲッセマネの園のイエスの前に、≪杯(さかずき)≫が置かれていたと
思う。御汗を多量に流して、この杯に、神性と人性とを持たれるイエス・キリストの神の子
の種を残されたと思う。
彼らは(天使たちは)マグダラのマリアに向かって、『婦人よ(処女の女性には娘よ、と
言われる。聖母マリアも神の子イエスを出産して処女はなくなっているので、婦人よと
呼ばれている。マグダラのマリアは神の子キリストの種を注ぎ込まれ、処女でなかったから、
女の子を産んだのかもしれない。聖母マリアも神の子の出産で、処女では無くなっているが
、生涯、男を知らなかったから、口伝で、≪童貞マリア≫と呼ばれている。・・・ロシアの
超能力女性のように、キリストは人の体内を透視できる。ロシアの超能力女性が人間の体内
がすべてカラーで見えると語っていた。内臓・骨・処女膜もすべて透視できる。イエスは
さらに人の脳(こころ)も読める。サマリアの女が7人の夫(男)がいたことを告げられて
いる。)、なぜ泣いているのか』と言ったので、彼女は、『私の主をだれかが取り去りまし
た。どこに持っていったのか分からないのです』と答えた。こう言って後ろを振り向くと、
(復活した)イエスの立っておられるのが見えたが、それがイエスであるとは分からなかっ
た。イエスは『婦人よ、なぜ泣くのか。≪だれを≫捜しているのか』と言われた。
(イエスの変容で)彼女は(ゲッセマネの)園の番人だと思ったので、『あなたがあの方
(園の番人にはイエスをあの方と告げている。ゲッセマネの園で、イエス・キリストの種の
注ぎ込みを園の番人にしてもらったかもしれない)を移したのなら、どこに置いたのか言って
下さい。≪私が引き取りますから≫』と言った。(かつて悪霊や病気から解放された“婦人
たち”、すなわち七つの悪魔が去った≪マグダラと言われるマリア≫・・・マルタとマリアの
マリアかもしれない。イエスがもっとも愛した女性である。両親のいないマリアとラザロは
生活のために売春していた。ラザロは裁きとして、塩の柱のライ病で亡くなり、イエスに
蘇らせてもらった。その奇跡を見て、マリアはナルドの香油をキリストに注ぎ、涙でイエス
の御足を拭って、改心した。売春と決別した。)
(私が引き取りますから、とマリアが告げたから)、≪すると≫、イエスは『マリアム』と
言われた。彼女は振り向いて、ヘブライ語で、『ラブニ(ラビとは言わず、ラブニと告げた
。イエス・キリストとマグダラのマリアのプラトニック・ラブの最初で、最後の夫婦愛の
語らいである)。・・・
『何としたことでしょう、あなたの挨拶の御声が私の耳に入ると、私の子は(実の母の
声を聞いて)胎内で喜び踊りました・・・』(ルカによる福音書1:44)。神にできない
ことはない、と大天使ガブリエルが告げている。大祭司アロンの家系の聖母マリアと親族の
エリザベトの子の洗礼者ヨハネは聖母マリアの実の子かもしれない。・・・
イエスはその母(聖母マリア)と、愛する弟子(使徒ヨハネ)が(十字架の)そばに
立っているのを見られ、母に、『婦人よ、これがあなたの(実の)子だ』と言われ、また
弟子には、『これがあなたの(実の)母だ』と言われた。その時からその弟子は、マリア
を自分の家に引き取った。(ヨハネによる福音書19:26−27)最後の晩餐の家の
マルコも、ヨハネ・マルコと呼ばれている。ヨハネという子は、神の力によるヨゼフと
マリアの子かもしれない。ヨゼフはダビド家の家系である。大工は仮の姿である。
アリマタヤのヨゼフが、キリストの遺体を引き取ったから、マリアの夫のヨゼフかもしれ
ない。大祭司一族の隠れた業(わざ)がある。・・・
12使徒、12部族は残されると告げられている。アラビアの魔法のランプの注ぎ込み
かもしれない。教皇は原則的に、12使徒の子孫がなる。中世時代、野心でなった教皇も
いたかもしれない。ヨハネ・パウロ2世の容姿は聖パウロの姿を思わせる。
教皇ベネディクト16世は聖ベネディクトの種の子孫かもしれない。・・・
[2007年1月21日 16時23分13秒]
お名前: 小牧 瑞夫(こまき みつお)
一方、主の天使はフィリッポに向かい、「立って南に向かい、エルサレムからガザ(昔の
ペリシテ人の街)に下る道を行きなさい。そこは人通りのない道です」と言ったので、彼は
立って出発した。一方、エチオピア人の女王カンダケ(現在のエジプトのスーダン(ヌピア
)である)の高官で、全財産の管理者でもあったエチオピア人の宦官(性器を去勢した人)
:かんがん)がエルサレムに礼拝に来て、その帰る道すがら車に座って預言者イザヤの書を
読んでいた。すると、(主キリストの)霊(れい)がフィリッポに「進んで行って、あの車
につきなさい」と言った。フィリッポが走り寄ると、その人が預言者イザヤを読んでいるの
を聞いたので、「その読んでいることが、あなたにお分かりですか」と尋ねた。
するとその人は、「だれかが導いてくれなければ、どうして分かりましょう」と言い、
フィリッポに車に上がって自分と並んで座ってくれるように頼んだ。彼(ユダヤ人)が
読んでいたのは、次のような聖書の一文であった。
「彼は屠所(としょ)に引かれる羊のように引かれた。
彼は毛を刈る人の前で黙している子羊のように口を開かなかった。
卑(いや)しい者となった彼に正義は拒まれた。
≪彼の子孫についてだれが語りえようか。
その命は地上から取り去られた」。
宦官(ユダヤ人)はフィリッポに向かい、「預言者はだれについてこう言っているのです
か。自分(宦官)のことですか、それとも他の人のことですか、教えて下さい」と言った。
そこでフィリッポは、聖書のこの文から、イエスの福音のことを話し始めた。進み行く途中
、水のある所に来ると、宦官は、「ここに水があります。私が洗礼を受けるのに何の妨(さま
た)げがありましょう」と言った。(フィリッポは「≪あなたが全霊をあげて信仰するなら
できます≫」と言い、宦官は「≪私はイエス・キリストが神の子であると信じます≫」と
答えた)。それから、車を止め、フィリッポは≪宦官とともに“二人で”水に下り洗礼を
授けた≫。水から上がると主(キリスト)の霊はフィリッポを連れ去った。宦官はもう
フィリッポの姿を見かけなかったが、喜び勇んで道を続けた。・・・
( 使徒行録8:26−39 )
・・・イエス・キリストは、司祭のように、生涯、童貞で、独身であった。
マグダラのマリアとの婚姻はない。イエス・キリストの子孫はない。・・・
[2006年12月3日 7時29分8秒]
お名前: 管理人の回答
URL
私の知り限りでは聖書、聖伝にはそのような話はありません。
[2006年12月1日 18時56分53秒]
お名前: 事実が知りたい者
マグダラのマリアは、本当に妊娠していて、サラと言う女の子を出産されたのですか?
[2006年11月28日 21時9分9秒]
このテーマについての発言をどうぞ。
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